第十六話 全力投球
レオンは私の部屋に入ったことがある。
……別に色っぽい理由では、ない。
「あれ以来ヤツは出てないのか?」
ひとまず魔女のおばあちゃんからもらった家へと向かっているなか、レオンはその時の話題を続けようとしていた。
「その話はしないでください。考えただけでもおぞましい」
きっと私は最大限顔を顰めていたのだろう。チラッとこちらへ視線を向けたレオンが慌てて目をそらした。
私が大嫌いなアレが出たとき、パニックになり手当たり次第近くの物を投げつけた。しかし、ホントに怖いのは、いるのに姿が見えないとき。
時折カサッカサッと音が鳴る、ような気がする。自分の服の衣擦れですら、ビクッと驚いてしまう。
空虚な睨み合いの時間が過ぎ、私はこの世界に来て二番目くらいに大きな絶望を感じていた。
今まで当たり前にあった日常を失ったことを再実感したのだ。頼りになるお母さん。へっぴり腰だけど一緒に退治してくれるお父さん。冷たいけど、こういうときは助けてくれるお兄ちゃん。
便利な殺虫剤。困った時にすぐなんでも検索できるネット。
頼るべき人がいないのはこんなに辛いのか。あの頃当たり前に感じていた人たちにこんなにも頼っていたのか。
たかが小さな虫だけど、それっぽっちもどうすることもできない現状。
そして、不意に頭に浮かんだのは。
「そうだ、まだいるかも」
そっけないけれど、いつも私の話を聞いてくれる人。
「あの時はやたら慌ててるから、町中にまさかモンスターでも出たのかと思ったんだがな。まさか、ゴ」
「それ以上は言わないでください」
かぶせ気味に遮り、手を伸ばして口をふさいでやった。その手はすぐ払われたが。
「いや、誰でも驚くだろう。まがいなりにもソロで活動している薬草師が、あんな小さな虫に半泣きになるなんて」
「泣いてません」
頭によぎってすぐにレオンに助けを求めに行ったあの時。思った通り、まだ酒場のいつもの席にいたレオンの手を引っ張りながら、部屋に連れ込む。
本来なら、訳ありな入居者の身の安全を守るため、そして入居者自身を監視するため、酒場のママは部外者の立ち入りをきつく禁じている。だが、レオンは職業が硬いからか、それとも本人の気質か、お咎めなしで部屋に入ることができた。
信頼の証だ。
レオンは部屋に入るなり、樹海のような光景を見て立ちすくんでしまったが。
「……でも、モニカ。ばあさんの家は町から離れているな。小型のモンスターもちらほら出るだろ。あんなことで騒ぐんだから、まだ、あそこに住んでいたほうが」
レオンが何かを言いかけたとき。
がさっと道の橋の木の陰で物音がして、びっくりしてついファイヤーボールを投げつけてしまった。
モンスターはその正体を現す前にキュウっとひと鳴きして、灰となって消えた。
「……モニカ?」
「え?」
やや呆然としてから、口元に手を当てへたり込むレオン。
「前から思っていたんだが、そんな実力がありながら、なぜ薬草師なんだ?」
さっきまでヤツの話をしていたからだろうか。つい、全力で対応してしまった。そもそもヤツへの恐怖心と、モンスターへの恐怖心は同じくらいだ。
「だって、怖いものは怖いじゃないですか。瞬殺できたとしても」
「……理解できん」
火炎放射器を持っていたとしても、あれは怖い。
そういうものなのだ。




