第五章 灯りのともる街(中編)
「琴葉ちゃん、早く!」
「待って。順番にね」
「射的!」
「私は金魚すくい!」
「じゃんけんで決めて」
二人はすぐに向き合い、勝った男の子が嬉しそうに声を上げる。
「やった!射的!」
「次は金魚すくいだからね!」
「分かってる!」
「走らないで」
「はーい!」
言いながら走っていく背中に、琴葉は小さくため息をついた。
「……絶対分かってない」
それでも、自然と笑みがこぼれる。
*
射的の屋台。
男の子が真剣な顔で銃を構える。
「どれ狙うの?」
「弟にあげるやつ」
指差したのは小さな箱。
「弟いるの?」
「四歳」
琴葉は少しだけ笑う。
「私もいるよ、弟」
「ほんと?」
「うん。もっと大きいけど」
少しだけ懐かしさがよぎる。
「じゃあ、あれどう?」
琴葉が車のおもちゃを指すと、男の子は頷いた。
「弟、車好き!」
慎重に狙いを定める。
一発目は外れ、二発目で箱が揺れ、最後の一発で落ちた。
「やった!」
「よかったね」
「弟にあげる!」
嬉しそうに抱える姿に、琴葉はふと自分の弟を思い出す。
――今度、何か買って帰ろうかな。
*
次は金魚すくい。
「琴葉ちゃんもやって!」
「私も?」
「一緒に!」
結局、琴葉もポイを持つ。
「難しい……」
「琴葉ちゃん下手!」
「まだやってないよ」
慎重にすくおうとして、すぐに破れる。
「ほら!」
「難しいんだって」
女の子も挑戦するが、同じように逃げられる。
「あー!」
思わず二人で笑った。
店主が声をかける。
「一匹ずつ持ってくか?」
「いいの!?」
「いいよ」
女の子は嬉しそうに袋を受け取る。
「私が二匹飼う!」
「ちゃんと世話できる?」
「できる!」
「約束ね」
「うん!」
袋の中で金魚が揺れる。
「名前つける!」
「何にするの?」
「琴葉と澪!」
「……なんで?」
「好きだから!」
あまりにも素直な答えに、琴葉は言葉を失う。
「こっちが琴葉ちゃん!」
「どっち?」
「大きい方!」
「……そう」
ほっとする自分に苦笑する。
「こっちが澪ちゃん!」
「澪さん、だけどね」
「澪ちゃん!」
「まあいいか」
琴葉は小さく笑った。
*
そのあと三人で屋台を回る。
かき氷、りんご飴、そして大きなわたあめ。
「琴葉ちゃん、これ持って!」
女の子が差し出したわたあめは顔が隠れるほど大きい。
「そんなに食べられるの?」
「食べる!」
「落とさないでね」
琴葉が持ってあげると、女の子は嬉しそうにちぎって食べる。
「琴葉ちゃんも!」
「少しだけ」
ふわりと口に入れると、すぐに溶ける甘さに思わず目を細める。
「甘い……」
「でしょ!」
そのとき、近くの屋台でお面が並んでいるのが目に入る。
「琴葉ちゃん、お面!」
「え?」
「これ似合う!」
女の子が手に取ったのは狐のお面だった。
「いや、私はいいよ」
「いいから!」
半ば強引に渡される。
「……」
少し迷ってから、琴葉はそっと顔に当てる。
「どう?」
「かわいい!」
「似合う!」
二人が声を揃える。
「そう?」
お面越しに周りを見ると、少しだけ世界が違って見える。
「琴葉ちゃん、もう一個!」
今度は男の子がひょっとこのお面を持ってくる。
「それはやめて」
「絶対似合う!」
「似合わなくていい」
三人で笑う。
琴葉は狐のお面を頭にずらしてつけたまま、わたあめをもう一口食べる。
提灯の光が、ふわりと揺れる。
白い綿あめが、その光を受けて淡く透ける。
その中で笑う琴葉の横顔は、どこか幼く、どこか柔らかかった。
*
歩いていると、店の人たちに声をかけられる。
和菓子屋から水まんじゅう、八百屋から冷やしきゅうり、花屋から着崩れの確認。
「楽しんでる?」
「はい、すごく」
自然にそう答えている自分に気づく。
名前を呼ばれ、気にかけられ、笑われる。
提灯の灯りが、通りをやさしく照らしている。
その光の中に、自分がいる。
――悪くない。
この街は、すごく悪くない。
*
日が沈み、人が増えてくる。
提灯の赤が、少しずつ濃くなる。
「そろそろ戻ろうか」
「えー!」
「あとでまた来ればいいでしょ」
