第3話【菜々・落ちてる現金に『拾って』と声をかけられる】
女子高校生の朝寅菜々は、数字と会話が出来る能力を持っていた。
●毎日夜10時台か11時台に上げられるように頑張ります。
――二ヶ月前。
春休みの学生で賑わうショッピングモールの店頭で、マネキンに着せられていたラグラン35は、客として遊歩道を散策していた菜々と目が合う。
人気のスイーツ店に並んで、やっと購入したばかりの抹茶ソフトクリームに夢中だった菜々の意識は、一瞬で35に移り変わった。
「35かあ……いい数だね」
そう声を掛けられた35は、直感で「この人間の娘は数字と会話が出来る」と見抜く。
「でしょ!?」
短く35は答えた。
「これをください」
菜々は値札も見ずに35を指さす。
そう言われた店員は、マネキンに着せられている35ではなく、棚に積まれている別の35を取り出そうとしたが、菜々は
「いや、これが欲しいです」
と改めてマネキンを指さした。
店員の僅かな面倒くさそうな表情を読み取った菜々は
「あ、あたしが脱がします」
と言い、まだ半分ほど残っていた抹茶ソフトクリームを、自分の口に押し込んで両手を空にする。
菜々の、流れるような手付きでマネキンから脱がされながら35は、この娘と仲良くなれる未来を確信していた。
――下校の道のりは、重苦しい空気をまとったままだった。
ふざけ過ぎた事を後悔していた35は、菜々の顔を見上げる。
その暗く沈んだ表情は、時々見かける事があった。
菜々の中の、何らかのスイッチが入ると、この状態になってしまう。
(普段は明るい女の子なのに……私が嫌な事を思い出させちゃったんだな)
何か機嫌が直るような話題は無いものか……などと思考をめぐらす35。
その、どうにも出来ない沈黙はしばらく続いたのだが、変化は前触れ無く訪れる。
35がいくど目かに見上げた菜々の表情が突然、発光したような笑顔になっていたのだ。
その笑顔には、好奇心と期待の成分が含まれていた。
「聞こえる!? ……助けてって、言ってる!!」
立ち止まって周囲の様子を伺う菜々。
「えっ……なっ、何も聞こえないけど……」
菜々の感情の豹変に戸惑う35は、事態がよく呑み込めない。
「……この声の主は、数字!!」
と呟く菜々の、目と鼻の穴が期待で丸い。
「こっちだ」
片手を耳にかざしていた菜々は、小道の反対側にある公園へと走り出す。
学校指定のスカートをひるがえし、ガードレールとツツジの植え込みを一気に飛び越える。
先程までの重苦しい空気を振り払うような跳躍だった。
見事に着地を決めた菜々はそのまま公園を斜めに横切り、敷地の奥にある幼児用の小さな滑り台の横で急ブレーキをかけた。
ザーという音と共に、踏ん張ったスニーカーと地面の隙間から砂埃が舞う。
「あった……て、分厚い!?」
菜々は、滑り台の階段の下に隠れるように落ちていた封筒を拾い上げて驚く。
封を開くと、一万円札の束がこちらを見上げていた。
「おっ、珍しい、数字と会話が出来る人間か」
「私達の声が届いたのね、助けてくれて、ありがとう!!」
万札の数字達が一斉にお礼を言っているのだが、肖像画が喋っているようにも見えた。
「なんだあ、こんな事で機嫌が治るのかあ……」
不満を漏らしたのは35だった。
「早速だけど私達を交番に届けてほしいんだが、お願い出来るかね?」
一万円札の数字達の頼みに菜々は
「OKよ。ネコババなんかしないから安心して」
と笑顔で答える。
現金が詰まった封筒を丁寧にバックパックに詰めて歩き出した時、菜々に話し掛ける声があった。
「お嬢様、わたくしの考えを少々、よろしいでしょうか」
菜々をお嬢様と呼ぶ数字の声は、菜々が右腕に身に着けているアナログ腕時計の『12』だった。
祖父の形見であるその腕時計は、文字盤の数字が一つしかないシンプルな作りである。
「確かお嬢様は、先々週も拾得された万単位の現金を警察にお届けになられました。このような頻度ですと、警察の方々から怪しまれ、お嬢様の能力バレに繋がるのではと、わたくしは危惧する次第であります」
