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第七章 新しい季節(前編)


九月。


朝の空気に、少しだけ涼しさが混じってきた。


琴葉は窓を開けて伸びをする。


「もう九月かぁ……。」


後期はまだ始まっていない。あと二週間ほど休みがある。


軽く朝食を済ませてスマホを見ると、母からメッセージ。


『健が今日も「学校めんどくさい」って言ってたよ。』


思わず笑う。


『ちゃんと行きなさいって言っといて(笑)』


すぐ返事が来た。


『言ったら「琴葉お姉ちゃんも頑張ってるなら行く」だって』


「ふふっ。」


健らしい。


自然と笑顔になる。



午前九時。


カラン、カラン――。


「おはようございます。」


「おはよう。」


澪が店先で振り返る。


「今日も暑いね。」


「でも朝はちょっと涼しかったです。」


「だね。」


「開けようか。」


「はい。」


今日も栞堂の一日が始まる。



開店してすぐ。


「おはよう!」


八百屋の店主が顔を出した。


「梨持ってきた!」


「ありがとうございます。」


紙袋いっぱいの梨。


「子どもたち来たら切って食べな。」


「いいんですか?」


「いいのいいの。」


「琴葉ちゃんにもな。」


「ありがとうございます。」


澪が笑う。


「またもらっちゃった。」


「ほんと優しいですね。」


「昔からこうなんだ。」


「いいですね。」


「うん。」



午後。


「こんにちはー!」


子どもたちが元気に入ってくる。


「琴葉ちゃん!」


「今日も来た!」


「もちろん。」


「学校どうだった?」


「疲れた!」


「宿題も出た!」


「もうやった!」


「えらい。」


「だから遊びに来た!」


「本も読む!」


「ゲームは?」


「ありません。」


琴葉が笑う。


「ここ本屋さんだから。」


「そうだった!」


店内に笑い声が広がる。


一人の男の子が本棚の前で立ち止まる。


「琴葉ちゃん。」


「なに?」


「この本読める?」


少し難しそうな児童文学。


「一緒に読もうか。」


「うん!」


琴葉はソファに座る。


子どもたちも集まり、読み聞かせが始まった。


ページをめくる音と、時々こぼれる笑い声。


澪はカウンターから静かに見守り、小さく微笑んだ。



読み聞かせが終わる頃、年配の女性が入ってきた。


「こんにちは。」


「いらっしゃいませ。」


店内を見回して、穏やかに笑う。


「ずいぶん賑やかになったのね。」


「ありがとうございます。」


「いい賑やかさ。」


澪は軽く頷く。


女性はバッグから小さな木箱を取り出した。


「お願いがあって。」


中には古いオルゴール。


「主人にもらった大事なものなの。」


「最近、動かなくて。」


澪は手袋をはめて、そっと手に取る。


ゼンマイを回すが、音は鳴らない。


「……。」


琴葉も隣に立つ。


「直りそうですか?」


澪は中を確認して頷く。


「たぶん。」


「時間はかかるけど。」


女性はほっとした顔になる。


「よかった。」


「また聴けるのね。」


「絶対とは言えませんけど。」


澪は静かに言う。


「できるだけやってみます。」


女性は深く頭を下げた。


「お願いします。」


琴葉はそのやり取りを見つめる。


澪の真剣な表情が印象に残った。



閉店後。


作業机にオルゴールが置かれている。


澪は工具を並べながら言う。


「久しぶりに難しそう。」


「そんなにですか?」


「部品がかなり古いから。」


琴葉は少し考えて笑う。


「でも、澪さんなら直せます。」


澪は少し照れて笑った。


「そう言われるとね。」


工具を手に取る。


「頑張らないと。」


少しの沈黙。


外から虫の声が聞こえる。


澪がふと手を止めた。


「……ねえ、琴葉ちゃん。」


「はい?」


「後期始まったら忙しくなる?」


「そうですね。」


「授業も増えますし、レポートもあります。」


少し考えて続ける。


「毎日は来られないかもしれませんけど……」


「時間がある日は来たいです。」


澪は小さく頷く。


「そっか。」


少し迷うように視線を落とす。


「……あのさ。」


「はい?」


澪は少し照れたように笑った。


「よかったら、栞堂でバイトしてみない?」


「え?」


思わず声が出る。


「無理にとは言わないよ。」


「大学優先でいいし、来られる日だけでも。」


少し言葉を探す。


「今もすごく助かってるけど……」


「ちゃんとお願いしたくて。」


琴葉はしばらく黙る。


バイト。


栞堂で。


ただ通う場所じゃなくなる。


でも。


ここで過ごした時間。


子どもたちの笑顔。


澪の隣で見てきたもの。


全部が浮かぶ。


「……私でいいんですか?」


澪はすぐ頷いた。


「琴葉ちゃんがいい。」


まっすぐな言葉だった。


琴葉は少し俯いて、ゆっくり顔を上げる。


「少し考えてもいいですか?」


「もちろん。」


澪は優しく笑う。


「急がなくていいよ。」


店の中は静かだった。


でも、その静けさの中で、新しい何かが動き始めている。


琴葉はオルゴールを見る。


まだ音は鳴らない。


でも、きっと直る。


時間をかけて向き合えば。


それは、自分の気持ちも同じかもしれない。


新しい季節。


新しい選択。


栞堂での時間は、少しずつ形を変えていく。


(第七章中編へ続く)

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