22、復讐
夕暮れの部屋に、冷たい風が吹き込んでいた。
窓辺に座ったセシリアは、膝を抱えたまま動かなかった。
制服は泥だらけだった。
袖には赤黒い染みが残っている。
握りしめた手のひらにも、まだ血が乾いて張りついていた。
扉が開く。
「セシリア」
聞き慣れた声だった。
シトが入ってくる。
片手には湯を張った桶と、傷薬を乗せた盆。
セシリアの姿を見た瞬間、シトの足が止まった。
「……何があったんだい?」
「…………」
「セシリア?」
返事はない。
シトは盆を机に置き、彼女の前まで歩いていく。
そして、ゆっくりと膝をついた。
「その怪我……」
セシリアの肩が小さく震えた。
「……先輩が」
「うん」
「先輩が……私の目の前で……」
言葉が途切れる。
唇を噛む。
それでも堪えきれず、涙が一粒、膝の上へ落ちた。
「魔王に……殺されたの……」
「…………」
シトは何も言わなかった。
ただ、セシリアの隣に座る。
次の瞬間。
セシリアはシトの服を掴んだ。
「私……何もできなかった……!」
声が震える。
「目の前にいたのに……! 先輩が助けてって……私、聖剣を持ってたのに……!」
「……セシリア」
「怖かった……!」
握った服に、さらに指が食い込む。
「怖くて……動けなかった……!」
シトは黙って、その小さな身体を抱き寄せた。
「……泣いていいよ」
「でも……」
「今は、泣いていい」
背中をゆっくり撫でる。
セシリアはしばらく抵抗していた。
けれど、やがて力が抜ける。
「うっ……うぅ……」
シトの胸元に顔を埋め、声を殺して泣き続けた。
しばらくして、ようやく泣き声が小さくなる。
シトは濡れた布を手に取った。
「少し顔を見せて」
「……やだ」
「どうして?」
「……ひどい顔だから」
「いつものセシリアだよ」
「……嘘」
シトが小さく笑う。
「じゃあ、僕にはそう見えるってことで」
「……変なの」
セシリアはほんの少しだけ顔を上げた。
シトは頬についた泥を、布でそっと拭っていく。
「痛かったら言って」
「……うん」
静かな時間が流れた。
やがて、シトの手が止まる。
「セシリア」
「なに?」
「君は……魔王を許せるかい?」
セシリアの指が止まった。
「…………」
ゆっくりと顔を上げる。
「……許せない」
「そうだね」
「絶対に……許さない」
声が震えている。
それでも、今度は目を逸らさなかった。
「先輩を殺した」
「うん」
「私の大切な人を奪った」
「うん」
シトは静かに頷く。
「だったら、その気持ちを無理に消す必要はない」
セシリアの瞳が揺れた。
「……でも、憎んだら……私も魔王と同じにならない?」
「ならないよ」
シトは即答した。
「大切なものを奪われた人間が、怒るのは当然だ」
「…………」
「君には、怒る理由がある」
セシリアは自分の手を見る。
震えている。
何度も握っては、開く。
そして――ぎゅっと拳を握った。
「……私、強くなりたい」
「うん」
「もう、誰かが死ぬのを見たくない」
「…………」
「もう、何もできない自分には戻りたくない」
シトはセシリアの拳に、自分の手を重ねた。
「なら、立ち上がろう」
「……私にできるかな」
「できるよ」
「本当に?」
「ああ」
セシリアはしばらくシトを見つめた。
やがて、涙の跡が残る頬を手の甲で拭う。
「……魔王を倒す」
小さな声だった。
「私が、この手で」
シトの目がわずかに細くなる。
けれど、その表情はすぐに穏やかなものへ戻った。
「そのために、強くなろう」
「うん」
「僕もそばにいる」
「……約束だよ」
「ああ。約束する」
セシリアは立ち上がった。
まだ足元はふらついている。
それでも、今度は座り込まなかった。
窓の外を見る。
夕焼けは消え、街はすっかり夜に包まれていた。
セシリアはその闇をまっすぐ見つめる。
「……魔王」
小さく呟く。
「絶対に、負けない」
その隣で、シトは黙って立っていた。
優しい笑みを浮かべたまま。
ただ、その握りしめた拳だけが――わずかに震えていた。
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