第八章 実りの季節(後編)
十月。
朝の風はすっかり秋らしくなっていた。
商店街の街路樹は少しずつ色づき始め、栞堂の店先にも落ち葉が舞うようになった。
あれほど山積みになっていた修理品も、一つ、また一つと持ち主のもとへ帰っていく。
「ありがとうございました。」
「また大事に使います。」
「本当に助かりました。」
そんな言葉が店内に増えていった。
修理を終えた品物を受け取るお客さんの笑顔を見るたび、琴葉は胸の奥が温かくなる。
「少し落ち着いてきましたね。」
閉店前。
受付台帳を閉じながら琴葉が言う。
以前は依頼でびっしり埋まっていたページも、ようやく整理できるようになってきた。
澪は修理棚を見渡し、小さく息をつく。
「うん。」
「まだ預かっているものはあるけど、一番忙しい時期は越えたかな。」
その表情には、久しぶりに穏やかな笑みが戻っていた。
「ちゃんと寝られてます?」
琴葉が少し意地悪そうに尋ねる。
澪は苦笑しながら答える。
「昨日は七時間寝た。」
「本当ですか?」
「本当。」
「じゃあ合格です。」
二人は顔を見合わせて笑った。
*
午後四時。
今日も子どもたちが栞堂へやって来る。
「こんにちはー!」
「琴葉ちゃーん!」
「澪ちゃーん!」
もう、この時間になると誰も「いらっしゃい」と言わなくても自然に店へ入ってくる。
「今日は何読む?」
「新しい絵本ある?」
「宿題も持ってきた!」
琴葉は笑顔で本棚へ向かう。
「今日は秋のお話にしようか。」
「さんせーい!」
子どもたちがソファへ集まり、読み聞かせが始まる。
澪は作業机で万年筆の最終調整をしながら、その声を静かに聞いていた。
以前なら工具の音だけが響いていた店。
今では笑い声も、ページをめくる音も、栞堂の大切な音になっている。
*
読み聞かせが終わると、一人の男の子が琴葉を見上げた。
「琴葉ちゃん。」
「なあに?」
「最近ちょっと来るの遅いよね。」
「あ。」
思わず苦笑する。
「大学が始まったからね。」
「大学ってそんなに忙しいの?」
「うん。」
「授業もあるし、レポートもあるし。」
「ふーん。」
子どもたちは少し難しそうな顔をする。
すると澪が笑った。
「琴葉ちゃん、毎日頑張ってるもんね。」
琴葉は少し照れくさそうに笑う。
「実はね。」
「もう一つ忙しくなりそうなんだ。」
「え?」
子どもたちが一斉に顔を上げる。
「大学で学園祭があるの。」
「がくえんさい?」
「お祭り?」
「学校のお祭りみたいなものかな。」
「お店出るの?」
「まだ何をするか決まってないけど、これから準備が始まるんだ。」
「へぇー!」
子どもたちの目が輝いた。
「楽しそう!」
「琴葉ちゃん、お店やるの?」
「わかんない。」
「でも、みんなで準備するんだって。」
「見に行ける?」
その質問に琴葉は少し考える。
「一般の人も入れる日があると思うよ。」
「ほんと!?」
「行きたい!」
「ぼくも!」
子どもたちは大騒ぎになる。
*
その様子を見ていた八百屋の店主が笑った。
「大学祭か。」
「懐かしいな。」
花屋の女性も頷く。
「青春ねぇ。」
和菓子屋の店主が腕を組む。
「琴葉ちゃんが接客してるなら見に行こうかな。」
「いやいや。」
琴葉は慌てて手を振る。
「まだ何も決まってませんから。」
澪はくすっと笑った。
「でも、楽しみだね。」
「はい。」
琴葉は嬉しそうに頷く。
「大学に入って初めてちゃんと参加できそうなんです。」
去年はまだ大学生活にも慣れず、講義についていくことで精一杯だった。
今年は違う。
大学にも。
栞堂にも。
居場所がある。
だからこそ、新しいことにも挑戦したいと思えた。
*
夕方。
子どもたちが帰ったあと。
店内は静かな時間に戻る。
澪は修理棚を整理しながら話しかけた。
「学園祭、何をやるか楽しみだね。」
「まだ来週の打ち合わせで決めるみたいです。」
「模擬店かな。」
「展示かな。」
「どっちだろう。」
琴葉は少し笑う。
「もし時間があったら。」
少しためらってから続ける。
「澪さんも来ませんか?」
澪は少し驚いたように目を丸くした。
「私?」
「はい。」
「せっかくなので。」
「栞堂とは違う私も見てもらいたいです。」
その言葉に澪は優しく微笑んだ。
「予定が合えば、もちろん。」
「本当ですか?」
「うん。」
「行ってみたい。」
琴葉の表情がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます。」
「でも。」
澪は少し笑う。
「子どもたちも来そうだけどね。」
二人は顔を見合わせて笑った。
*
閉店後。
店の前を二人で掃除する。
秋風が落ち葉を転がしていく。
「忙しい毎日も、少し落ち着きましたね。」
琴葉が空を見上げる。
「うん。」
澪も頷く。
「でも今度は琴葉ちゃんが忙しくなる番かな。」
「そうかもしれません。」
琴葉は笑った。
大学。
栞堂。
そして学園祭。
やることは増えていく。
それでも不思議と、不安より楽しみの方が大きかった。
「頑張ります。」
その言葉は自然に口をついて出た。
澪は穏やかに微笑む。
「応援してる。」
その一言が、琴葉には何より心強かった。
秋の夕焼けが商店街を優しく染めていく。
修理品は少しずつ持ち主のもとへ帰り、栞堂にも穏やかな時間が戻り始めていた。
そして今度は、琴葉の大学生活に新しい季節が訪れようとしている。
その先には、たくさんの出会いと、まだ知らない思い出が待っているのだった。
(第八章 完)