12は、数字達の中では珍しく物腰が柔らかく洒落っ気があり、菜々自身もその物言いを好んでいて、普段遣いで腕時計を身に着けている。
菜々との付き合いが長い12は、他の数字達に会話を譲って、自身は黙っている事が多い。
喋り出す時の大半は、何らかの緊急事だ。
「そうねそうね、12の言う通り、菜々ちゃんの能力バレはマズいわね」
35に首があったなら、激しく縦に振っていただろう。
しかし菜々は猫背気味に腕を組み、腕時計に視線を落として唇を尖らせた。
「でもさあ、こんな大金を放置するワケにはいかないじゃん。他の悪い人が盗っちゃうかもだし。何より、落とした人、凄く困ってると思うのよねえ。早く交番に届けないと」
菜々の言葉に12は簡単に前言を翻す。
「左様でございますな。流石はお嬢様。目先の損得に囚われたわたくしの愚考、聞かなかった事にしていただければ幸いでございます」
「そうねそうね、こないだと同じお巡りさんが受付にいるワケじゃないハズだし。バレないバレない」
菜々との会話の機会を12から譲られている事に気付いている35は、珍しく12が喋り出すと、その会話の内容に同調する事が多いように見える。
「じゃ、決まりね。交番へGOだね。さてと、この公園の名前と番地は……」
現金を拾い慣れている菜々は、その場所の確認を怠らなかった。
菜々に拾われた現金の数字達は、落とし主が誰であるか知っているのだが、それは決して喋らない。
人のルールで言うところの、個人情報の保護である。
数字達は、人間のルールに準じて、それらを死守している。
テストの解答などは聞いても教えてくれないのだ。
数字がルールを守らない時もあるのだが、それは、人命にかかわる時と、人間自体がルールに背いている場合、に限られている。
近所の交番は警察官が頻繁に不在で、交番前の備え付けの緊急電話で現金を拾ったと知らせると「警察署まで来てください」と言われるケースが何度かあった。
その経験を踏まえた菜々は、交番に人影が無いのを確認するとそのまま警察署へ向かった。
十数分前までの、テスト惨敗のダメージは歩みに感じられず、一歩一歩が力強い。
「その大金、自分のモノになるとか、思ってるっしょ!?」
菜々の機嫌が戻った事が嬉しい35は、もう大丈夫と確信して、いつものような軽口を繰り出す。
「あたしのモノになってもならなくても、どっちもハッピーなのよ」
と菜々は胸を張る。
現金が落とし主に戻っても、落とし主が現れず数か月後に菜々のモノになっても、結果はハッピーだ、というのが菜々の考えである。
「ああ、そうだったわね。人の役に立ちたいんだもんね、菜々ちゃんは」
「その通り。落とした人、この大金が戻って来た時、相当嬉しいと思うよ」
軽快な足取りのまま、警察署に現金を届けた菜々は、上がった気分をそのまま、テスト勉強に挑むモチベーションとして繋げようとしていた。
菜々は意気揚々と帰路につく。
しかし、空腹の菜々の意識は、若干ぼんやりしつつあった。
午前中の試験を終えた後、落し物を拾い、警察署に届けるという予定外の寄り道をして、ランチタイムはすっかり過ぎてしまっていたのだ。
前日のテスト勉強で睡眠不足、という事もあった。
先程までの上がった気分が急速に萎みかけていた道中、菜々の耳に叫び声が届く。
集中力を欠いていた菜々は、その声が聞こえているにもかかわらず、その場を離れそうになってしまう。
トボトボとした歩みの中、弾けるように菜々の意識が戻った。
(今、何か、声が聞こえてた……)
気になって今来た道を引き返すと、ゴミ捨て場になっている商店街の空き地前で大人が数人、慌てている姿が目に入る。
声のする方向に菜々は、小走りで近付く。
「私の中に……金庫の中に、子供が閉じ込められた!!」
それは、金庫のダイヤル達の、助けを求める叫び声であった。
――物語冒頭に話は繋がる。




