第四章 栞堂の夏休み(中編)
夏祭りまで、あと一週間。
商店街は提灯や飾りで賑わい、栞堂の窓にも色紙の輪飾りが揺れていた。
「……ここ、やっぱり曲がってます」
琴葉が見上げる。
「いいじゃん、味があって」
「直します」
「えっ」
琴葉は椅子に乗り、手際よく整えていく。
「店長より修理に厳しい……」
「澪さんが雑なんです」
軽口を交わしながら、いつもの一日が始まる。
朝は琴葉が来て、昼には子どもたちが集まり、夕方は祭りの準備。
琴葉の夏休みは、すっかり栞堂中心になっていた。
*
昼過ぎ。
「琴葉ちゃーん!」
元気な声とともに、いつもの二人が飛び込んでくる。
「走らない」
「早歩き!」
「同じです」
宿題を広げる二人に、琴葉は淡々と指示を出す。
「読書感想文は自分で書くこと」
「えー!」
「感想は教えられません」
澪が笑う。
「琴葉先生、厳しいね」
「澪さん、修理してください」
「何を?」
「その性格」
「それは無理だなあ」
笑いが広がる。
そんな中、女の子が思い出したように言った。
「浴衣、見たい!」
「今は無理です。祭りの日に」
「今がいい!」
「宿題」
「浴衣!」
押し問答が続く中、澪は楽しそうに見ているだけだ。
そこへ花屋の女性が入ってきた。
「浴衣、どうだった?」
「サイズは大丈夫なんですけど……少しきつくて」
その一言で、子どもたちの視線が集まる。
「琴葉ちゃん、おっぱい大きいんだね」
店内が一瞬静まり返る。
澪は顔を背けて肩を震わせている。
「澪さん」
「……何?」
「笑ってますよね」
「笑ってない」
「絶対笑ってる」
琴葉は強引に話を切り替えた。
「はい、宿題!今日は三ページ!」
「増えた!」
「二ページでいいです。でもちゃんとやること」
花屋の女性は苦笑しながら言う。
「少し直せば大丈夫よ。当日は任せて」
「お願いします」
女性が帰ると、店内はまた穏やかな空気に戻った。
*
午後三時。
子どもたちが帰り、静かな時間が戻る。
カラン、とベルが鳴り、一人の女性が入ってきた。
手には古びた小さな箱。
「こちらで修理を?」
「はい、見せてください」
箱の中にはオルゴールが入っていた。
ぜんまいは動かず、音も鳴らない。
「十年以上前からです」
澪は丁寧に確認しながら尋ねる。
「修理歴は?」
「ありません」
女性は少し迷ってから話し始めた。
「これ、娘のものなんです」
小学生の頃、父親が買ってきたもの。
毎晩のように鳴らしていたという。
「今度、その娘に子どもが生まれるんです」
だから、この音をもう一度届けたい。
店内が静かになる。
「分かりました」
澪は頷いた。
「直るかは分かりませんが、できる限りやってみます」
女性は安心したように微笑んだ。
*
女性が帰ったあと。
琴葉はカウンターに近づく。
「見ててもいいですか?」
「いいよ」
澪は工具を並べ、慎重に裏板を外す。
小さな機構が現れる。
「すごい……」
「ここが回って音が鳴る」
澪は状態を確認する。
「油が固まってるのと、部品が少し曲がってる」
琴葉は黙ってその手元を見つめる。
普段の軽い雰囲気とは違う、集中した横顔。
「こういうとき、店長っぽいですね」
「どういう意味?」
「ちゃんとしてるってことです」
「普段は?」
「……言ってません」
二人は少し笑う。
「直したいですね」
「うん」
「娘さんのために」
澪は少し考えてから言った。
「一番は、持ってきた人のためかな」
琴葉は黙る。
「直したいって思って、ここまで持ってきたのはその人だから」
その言葉に、琴葉はオルゴールを見つめた。
物だけじゃない。
そこにある思いも、一緒に残す。
「……すごいですね」
「何が?」
「澪さん」
澪は少し照れたように笑う。
「急にどうしたの」
「なんとなくです」
琴葉は続ける。
「私、まだ栞堂のこと、ちゃんと知らないなって」
「じゃあ、これから知ればいいよ」
「いいんですか?」
「もちろん」
琴葉も小さく笑った。
*
夕方。
「明日も見ていいですか?」
「いいよ。たぶん音、鳴るかも」
「本当ですか?」
「たぶんね」
琴葉は嬉しそうに頷く。
「絶対来ます」
店を出ると、夕暮れの商店街に提灯が揺れていた。
夏祭りも近い。
でも今は、それとは別の楽しみがある。
止まっていたものが、もう一度動き出す瞬間。
それを、この場所で見たい。
琴葉は栞堂の看板を見上げ、静かに笑った。
――明日も、ここへ来る。
(第四章後編に続く)




