第23話【夏のビブスと分岐点】
女子高校生の朝寅菜々は、数字と会話が出来る能力を持っていた。
【キャラと数字紹介】
渋谷大河・菜々の幼馴染。陸上部の有力部員。特性がある。
美海先輩・陸上部の先輩。凄い巨乳。
35・菜々のお気に入りラグランTシャツの胸のプリント。世代的感覚が菜々と近い。
12・祖父から貰った腕時計の文字盤。執事風キャラで好奇心旺盛。菜々とは子供の頃からの付き合い。
1955・スタジアムジャンパー。菜々の心強い味方だが行動と発言が少々過激。
●毎日夜に上げられるように頑張ります。
一学期の終業日。
菜々は部活を終え更衣室に向かう途中、大河に声を掛けられた。
「菜々ちゃん、一緒にビブス、洗いに行こうよ」
ビブスとは、部活内でグループ識別に使う蛍光色の上着の事である。
部の所有物なので誰も洗濯をせず、放置され気味なのだ。
大河が持つカゴに山盛りされているビブスからは、部員達の練習の成果が漂っている。
(……あたしも部活終わりで汗のニオいが……)
汗だくの練習着のまま外出するのを菜々は一瞬ためらったが、大河の後ろに美海先輩の姿が見えたので「うんいいよ」と光速で返答をする。
迂闊に「着替えるから待ってて」などと言おうものなら、美海先輩が「じゃ私が代わりに大河君と行くね」と隙を突いて来る可能性が充分にあるので、汗だくのままの外出を緊急決定である。
「私が大河と行こうとしたのに!!」
美海先輩の表情はそう言っていた。
しかし菜々の視線に気付くと
「……今日のところは譲ってあげる」
という余裕の笑みを作って見せた。
菜々と大河は校舎裏の通用門を抜け、最短ルートを使ってコインランドリーへと向かった。
西の空で粘りを見せている太陽は、明日の暑さを予告しているかのようだった。
完全な日没までには、まだ数時間程かかるだろう。
「冬だったら今の時間、完全な夜だよね。こんなに違うの、面白いよね、菜々ちゃん」
笑顔の大河は、横に並んで歩く菜々の顔を嬉しそうに何度も確認していた。
(ああ、昔もこんな事があったな……)
変わったのは、真横にあった大河の顔が斜め上に移動していて、見上げる仕草が一手間増えた事だろうか。
大河の穏やかな表情に、茜色に染まりつつある太陽が重なっていて、菜々は目を細めた。
久し振りに手を繋いでみようかな、と菜々は思った。
保育園時代は毎日、繋いでいた手だ。
小学生の時に拒否しちゃって、悪い事したなって、ずっと後悔していた。
今なら大丈夫かな。
大河は両手でビブスの入った巨大なカゴを持っている。
大河ならこれを片手で抱えられるハズだ。
空いた方の大河の手を……。
菜々は、さり気なさを最大限に装って、声に出して言ってみた。
「大河さ、そのカゴ、片手で持てる!?」
「あっ、それ、いいね!!」
立ち止まって菜々の方を向いた大河は、どう解釈したのか、カゴの二つある持ち手の片方を自分で持ち、もう片方を菜々に「はい」と向けた。
差し出されたカゴの持ち手を菜々は、ゆっくりと握った。
大河は前に向き直り再び歩き出し
「ちっょと軽くなったなあ」
などと言っている。
ほぼ10年ぶりの二人の手繋ぎは、間に香しいビブスを挟んで、実現した。
(はっきり手を繋ごうと言うべきだった……)
文脈を読むのが苦手な大河に対して消極的な言動だったと猛省する菜々が突然、横によろけた。
カゴの両端を引っ張り合うように二人はVの字に傾いて歩いていたが、大河がふざけてカゴを持つ手を緩めたのだ。
「何よ大河!! 危ないでしょ!!」
「ははは」
菜々はカゴを引っ張り返したが、大河は微動だにしない。
今度は、下半身を落とし、本気で両手を使って持ち手を引っ張った。
「おっとっと」
大河が菜々のよろけた姿の真似をした。
反動で二人の手からカゴが離れ落下する。
カゴは地面に半円を描きながら転がり、夏に照らされたアスファルトの上にビブスが散乱した。
その時、よろけた真似をして近付いて来る大河が、スローモーションになった。
あれ、変だな、と菜々は思った。
目に見える時間の流れと、思考のスピードのバランスがおかしい。
(なんだ、これは……!?)
