12、対面
暗雲が月を覆い、北方の森は闇に沈んでいた。
討伐軍の野営地では、いくつもの焚き火が揺れている。
騎士たちは武器を手に周囲を警戒し、交代で夜の森を睨んでいた。
その一角。
セシリアは焚き火の前に座り、砥石を滑らせていた。
――ギィ……ギィ……。
昼間の戦いで傷ついた剣を、黙々と研いでいく。
「……」
刃を傾ける。
炎が映り込んだ。
セシリアの手が、ほんの少し止まる。
昼間。
聖剣を振るった瞬間に感じた、あの奇妙な感覚。
光の粒が吸い込まれていった。
「……気のせい、よね」
再び砥石を動かす。
「戦いの疲れで、変なことを考えてるだけ……」
そのときだった。
――パキッ。
「っ!」
小枝が折れる音。
セシリアが顔を上げる。
「誰だ!」
夜警の騎士が叫び、槍を構えた。
森の奥。
焚き火の届かない暗闇から、ひとつの影が歩いてくる。
漆黒の外套。
深く被ったフード。
その姿が一歩、また一歩と近づくたび、周囲の騎士たちが後ずさった。
「な、なんだ……あれ……」
「魔族か?」
「違う……あの気配は……」
セシリアが立ち上がる。
腰の聖剣へ手を伸ばした。
指先が柄に触れる。
「……まさか」
聞いたことがある。
たった一夜で要塞を落とした存在。
魔王軍の兵士ですら、その名を口にすることを恐れる者。
姿なき魔王。
目の前の影が、足を止めた。
「退け」
低い声だった。
次の瞬間。
地面が爆ぜた。
「ぐあっ!」
「うわぁっ!」
無数の黒い槍が地面から突き出し、騎士たちを吹き飛ばす。
「みんな、下がって!」
セシリアが飛び出した。
聖剣を抜く。
白銀の刀身が炎を反射し、闇の中で鋭く輝いた。
「私が相手よ!」
踏み込む。
「あなたを……ここで討つ!」
一閃。
渾身の突きが魔王の胸元へ迫る。
――キンッ!
「……え?」
魔王が指先を動かした。
たった、それだけだった。
セシリアの剣は弾かれ、身体が大きく流れる。
「嘘……!」
姿が消えた。
「どこに――」
背後。
冷たい風が首筋を撫でた。
「っ!」
振り向くより早く、衝撃が腹部を貫いた。
「か……はっ!」
身体が宙に浮く。
数メートル先まで吹き飛ばされ、地面を転がった。
「勇者様!」
「セシリア!」
聖剣が手から離れる。
土の上を滑り、彼女の手が届かない場所で止まった。
「う……」
身体を起こそうとする。
腕に力が入らない。
「まだ……」
指を伸ばす。
その前に、騎士たちが立ちはだかった。
「勇者様には近づけさせん!」
「全員で囲め!」
数人の騎士が一斉に斬りかかる。
だが――。
魔王は動いた。
一歩。
それだけで剣をかわす。
拳が一つ。
騎士が倒れる。
足が一つ。
別の騎士が地面を転がった。
「なっ……!」
「速すぎる……!」
剣は届かない。
魔王の姿を捉えることすらできない。
やがて、森に静寂が戻った。
「……みんな……」
セシリアは泥に手をつき、身体を引きずった。
目の前に落ちた聖剣。
震える指先が柄に触れる。
「まだ……私は……」
立たなければ。
勇者なのだから。
そう思って身体を起こした瞬間――。
黒い靴が、目の前で止まった。
「……っ」
見上げる。
フードの奥にある顔は見えない。
ただ、黒い影だけが彼女を見下ろしていた。
「それが、王国の救世主か」
「……」
「随分と無力だな」
セシリアの指が、聖剣の柄を強く握る。
「私は……まだ……」
「そんな剣で、誰を救う?」
「……っ」
返す言葉が出てこない。
魔王はそれ以上、何も言わなかった。
踵を返す。
「待って……!」
セシリアが手を伸ばす。
「待ちなさい……!」
立ち上がろうとする。
膝が崩れた。
「くっ……!」
それでも聖剣を杖代わりにして、身体を起こそうとする。
「私、は……」
魔王の背中が遠ざかっていく。
「……勇者、だから……」
返事はない。
黒い外套が木々の向こうへ消える。
セシリアは聖剣を握ったまま、その場に崩れ落ちた。
消えかけた焚き火が、ぱちりと音を立てる。
誰も動かなかった。
誰も、何も言えなかった。
ただ一人。
森の奥へ消えていった魔王だけが、最初から最後まで、一度も振り返らなかった。
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