「琴葉ちゃんと!」
琴葉は少しだけ言葉を選ぶ。
「このあと、澪さんと回るから」
「デート?」
「違います」
即答したのに、少しだけ胸が跳ねる。
「二人で回るならデートじゃん」
「違うって」
「大人って大変」
「何それ」
三人で笑う。
その笑い声も、提灯の光の中に溶けていく。
*
栞堂に戻る。
「ただいま」
自然に出た言葉に、自分で少し驚く。
「おかえり」
澪も自然に返す。
「どうだった?」
「楽しかったです」
もらったものを見せると、澪が笑う。
「人気者だね」
「いっぱいもらいました」
「それだけ、この街の人になったってことじゃない?」
琴葉は少しだけ考えて、笑う。
「そうだったら、嬉しいです」
「もうなってるよ」
その言葉が、胸に残る。
静かな店内に、外の祭りの音がかすかに届く。
その間に、ほんの少しの沈黙が落ちる。
けれど、それは居心地の悪いものではなかった。
*
子どもたちは帰っていく。
「また明日!」
「宿題持ってきてね」
「えー!」
笑いながら走っていく。
「澪ちゃんとデート楽しんでね!」
「だから違う!」
声が遠ざかる。
少しの静けさが戻る。
「デートだって」
「違います」
「一緒に回るだけでしょ?」
「……そうです」
ほんの一瞬、言葉が途切れる。
澪が笑う。
「じゃあ、祭り散歩?」
「変な名前つけないでください」
二人で笑った。
その笑いも、すぐに静けさに溶ける。
*
店を片付ける。
「ありがとう」
「臨時店員なので」
「今日だけ?」
「今日だけです」
「残念」
琴葉は少しだけ間を置いて言う。
「私も、ここにいるの普通になってきました」
澪が柔らかく笑う。
「そっか」
短い言葉のあとに、静かな間が落ちる。
外の提灯の光が、ガラス越しに揺れている。
*
店を閉める。
「お待たせ」
「行きましょう」
扉を開けると、夜の空気と一緒に、祭りの音と光が流れ込んでくる。
提灯の列が、道の先まで続いている。
「何食べる?」
「焼きそば」
「あとたこ焼き」
「食べすぎです」
「琴葉ちゃんも食べるでしょ?」
「少しなら」
二人で歩き出す。
人の流れの中に、自然と並ぶ。
*
「今日は何枚撮ったんですか?」
「いっぱい」
「私も?」
「いっぱい」
「なんで私ばっかり」
澪は少し考えて笑う。
「撮りたくなるから」
琴葉は言葉を失う。
提灯の光が、二人の間に落ちる。
「どういう意味ですか?」
「そのまま」
カメラが向けられる。
「こっち見て」
一瞬の沈黙。
琴葉が視線を上げる。
カシャ。
「また」
「今のいい」
「確認してないのに」
「分かる」
琴葉は小さく笑う。
「変なの」
その笑顔も、光の中に残る。
*
少し歩いて、琴葉が振り返る。
提灯の灯りが、背後で揺れている。
「今度は貸してください」
「カメラ?」
「はい」
「何撮るの?」
ほんの一瞬、言葉を選ぶような間。
琴葉は少しだけ笑う。
「澪さんを」
澪が驚きながらもカメラを渡す。
琴葉は構える。
ファインダーの中に、澪がいる。
提灯の光が、やわらかく輪郭を縁取る。
人の流れが、背景でぼやける。
――残したい。
その気持ちが、静かに胸に広がる。
息を整える。
ほんの一瞬の沈黙。
カシャ。
音だけが、はっきりと夜に響く。
「どう?」
「……いいと思います」
少しだけ間を置いて答える。
「見せて」
「あとでです」
カメラを返す。
指先が、ほんの少し触れる。
言葉にはならない沈黙が、そこに落ちる。
*
再び歩き出す。
提灯の列が、ゆっくりと揺れている。
人の流れの中で、二人は並ぶ。
言葉はない。
けれど、離れない距離。
足音と、遠くの祭り囃子だけが続く。
琴葉は、ふと横を見る。
澪がいる。
同じ光の中に。
同じ夜の中に。
そのことが、なぜか少しだけ特別に感じられる。
提灯の灯りが、二人の影を重ねる。
その影が、ゆっくりと伸びていく。
――まだ、夜は続く。
――まだ、言葉にしていないことも、たくさんある。
そのすべてを含んだまま。
二人は、同じ方向へ歩いていく。
――二人だけの夏祭りが、始まった。
(第五章後編に続く)




