戦後の時代・焦土からの復活~そして町の顔に
兵隊さんが去り、そしてまたたくさんの兵隊さんを見送ってきた私。最初のうちは見送るだけだったが、いつしか白木の箱を出迎える事も多くなってきた。それは、出陣した先で命尽きた兵隊さんの「物言わぬ帰還」であった。
戦争は激しさを増し、ついに本土にも敵機が来襲するようになった。人々は防空訓練に勤しみ、子供たちは田舎へと疎開する。駅はいつしか悲しく暗い場所になっていった。
ある夜、駅近くの駐屯地と工場を狙うべく多数の爆撃機が町を襲った。駐屯地や工場には爆弾が、町には焼夷弾が落とされ、すべてが火の海と化していた。駅も、あの優しかった店主の売店も、すべてが燃え上がった。私もまた、激しい火の粉を浴び、自慢の枝葉の半分を黒焦げにされる。
熱くて、苦しくて、このまま灰になって倒れてしまいそうだった。
そんな時、私の根の奥底で響いたのは、あの兵隊さんの心の言葉だった。
『必ず帰ってきます』
彼はそう言ったのだ。彼女も『絶対に帰って来て下さい』
そう言っていたじゃないか。必ずここへやってくる。駅長さんとも約束した。私がここで出迎えなきゃ、あの二人は出会えないじゃないか――!
空襲の後、私は奇跡的に焼け残った。焦土と化した町にポツンとそびえる、イチョウの木。
焼け出された人たちは、私の姿を見て、ただじっと立ち尽くしていた。町は焼けたがイチョウは残った。そこに一筋の希望があった。
夏の暑い日だった。駅前にラジオが置かれ、正午から放送が始まった。
町の人々はラジオから流れる音声を、じっと聞いていた。泣き崩れる者もいた。
そんな中、汽笛が響いた。戦争が終わった。けれども鉄道は動いていた。
泣いている暇はなかった。次は生きるための戦争が始まろうとしていた。
私の体はあちこち焼かれ、痛々しいものだった。だが、倒れることなく地面に根を下ろしていた。夏から秋、そして冬。そして春がやってくる頃には、火傷で痛々しい幹から、新しい新緑の芽が芽吹いていた。私は少しずつみんなに希望を与えようと頑張った。
戦争が終わり、しばらくすると海外からの復員兵を乗せた列車が、駅にやってくるようになった。その列車が到着するたびに、あの女性は私の根元で、改札口の方を見ていた。男たちの顔を一人一人必死に覗き込み、人違いに落胆し、また次の列車を待つために私の幹に背中を預ける。
列車の音が響くたびに跳ね上がり、そして誰も降りてこないと分かった瞬間に冷たく萎んでいく彼女の鼓動を、私は静かに受け止め続けた。
結局、あの兵隊さんが帰ってくることはなかった。
焼け野原だった町には、バラックが立ち並び、駅前は闇市の喧騒で賑わっていた。誰もが生きることに必死だった。私の事なぞ見向きもしない。私を気遣ってくれたあの売店の店主、どこに行ってしまったのだろう。誰にも見向きもされない寂しさが、私を包んでいた。
時は過ぎ、オリンピックだ、高度経済成長期だ。とみんなが浮かれる中、街は猛烈な勢いで変化していった。一度、空襲で焼けバラックになっていた駅舎は、コンクリートのビルに生まれ変わり、駅前の土ほこりの立つ広場は、アスファルトで埋められ、自家用車やバスが行きかう。
そんな急成長で、駅前は手狭になり、駅前の再開発計画が持ち上がってきた。
「このイチョウの木、邪魔だな。これさえなければ、もっとバスを停められるのに」
作業着に身を包んだ男たちが図面を広げ、私の幹に無情な「赤いバツ印」をつけた。私はすごく落胆した。
『駅長さん、ごめんなさい。私はもう、ここでお客さんを出迎えることができなくなります』
そんな話が進む中、町の人たちは黙っていることが出来なかった。
「あのイチョウは、戦争の焼け野原から俺たちの復興を見守ってくれた木だぞ!」
「子供の頃、あの木の下で焼き芋を食べたんだ」
「あのイチョウの下で、父親の帰りを待っていたんだ」
大規模な再開発反対運動が巻き起こり、私の足元では署名活動が活発に行われた。署名簿には、あの初老となった彼女の名前も小さく刻まれた。
私は、うれしかった。みんなが私を必要としてくれている。
私はただのイチョウではない。みんなの希望、誇り、安息だった。
再開発反対の運動は、次第に計画を進める市長・議会のリコールまで発展しそうな勢いだった。
自分たちの足元まで脅かされそうになると、人間は弱いものだ。あっさりと計画は見直され、私の為だけの緑地、ロータリーが整備されることになった。
気が付けば私は「駅前の大きなイチョウの木の下で」という待ち合わせ場所から、新しい駅前広間の「優しいシンボル」として、人々を迎えることになったのだ。




