第5話【拾った現金が三か月後、菜々のモノになる】
女子高校生の朝寅菜々は、数字と会話が出来る能力を持っていた。
【数字紹介】
35・菜々のお気に入りラグランTシャツの胸のプリント。世代的感覚が菜々と近い。
12・祖父から貰った腕時計の文字盤。執事風。菜々とは子供の頃からの付き合い。
●毎日夜10時台か11時台に上げられるように頑張ります。
「お嬢様!! 自宅とは緩い角度で反対方向に向かわれるのが、よろしいかと!!」
「完全に真逆に走ると自宅の方向を推察される可能性があるっ、て事ね!!」
12と35のアドバイス通りに、菜々は商店街の大通りから脇道に入り、建物に身を隠しながらジグザグのルートを走った。
角の駐車場の柵を飛び越えショートカットする。
今はちょうどランチの時間帯、ラーメン屋に並ぶサラリーマンの視線が、菜々の全力疾走に合わせて横に流れた。
「菜々ちゃん!! スカート押さえて!! 注目されちゃってるよ!!」
「……流石はお嬢様の健脚!! 風を切るとは、ま、まさにこの事ですな!! ……しかしながら、お嬢様、少々で構いませんので、その、スピーディーな腕の振りを、緩めて頂く事は可能で御座いましょうか!? ……わたくし、若干の、乗り物酔いに似た症状が……」
12と35のアドバイスをスルーしつつ、菜々は数分間の全力疾走を続け、住宅街の暗渠の小道に入り、スピードを落とした。
息を整えつつ、後ろを振り返る。
「こ、これで、振り切れたでしょ!?」
「菜々ちゃん速かった!! これを追い付ける人間は絶対にいないよ!!」
「500メートルは走ったかなあ。タイムはどのくらいだった!?」
「……お、お嬢様、申し訳御座いません、わたくし気分が優れなくて、そ、それどころでは……」
「精密機械はひ弱ねえ。私達なんか毎週洗濯機で高速回転してんのに……」
バックパックからペットボトルの緑茶を出し、一口飲む。
改めて背後を振り返り、暗渠から広いバス通りに出て前を向いた瞬間、菜々と目が合った人物が
「あ、探してたのよ」
と言った。
それは、スクーターを押し歩きしていた女性警察官だった。
身長は菜々とほぼ同じの小柄で、着用している大型ヘルメットが外見の印象をより幼くさせている。
「!?」
驚いた菜々は反射的に逆方向に走り出しそうになったが、それより一瞬早かった35の
「逃げちゃダメ!!」
という絶叫で、その場に辛うじて立ち止まる。
もし逃げ出していたら、面倒な事になっていただろう。
菜々の、一瞬の慌ただしい思考変化を無言で観察していた女性警察官は、充分に間を置いてから頭を横にかしげて
「驚かせちゃって、ごめんね」
とだけ言った。
警官の幼い外観と、今にもレーザーが発射されそうな強い視線がアンバランスだった。
「ちょっと12!! クセモノにばったり出会っちゃってんじゃん!! どうなってんのよ!?」
35は罵倒に限り無く近い質問を連射したが、腕振り酔い状態の12は呻き声を上げるだけで何も答えられない。
(……全力で走ったのに……スクーターで先回り!? ……でも、何か変……)
菜々の、その、小さな突起のような違和感が疑問に昇格する余裕は無かった。
警官への対応が優先されたのだ。
「朝寅菜々さんですよね」
「……はい」
警戒感マックスで慎重に返答する。
「数日前の拾得物について進展がありまして」
「しゅ、しゅうとく!? ……あ、あたしが拾った現金の束!?」
「そうそう、あれの落とし主が現れまして。あと三ヶ月前の別の落し物も……続きはそこの署内でお話しましょうか。お時間あります?」
「……は、はい!!」
「尾行されてるとか12が言うから驚いちゃったけど、お巡りさんが落し物の連絡しに来てくれただけじゃーん。焦って損したわー」
35が菜々の心情を代弁してくれた。
能力バレと泥棒からのスカウトが杞憂だった事と、何より、三ヶ月前に拾った万単位の現金が自分のモノになる嬉しさが強く、先程の僅かな違和感を菜々はスルーしてしまう。
菜々は、案内する女性警察官の後をついて歩いた。
警察署の短い駐車場を抜けた表玄関前で、門番の大柄な警察官と目が合う。
菜々はニコリと微笑んだが、門番の表情は変化が無かった。
(このお巡りさん、怖っ……)
背中に冷や汗が流れるのを感じながら、その無表情の横を通り抜ける。
「結構可愛い現役女子高生スマイルをスルーて!! ツレ無いお巡りさんだねえ」
35が吐き捨てた。
「見た!? ピストル持ってたね、あのお巡りさん。さすが本物の重量感!! 菜々ちゃん、ちょっとあれ奪って、乱射してみてよ」
「しかしまあ、なんかこう……毎度毎度の堅苦しい警察署のアウェイ感は、慣れないもんねえ」
ピリッとした署内の空気に逆らうような不謹慎実況を続けていた35だったが、壁に貼られた警察関連のポスターの数字から注意を受けてしまう。
(110番からお叱りを受けました!!)
