第2話【数字は試験の解答を教えてくれない】
女子高校生の朝寅菜々は、数字と会話が出来る能力を持っていた。
35・菜々のお気に入りラグランTシャツの胸のプリント。世代的感覚が菜々と近い。
12・祖父から貰った腕時計の文字盤。執事キャラだが好奇心旺盛。菜々とは子供の頃からの付き合い。
●毎日夜9時か10時頃に上げられるように頑張ります。
菜々は狭いブロック塀の隙間を抜け、商店街と反対側の民家の駐車場に出ていた。
背後から聞こえていたサイレンが鳴り止む。
緊急車両が現場に到着したのだろう。
それを振り返って確認したい気持ちを抑えながら、身を屈め、駐車場の軽ワゴンに隠れあたりを見回す。
途中、植木鉢を蹴飛ばして音を立ててしまうが、幸い人の気配は無く、鉢を元の位置に戻し、そして一気に走り出す。
筋肉痛と戦った陸上部の成果が出始めている、爽快な走りっぷりだった。
現場になった空き地から、一秒でも早く離れなくてはならない。
『能力バレ』を回避するために……。
「あの女の子、大丈夫かな!?」
全力疾走しながら菜々は、独り言のような質問をした。
「大丈夫っしょ!! 超大声で男の子に文句言ってんの、聞こえたし」
そう答えたのは、菜々が着ているラグランTシャツの胸のプリント『35』だった。
世代的な感性が近く、友達のような距離感で接している、菜々のお気に入りの数字である。
「もうだいぶ、離れたっぽくね!?」
35の言葉に『そうね』と答えながら走るスピードを徐々に落とした。
進行方向に見えた小さな公園に入り、木陰のベンチに座ってバックパックからペットボトルの緑茶を出す。
額に汗をかいている事に気付いた菜々は手の甲でそれを拭った。
「やったじゃん菜々ちゃん。今のはさ、人助けと言うより、もう、人命救助だったよ!?」
「……そうね『人の役に立つ事』の、かなり最上位に位置してるかもね」
菜々は笑いつつ息を整え、小刻みに緑茶を口にする。
「けどさ、あの金庫の数字達、菜々ちゃんが数字と喋れる事に驚き過ぎててさ。そんなのいいから早く暗証番号、教えろっつーの」
「初対面の数字は大体、あんなリアクションだわねえ」
「それと、あのリーマン、菜々ちゃんのめくれたスカート、めっちゃ見てたわよ、ったく。あのエロリーマン殺していいよ!!」
「あはは、今日、短パン履いてて良かったなあ」
菜々は自らスカートをめくって短パンを確認した。
「まあ、はしたない」
「公園に誰もいないし、大丈夫大丈夫」
めくったついでに両手でスカートをバタつかせて足元に風を入れ始める。
「あっ、それ涼しそう。私にもやって」
「OK」
菜々はシャツの裾を摘まんでバタつかせ、身体と35の間に空気を入れた。
「あ、これ、涼しいかもー」
「えっ、数字にもそーゆうの、分かるの!?」
「そして菜々ちゃん、おへそ、丸見え」
「あははは。お腹減ったー!!」
他愛も無い話で高らかに笑いながら菜々は、見上げた木陰からの陽射しに目を細める。
(太陽って、意外とイイ奴かも。……朝なんか来なくていいのに、なんて思ってた時もあったけどなあ)
菜々はベンチに浅く腰掛け足を伸ばし、握った両手を頭の上に掲げ、伸びをした。
そして『人助け』を達成した満足感と、過去の重苦しい記憶を乗り越えた爽快感に浸っていた。
――1時間前。
中間テスト週間の初日を終えた直後の菜々は、がっくりと肩を落としていた。
(テスト惨敗のダメージがこんなに大きいとは……)
テスト期間中の授業は昼前に終わり、部活動も無い。
下校する生徒が集中し混雑する正門前で菜々は、人の流れに弾かれるように漂う。
自らの足で歩くのが困難な程のダメージであった。
寝不足の目に春の光が染みる。
(太陽……あたしの天敵だわあ)
両手で目を覆うようにフラフラと漂っていた菜々は、横を歩いていた上級生の男子の足をしたたかに踏んでしまう。
「痛っ!!」
男子の表情が苦痛に歪む。
「すっ、すいません……」
菜々は直ちに謝った。
足を踏まれた男子は何か文句を言おうとしたが、菜々の顔を確認すると、言葉を飲み込み、苦痛の表情を穏やかに変化させる。
「一年生の朝寅菜々さんですよね。全然大丈夫ですよ」
