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勇者の君へ —— 魔王になった僕が君を救う物語——  作者: R.R.
第一章 勇者

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18/42

18、決意


 深夜。


 部屋には、紙をめくる音すらなかった。


 窓の外では秋の風が木々を揺らしている。


 カタ、カタ、と。


 古びたガラス戸が、一定の間隔で鳴っていた。


 机の上に置かれた魔導ランプだけが、薄暗い部屋を照らしている。


 その明かりの下で、シトは自分の手を見つめていた。


 指先が、わずかに震えている。


「……」


 脳裏から離れない。


 ついさっきまで、ここにいた少女の姿が。


 セシリア。


 勇者と呼ばれる少女。


 けれど――


 今の彼女は、勇者なんて呼べる姿ではなかった。


「ただいま……」


 扉が開く。


 シトが顔を上げた。


「セシリア」


 そこに立っていた少女は、ひどく小さく見えた。


 服は泥だらけ。


 頬には擦り傷。


 腕にも、脚にも、いくつもの打撲がある。


 そして何より――


 両手。


 剣を握り続けたせいで、手のひらの皮が剥がれていた。


 赤い血が、指の間から滲んでいる。


「……えへへ」


 セシリアが困ったように笑った。


「また、失敗しちゃった」


「座って」


「でも――」


「座って」


 今度は、少しだけ強い声だった。


「……うん」


 セシリアが椅子に腰を下ろす。


 シトは棚から薬瓶と包帯を取り出した。


 そして彼女の前に膝をつく。


「手、出して」


「自分でやるよ」


「駄目」


「でも……」


「動かないで」


 シトはセシリアの手を取った。


 小さい。


 そして、冷たい。


 それなのに、手のひらだけは熱を持っていた。


「こんなになるまで握ってたの?」


「……うん」


「痛かっただろ」


「ちょっとだけ」


「嘘」


「……ちょっとだけ」


「同じじゃないか」


 シトは小さく息を吐いた。


 綿棒に薬を染み込ませる。


 そして傷口に触れた。


「っ……!」


 セシリアの肩が跳ねた。


「ご、ごめん」


「謝らなくていい」


「でも……」


「僕がやるって言ったから」


 シトは手を止めない。


 傷口を一つずつ、丁寧に治療していく。


 セシリアは痛みに耐えるように唇を噛んでいた。


「……シト」


「なに?」


「私、強くなれるかな」


「なれるよ」


 即答だった。


 セシリアが目を丸くする。


「……本当に?」


「うん」


「聖剣も抜けないのに?」


「それと強くなることは別だよ」


「でも、勇者なのに……」


 シトの手が止まった。


「勇者だから、強くならなきゃいけない?」


「……」


「誰かにそう言われた?」


「……みんな、そう思ってる」


 セシリアは俯いた。


「私が強くなれば、みんなが安心するから」


「セシリア」


「だから……頑張らないと」


 また剣を握ろうとする。


 その手を、シトが掴んだ。


「今日はもう終わり」


「でも――」


「終わり」


「……うん」


 セシリアは素直に頷いた。


 シトは包帯を巻いていく。


 最後に結び目を作る。


「できた」


「ありがとう」


 セシリアが両手を胸の前に持ち上げた。


 白い包帯に包まれた手。


 それを見て、少女は小さく笑う。


「これなら、明日はもっと頑張れるね」


「……」


 シトは何も言わなかった。


「シト?」


「……いや」


 視線を落とす。


 握りしめた拳に、爪が食い込んだ。


 こんな姿にしたのは誰だ。


 答えは分かっている。


 自分だ。


 魔王として。


 彼女の前に立つために。


 そのために、彼女を追い詰めた。


 もっと強く。


 もっと必死に。


 いつか自分を倒せるほどに。


 その結果が――これだ。


「……やめようかな」


 ぽつり。


「え?」


「何でもない」


 今なら、まだ間に合う。


 全部やめてしまえばいい。


 魔王になる必要もない。


 セシリアを戦わせる必要もない。


 二人で逃げればいい。


 どこか遠くへ。


 誰も勇者なんて呼ばない場所へ。


 そこで、ただの少年と少女として生きればいい。


「シト?」


「……」


「どうしたの?」


 セシリアが顔を覗き込んでくる。


 その目には、何の疑いもない。


 自分を信じ切った目だった。


 シトは目を閉じた。


 そして――


 拳を開く。


「……何でもないよ」


 笑った。


「君は、ちゃんと強くなってる」


「本当?」


「本当」


「じゃあ……もっと頑張る」


「うん」


 それしか言えなかった。


 セシリアは嬉しそうに笑う。


「おやすみ、シト」


「おやすみ、セシリア」


 扉が閉まる。


 足音が遠ざかっていく。


 やがて、完全に聞こえなくなった。


 静寂。


 シトは一人、椅子に座った。


 そして――


 ゆっくりと立ち上がる。


「……決めた」


 もう、迷わない。


 自分が悪者になればいい。


 嫌われてもいい。


 憎まれてもいい。


 世界中から敵だと言われても構わない。


「僕が、手を汚そう」


 窓の外を見る。


 暗い夜空に、月が浮かんでいた。


「君が最後に笑えるなら――」


 シトは、自分の手を強く握った。


「僕は、世界の敵になる」


 その言葉だけが、静かな部屋からに残った。

変更後です

残りの変更も近日中にします

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