35の小声に菜々は噴き出してしまう。
そもそも、数字の声は人間に聞こえないので、小声になる意味は無い。
前を歩く女性警察官がふいに振り返ったので、菜々は笑いを飲み込んだ。
署内の一室に通された菜々は、身分証明書の学生証を提示し書類を書き捺印した。
「印鑑を持ち歩いてるんですねえ、珍しい」
女性警察官の一言にドキッとする。
現金を拾いまくり、警察に届けまくっている菜々は、手続きに慣れているのだ。
「はい、たまたま持ち歩いてますう」
書類から視線を上げ、心の動揺を隠すように真顔で答える。
女性警官の表情は穏やかだったが、目の奥の、観察するような強い視線は隠せていない。
あっさりと手続きが終わり、事務の女性職員からトレーに乗せられた一万円札が差し出される。
両手でそれを掴んだ菜々は照明にかざし、透かしに納まる肖像画の目を見ながら
「あたしの栄一」
と呟いた。
「あ、こちらの方は福沢諭吉さんです」
「渋沢栄一さんはもっと目が細いですね」
菜々が手に持った札の数字達が一斉に訂正を入れた。
恥かしさで赤面しかかった菜々に、数字達のツッコミが聞こえていない事務の職員からも
「そちらは福沢諭吉さんですね」
と追い打ちが入り、耳の熱さが増した。
一万円札の数字からは
「あなたは正直者ですね。ありがとう」
という感謝の言葉も貰っていたのだが、恥ずかしさが優先してイマイチ耳に入らない。
菜々はバックパックから小さな財布を取り出し、丁寧に折り畳んだ一万円を仕舞いながら
「あたし、お金、大好きなんですよ」
と口走った。
現金ゲットの高揚感で恥かしさを吹き飛ばそうとする軽口であったが、
「奇遇ですね。僕もお金、大好きです」
と、女性にしては珍しい一人称で、案内してくれた警官も笑った。
それは警官の本音だったのだろう、先程までの、目の奥の観察するような光は無かった。
「それと、数日前の封筒の落し物は、落とし主が現れてね」
報告を聞いた菜々の目が喜びで丸くなる。
「それは良かったですね!! あれは大金でしたからねえ。落とした人もお金が返って来て、ホッとしたでしょうねえ」
これは菜々の本音だった。
現金ゲットも確かに嬉しいのだが『人の役に立った』という結果の方が菜々にとって満足度が高い。
落とし主が現れた場合に貰える報労金も予め、拒否している。
余談であるが、札束の落とし主は、菜々の独り言でベビーカーを押すスピードを上げたUV対策が万全な婦人だったのだが、個人情報なので詳細は知らされていない。
ホクホクとしたいい気分のまま、明日のテスト最終日に備えられる気がしていた菜々の足取りは軽い。
帰り際、署の玄関まで見送りをしてくれた女性警官は
「これから巡回するので」
と言い、スクーターのハンドルを両手で持って、車体を支えているスタンドを蹴った。
「あらら」
呟くような叫び声をあげた警官は、バランスを崩しスクーターを倒してしまう。
その時の菜々の目に警官は、紙のように頼りない姿に見えた。
倒れたスクーターをよく見ると、車体のあちこちに傷が見える。
「大丈夫ですか」
と駆け寄ろうとした菜々の横を、追い越す人物がいた。
それは先程、菜々の笑顔を無表情でスルーした、大柄な門番の警察官だった。
門番は、倒れたスクーターを滑らかで素早い動作で立たせると、一歩後ろに下がって『どうぞ』という手のジェスチャーを女性警官に見せた。
「うわ、ありがとう」
と笑顔を門番に向ける。
女性警官はスクーターにまたがりスターターを押すが、今度はエンジンが掛からない。
「あれ、あれれ」
何度かチャレンジしたが結局エンジンは掛からず、諦めた警官はスクーターを押して歩き始めた。
「き、気を付けてくださいね」
心配になった菜々が思わず声をかけると、警官は振り返って笑顔を返す。
「押してちゃ、スクーターの意味、無くね!?」
35の声は呆れ気味だった。
(そう言えば、最初に会った時もスクーター、押し歩いてたな……)
直立で女性警官を見送る門番を後にして、菜々は家路についた。
「……菜々ちゃん、見た!? さっきのあの門番、女警官に感謝された時、デレっとした笑顔してたよね」
「見た見た。あたしの挨拶には無反応だったのに、失礼しちゃうよねえ。一万円ゲットの嬉しさが数パーセント減よね」