ゆっくりと流れる時間の中、菜々は閃いた。
(そうだ、このまま大河に抱き着いてしまおう)
と。
(あたしが抱き着いたら大河はどんな顔をするのだろう……)
それは魅力的でナイスアイデアだった。
しかし菜々はその企みを瞬時に断念する。
視線の先に美海先輩の姿があったのだ。
今来た一本道の先に見える、学校通用門前に立つ腕組み。
距離が離れていて美海先輩の表情は見えないが、感情の全てが鮮明に理解出来るオーラを発していた。
そこで時間の流れが元に戻った。
菜々は慌てて散乱したビブスを拾い集めた。
(……あっぶねぇー。美海先輩、絶対に怒ってるよ……そしてビブス、臭え……)
手を繋ぐどころか、抱き着いたりしたら『部活内恋愛禁止』事項に引っ掛かり二人は揃って部活クビであったろう。
……そしてこの後、コインランドリーへ行く事も無かったに違いない。
二人が向かっているランドリーは、梅雨時に起きた「声掛け事案」の現場である。
警察沙汰にもなり、まさかあのスーツの男が再び現れる事は無いだろう、という楽観的な見方もあり、部活動での使用頻繁に変化は無い。
何より、学校から徒歩数分の立地は、他に代え難い利便性であった。
ランドリーの自動ドアが開き、エアコンで冷やされた空気が二人を包む。
洗濯機が幾つか稼働していたが店内は無人だった。
大河は一直線に中央の洗濯機に進み、扉を開けビブスを一枚一枚丁寧に投入し始めた。
十数台ある洗濯乾燥機の中から、大河はいつも同じ機体を選んで使用している。
ルーティンを重視する大河の特徴の一つだった。
大きな身体を丸めて丁寧にコインを投入する大河の後ろ姿を眺めながら菜々は
「なんかドリンク、買って来ようか」
と声を掛けた。
すると大河は手を止めて後ろを振り返り
「ありがとう菜々ちゃん。僕はカルピスウォーターがいいな」
と言い前を向き直りコイン投入を再開した。
「自販機って、近くにあったっけ!?」
ガラス張りのドアの前で外を覗き込む菜々に
「店を出て右を歩くと11メートル先にあるよ」
とコインの投入を終えた大河が答える。
店の外に出て右を見ると確かに自販機が見えた。
(……11メートル先って……大河らしいな)
ちょっと笑ってしまった菜々だったが、優秀な陸上選手の空間認知能力の一旦なのでは!? という点に思い至ったので、ランドリーと自販機の中間地点で立ち止まり目測する。
確かに11メートルかも知れないな、と菜々が思った時、数字の叫び声が聞こえた。
「そこの女の子、逃げて!!」
それは、電柱に貼られていた広告の数字から発せられていた。
菜々は後日、12の「御近所のお知り合い」からの叫びであった事を知る。
突然の警告に菜々は反応が出来なかった。
立ち尽くしてしまった一瞬後、側道から声が聞こえる。
「ああ、姐さん、この娘です」
振り返ると、あのスーツの男と、見知らぬサングラスの女が側道から菜々に近づいて来た。
「この女子高生かい!? 結構可愛らしいじゃん」
というサングラスの女の声が終わらないうちに、菜々は反射的に逆方向に走り出す。
しかし数歩で大柄な、これも見知らぬ女に正面から抱え込まれて身動きが出来なくなった。
「お嬢ちゃん、暴れないで、ちょっとだけ、ちょっとだけ時間をくれないかな!?」
サングラスの女が懇願するように言う。




