第13話「朝靄の庭園と重なる足跡」
執務室の暖炉で手記が灰と化した夜から、数日が経過した。
王都を覆っていた厚い雪雲は嘘のように晴れ渡り、冬の澄み切った青空が広がっている。
朝靄がまだ庭園の木々の間に白く漂う中、リリアーナは厚手のショールを肩に羽織り、霜の降りた石畳をゆっくりと歩いていた。
吐く息は白いが、彼女の表情に以前のような硬さはない。
隣を並んで歩くクロードの歩幅が、自然と彼女のペースに合わせてゆっくりになっているのが心地よかった。
彼はもう、何日も屋敷を空けるようなことはしていない。
王宮の仕事は相変わらず多忙なようだったが、どれほど夜が遅くなろうとも、必ずこの屋敷に帰り、朝は彼女と同じテーブルで食事をとるようになっていた。
「寒いのではないか」
クロードが足を止め、彼女の肩を包むショールの襟元を少しだけ直す。
手袋越しでも伝わってくる彼の手の動きは、壊れ物に触れるように慎重で優しい。
「大丈夫です。こうして外の空気を吸うのは気持ちがいいですから」
リリアーナが見上げて微笑むと、彼の金褐色の瞳が朝日を反射して柔らかく細められた。
庭園の奥に見えるガラスの温室からは、中の暖気によって微かに白い蒸気が立ち上っている。
あの日、彼がすべての感情を吐露し、彼女がそれを受け入れた場所。
偽りの政略結婚から始まった二人の関係は、長い遠回りの末に、ようやく一本の道として交わったのだ。
クロードはリリアーナから視線を外し、雪の積もった生垣の方へと目をやった。
「リリアーナ。少し、話しておきたいことがある」
声のトーンがわずかに低くなり、公爵としての響きを帯びる。
彼女は足を止め、彼の次の言葉を待った。
「君の生家であるヴァルデット家のことだ。先日、王宮の財務官と協議し、君の父親が抱えていた負債のすべてを我がエヴァリントン家が完全に肩代わりする手続きを終えた。これで、ヴァルデット家の領地が人手に渡ることはない」
その言葉に、リリアーナは小さく息を呑んだ。
婚姻の契約において、ある程度の援助は約束されていたが、膨大な負債のすべてを彼が背負うとなれば、エヴァリントン家にとっても決して小さな負担ではないはずだ。
「そんな……そこまでしていただかなくても。あなたはもう、過去のことに責任を感じる必要はないのですから」
「贖罪のためではない」
クロードが彼女の言葉を遮り、真っ直ぐにその瞳を見つめ返した。
「これは、私の妻の生家を守るための、当主としての正当な判断だ。君が心配事を抱えたまま、この屋敷で過ごすのを見たくない。それだけだ」
不器用な、しかし確固たる意志の籠もった言葉だった。
彼の真意を理解し、リリアーナの胸の奥が温かいもので満たされていく。
彼女はショールを握りしめていた手を離し、手袋を外した指先で、彼の冷たい革手袋にそっと触れた。
「……ありがとうございます、クロード様。これで私も、心置きなくあなたの隣にいることができます」
「君は、初めからここにいていいんだ。他のどこでもない、私の隣に」
クロードは彼女の細い指を自分の手で包み込み、そのまま引き寄せるようにして歩き出した。
二人の間に言葉はなかったが、霜の降りた石畳の上に残る二つの足跡が、寄り添うように続いていく。
かつては広すぎて孤独に感じていたこの公爵邸の庭園が、今は彼と歩むための穏やかな場所へと変わっていた。
◆ ◆ ◆
その日の午後、リリアーナは自室の書物机に向かい、羽ペンを走らせていた。
実家の両親へ宛てた手紙だった。
借金が清算されたことへの報告と、自分がこの屋敷でどれほど大切にされ、幸福に過ごしているかを伝えるためのものだ。
以前なら、心配をかけまいと無理に明るい言葉を並べていた手紙も、今は自然な言葉で紙面を埋めていくことができる。
窓から差し込む斜光が、書き終えた羊皮紙の上のインクを乾かしていくのを待っていると、控えめなノックの音が響いた。
「リリアーナ、入ってもいいか」
クロードの声だった。
彼が日中に自室を訪ねてくるのは珍しい。
リリアーナが扉を開けると、そこには王宮の正装ではなく、仕立ての良い簡素な乗馬服に身を包んだ彼が立っていた。
「お仕事は、お休みですか」
「ああ。少し時間ができた。もし君さえよければ、気晴らしに外へ出ないかと思って」
「外へ?」
「少し、見せたいものがあるんだ。君が温室で育てていた、あの花のことで」
彼の言葉に、リリアーナは目をまばたかせた。
あの青い花。
十年前の事故の引き金となり、長らく彼の心を縛り付けていたあの花を、彼自ら話題に出したのだ。
リリアーナは小さくうなずき、外出用のマントを羽織るために急いで準備を始めた。
彼の瞳の奥にはもう、過去の幻影に怯えるような暗い影はない。
これから彼が見せようとしているものが何であれ、彼と一緒ならばどこへでも行ける気がしていた。