「すいません、すいません……」
この高校に入学してからまだ一ヵ月余りであったが、上級生が自分の名前を知っている事に違和感を感じる余裕は、今の菜々には無い。
下校する生徒に紛れてフラフラと正門を出ていく菜々の後ろ姿を、足を踏まれた男子はにこやかに眺めていた。
菜々は、学校の男子達に人気があった。
入学直後からその可愛さは光速で男子達の間に知れ渡った。
容姿だけでなく明るく活発な言動と、時々見せる陰のある表情。
このコントラストが男子達の心を鷲掴みしていたのだ。
当初は誰が菜々を口説き落とすか競い合う兆しもあったのだが、その流れは直後に立ち消えてしまう。
原因は、菜々の幼馴染の存在であった。
「今、足を踏んだ男子、三年生の木村君だよね。結構イケメンだよねえ」
面食いのラグラン35の呟きにも、菜々は反応する余裕が無い。
余りその方面に興味が無い菜々であったが、いつもならば形だけでも
「えっ、マジで!?」
と身体全体で振り返って見せたに違いない。
(……やれやれ)
35に首があったなら、呆れたように左右に振っていただろう。
雑談でいつもの菜々の調子を取り戻すのは不可能と判断した35は、荒療治とばかりに核心を突いた指摘をする。
「……一晩だけのやっつけテス勉じゃあ、そりゃ惨敗するわよねえ」
35は昨晩までの一部始終を目撃していたのだ。
数字の声は、菜々以外の人間には聞こえない。
学校の正門から流れ出た大人数の生徒は最寄り駅へと向かっていて、その混雑の中にいる菜々は、ところ構わず喋り出す数字の声に、迂闊に返事をするワケにはいかない。
携帯端末を耳にかざして『誰かと通話している』体裁で数字と会話する、という対応策があり過去に幾度か実践されているのだが、この時の菜々はダメージを受けていて思いが至らず、うっかり生声で返事をしてしまう。
「はあ……入試は何とか頑張って合格したけど、ついてくの難しいねえ」
呟き気味の小声ではあったが、少し前を歩いていた女子生徒のグループには充分届いていた。
女子生徒達は笑い声交じりの談笑をしていたがそれを中断して、一斉に振り返る。
目が合ってしまった菜々は慌てて『あっ、独り言ですっ』という表情を作った。
(集団の女子の視線…プレッシャー感じる……)
コンマ数秒菜々を観察した女子達はスグに前に向き直り雑談を再開させた。
(また、独り言を言ってる変な奴だとか思われたかな……)
新たなダメージが加算され、歩みのスピードがさらに落ちた。
下校する生徒達の列から菜々は外れて横の小道に入る。
菜々の自宅は学校から徒歩数分の場所にあるのだ。
通行人が減り35と会話ができる状況になった。
「菜々ちゃんさ、テスト中、問題用紙の数字に解答、聞いてたでしょ!?」
「うん…もしかしたら、ワンチャン、教えてくれるかと……」
菜々が頭をかく。
「教えてくれるワケないじゃん。数字の『ルール』から外れ過ぎてるしさ。人の役に立つ人になりたいんなら、もっとちゃんと、勉強しないと」
『……うるさいなあ、もう!!』
今度の菜々の声は、叫びに近かった。
10メートル程前でベビーカーを押しているUV対策万全の女性が振り返る。
女性は菜々の様子を見てスグに前へ向き直り、大きな日除け帽子を片手で押さえ、ベビーカーのスピードを上げた。
「はいっ、菜々ちゃん、アブないヤツ確定!!」
35は高らかに笑った。
しかし、菜々の表情が暗く沈んでいる事に気付き、笑いを急停止させる。
35が発した悪ふざけの言葉は、菜々のトラウマになっている言葉と偶然、似ていたのだ。
そのトラウマの詳細を35は知らない。
「……ごめん、菜々ちゃん、私、ちょっとふざけ過ぎた」
「いいのよ、あんたの言う通りだから」
菜々は静かに歩き出す。
「でもさ、菜々ちゃんは小学生時代、成績良かったって聞いたよ? 能力使わず、学年のぶっちぎりトップだったって……」
「まあね、ちょっとブランクあったし……色々目立つのが嫌になった、ていうか……」
35には不思議な事ではあったが、先程の悶着もあり、深い詮索はしなかった。
菜々と35の付き合いは、まだ浅い。
●明日も夜に上げます。




