21、レイモンド
王都の外れにある演習林には、白い霧が薄く漂っていた。
木々の隙間から差し込む朝の光は弱い。
セシリアは剣を背負い、少し前を歩く男の背中を追っていた。
「足が重いぞ、セシリア」
「……すみません」
「謝るな。歩け」
「はい」
短い返事をすると、セシリアは一歩だけ歩幅を広げた。
前を行くのは、騎士団副長のレイモンド。
厳しい訓練では容赦がない。
けれど、セシリアが剣を握れずにいた頃から、何度も付き合ってくれた男でもある。
レイモンドが突然、足を止めた。
「どうした?」
「……いえ」
セシリアも立ち止まる。
レイモンドは振り返り、顎に手を当てた。
「最近、お前の剣筋が変わったな」
「本当ですか?」
「ああ。前より踏み込みが深い」
セシリアは自分の手を見た。
何度も豆が潰れた掌。
何度も剣を落とした。
それでも、少しずつ握れるようになった。
「……まだまだです」
「そうだな」
「えっ」
「そこで否定するな。褒めたつもりだ」
「褒めてないじゃないですか!」
レイモンドが声を上げて笑った。
セシリアも小さく笑う。
「だがな」
レイモンドは笑みを消した。
「それでいい」
「……?」
「誰かに守ってもらうためじゃない。自分の足で立つ。剣ってのは、そういう奴が一番強い」
セシリアは黙って彼の背中を見た。
「……はい」
「よし。じゃあ、もう一周だ」
「えっ?」
「まだ終わってないぞ」
「今、いい話をしてたじゃないですか!」
「訓練中だからな」
「そんなぁ……」
レイモンドが歩き出す。
セシリアも慌てて追いかけた。
――そのときだった。
森の奥で、枝が折れた。
パキッ。
「……?」
レイモンドが足を止める。
セシリアの笑顔も消えた。
「レイモンドさん」
「ああ」
二人とも剣に手をかける。
霧の向こう。
何かがいる。
セシリアの背筋を、冷たいものが走った。
見覚えがある。
忘れたくても忘れられない気配。
「……嘘」
木々の間から、黒い影が姿を現した。
漆黒の衣。
手にした黒い剣。
そして、こちらを見つめる冷たい瞳。
「魔王……」
レイモンドが低く呟く。
「下がって!」
セシリアが叫んだ。
だが――
魔王の姿が消えた。
「なっ――」
次の瞬間。
ガキィンッ!
鋼の音が森を震わせた。
「ぐっ……!」
レイモンドの身体が吹き飛ぶ。
「レイモンドさん!」
地面を転がった彼の鎧には、大きな亀裂が走っていた。
それでもレイモンドは立ち上がろうとする。
「……セシリア……逃げろ」
「嫌です!」
「いいから――」
黒い影が、再び動いた。
セシリアの目の前を黒い刃が通り過ぎる。
ドンッ!
レイモンドの身体が木に叩きつけられた。
「……っ」
セシリアの口から、声が出なかった。
レイモンドがゆっくりと崩れ落ちる。
「レイモンド……さん?」
返事はない。
セシリアはふらつきながら駆け寄った。
「レイモンドさん!」
肩を揺する。
「起きてください……」
返事はない。
「……ねえ」
もう一度、揺する。
「いつもみたいに……『まだ訓練は終わってない』って……」
手が震える。
レイモンドの剣が、少し離れた場所に転がっていた。
その刃は途中から折れている。
「……」
セシリアはそれを拾った。
折れた剣を両手で握る。
背後から、足音がした。
ゆっくり。
一歩。
また一歩。
セシリアは振り返らない。
折れた剣を握る指に、力が入る。
「……レイモンドさん」
小さく呟いた。
「私……」
言葉が続かない。
頬を伝った涙が、地面に落ちる。
セシリアはゆっくり立ち上がった。
足は震えている。
それでも、倒れなかった。
折れた剣を捨てる。
そして、自分の剣を抜いた。
カチン、と乾いた音が森に響く。
「……もう」
セシリアが顔を上げる。
その瞳から、涙が一筋だけ落ちた。
「誰にも守ってもらわない」
魔王をまっすぐ見据える。
剣を構える。
「私が……止める」
霧の向こうで、黒い刃が静かに持ち上がった。
セシリアも一歩、前へ出た。
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