2. 森の家
俺たちがこの世界に生まれて三月ほど。
体毛もだいぶ生え揃い、俺はすっかりキュートなパヤパヤちゃんになっていた。
俺たちが暮らしているのは、木の上や洞穴ではない。
森の中にそびえ立つ、とんでもなく大きな一本の木。
その根元だ。
太い根が地面から盛り上がり、その内側に柔らかな葉がびっしりと生えている。
葉の一枚一枚が大きく、ふわふわしていて、何枚も重なったところはまるで天然のベッドのようになっている。
そして、今はミルクタイム。
ママの乳首を奪い合い、同じくパヤパヤな兄弟たちとぶつかり合う。
なんて素敵な時間なんだ。
ただ、萌えは感じたとして、前世の頃に抱えていたケモノ愛は薄れてきたように感じる。
ママのおっぱいに何も感じないのだ。
いや、ママだからこそなんだろうが。
前世の俺なら、メスケモのおっぱいなんて前にしたら、興奮のあまり踊り狂っていたはずだ。
「あら、ルカはまた取り合いに負けちゃったの? 後であげるから待っててね」
思わず瞼が閉じてしまいそうな柔らかな声に、弱々しくピィ……と鼻を鳴らして返事をした。
――――――――――――――
[退屈になっちゃった。ルカはどう?]
いつもの声が脳内にひょっこり顔を出す。
どうやら、明日から離乳らしいからな。
ママのミルクをじっくり味わってる。
[そう。早いね。すぐ置いていかれちゃいそう]
人間の子供はそうやって大きくなるものだ。
ゆっくり追いつけばいいさ。
[うん]
レオの方はどうだ?
[猫の頃から思っていたことだけど、人間の大人は忙しいね。もっと構ってほしいのに]
お兄さんは?
[今日から学校なんだって]
なら仕方ないな。
俺が話し相手になってやろう。
[うん……ルカがいてくれて良かった]
レオは寂しがり屋だ。
寂しい時は、後でやりたい事をリストアップしておくといいぞ。
何かやりたいこととかないのか?
[うーん、ルカに会って、父様と母様と兄様たちに紹介したいな]
再会はまだまだ先だろうからなあ……。
俺がいなくてもできることで、やりたいことはないのか?
……テレパシーは飛んでこない。
おいおい、ないのかよ。
[いろんな……ご飯が食べてみたい]
少しの間を置いて出てきたのは、食に関するもの。
確かに。こっちの世界の食べ物は気になるな。
そういえば、俺も離乳したら何食べるんだろうな。
肉はあるだろうな。
魚とかもあるのか?
……虫があったら嫌だな。
[ライゴンって虫も食べるの?]
知らん。
……待て。
野生動物なら肉は肉でも生肉で、しかも切られた肉ではなくて、動物の死骸から直接か?
明日が怖くなってきた。
確か、ライゴンって雑食なんだよな。
木の実とかで許してもらえたりしないだろうか。
[母様が兄様たちに言ってたけど、好き嫌いはよくないらしいよ]
……話を変えよう。
他にやりたいことは?
[わからない。人間って何するのかな]
今のところ、学校があることしかわからないな。
[あまり、わくわくしないね]
家の外だぞ?
新しい発見がたくさんあって、きっと楽しいさ。
[――でも、学校にルカはいないじゃない]
ここまで来ると、さすがの俺も、もうママの乳首をしゃぶっている場合ではない事くらいはわかる。
ちゅうちゅうと吸い続けていた口を止め、お腹いっぱいの合図をして、口元を拭いてもらった。
ふわふわの葉に身体を預ける。
何枚も重なった柔らかな葉が、俺の身体を包み込む。
さて……と。
少しくらい、先輩らしいことを言ってやろう。
レオには俺の他にも、大切な人がいるだろ?
家族が特別になったんだ。
家族の次は、友達を作ればいい
[友達……]
今はまだ外に出られないだろうが、一人で外出できるようになった時の楽しみはそれにしよう。
な?
[わかった……]
よし。
上手く言えた。
俺も少しは兄貴分らしくなってきたんじゃないか?
そう思ったところで、思い出した。
そういえば体力を作っていたんだった。
今日は食後の運動として、巣の端まで行ってみよう。
前脚を一歩。
柔らかな葉を踏みしめる。
もう一歩。
「……」
さらに一歩。
お腹がいっぱいになって眠る兄弟たちの間を、そっと、そっと進んでいく。
身体がぐらりと傾いた。
「あぅっ」
葉に足を取られ、そのまま横向きに倒れ込み、拍子にキュートなショタボが押し出される。
ふわっ。
柔らかな葉が身体を受け止めてくれた。
[……ルカ?]
大丈夫だ。
[今、転んだよね?]
転んでない。
即答する。
[転んだよね?]
違う。
[じゃあ何?]
……ちょっと葉っぱの感触を確かめただけだ。
[…………]
ほら、ふわふわしてるから。
葉っぱ……。
[うん]
だから転んでない。
[そうなんだ]
信じてないな?
[……]
……まあいい。
赤ちゃんの身体というのは思った以上に難しい。
転ぶくらい、仕方ないだろう。
俺は何事もなかったかのように身体を起こした。
まったく。
この地面は、歩くにはふわふわすぎる。
……まあ、転んでも痛くないのは助かるが。
顔を上げる。
枝葉の向こうには、青い空が少しだけ覗いている。
ときどき、その隙間を鳥が横切っていく。
巣の中からでも、ある程度、外の世界は見ることができた。
羽のない4足歩行の鳥、
数えられないほど足の多いネズミ、
俺がいた世界で見たものと何も変わらないテントウムシ、
これまでにいくつかの魔獣は見たものの、家族以外のライゴンはまだ見たことがない。
この森がどれほど広いのかはわからないが、小さいわけではないのだろう。
もっとライゴンがいても良さそうなものなのに。
まだ巣から出たことすらないんだから、当然か。
それを探すのだってきっと面白いだろう。
それで……何だったかな。
[学校の友達の話]
ああ、そうだった。
俺は再び葉の上に座り込んだ。
友達ができたら、俺に教えてくれよ。
[うん。ルカに一番に教える]
少しだけ声が明るくなる。
約束な。
[うん、約束]
レオが落ち着いたところで、お兄さんたちが学校から帰ってきたらしく、俺はぽつんと一人取り残された。
しかし、まあ、お腹はいっぱいで、少しの運動で体も疲れて、ちょうどいい感じに眠気がきたところだ。
兄弟たちが眠る巣の中心へ、よちよち歩きで戻っていく。
その時、バサバサと大きな羽音が近づいてきた。
パパが帰ってきたようだった。
「おかえりなさい、あなた」
「ただいま」
ようやくの帰宅だというのに、なんだか浮かない。
「あら、どうしたの?」
思い詰めた顔をしたまま、パパが口を開く。
「……人間を見た。そろそろここも危ないかもしれない」




