第38章―6
そんな作戦会議が行われた末に、1942年8月下旬、日本海兵隊を最先鋒として、ダンツィヒ(グダニスク)周辺に上陸作戦は展開されることになった。
そして、それをドイツ軍は激しく迎え撃ち、上陸作戦を展開した地域では激戦が展開された、ということにはならなかった。
その背景だが、まず、ドイツ陸軍が、ポーランド西部地域に、英仏日等の連合国軍が上陸作戦を展開する筈が無い、という先入観があったことだった。
(更に言えば、転生者であるカナリス提督にしても、まさかベルリン等のドイツ本土を迂回して、バルト海沿岸のポーランド西部地域に英仏日等の連合国軍が上陸作戦を展開する等、自分の転生前の知識からして絶対にアリエナイことだ、という先入観を持って、情報分析を行っていたのだ)
この為に、日本海兵隊が上陸作戦を展開した海岸地帯に、ドイツ軍の防御陣地は皆無と言って良い事態が引き起こされることになったのだ。
(尚、ドイツ軍にしても、様々な情報収集によって、デンマーク地域に上陸作戦用の艦艇が存在していることを知らなかった訳ではない。
だが、それらはデンマークの島々への上陸作戦で既に使用されたもので、更にポーランド西部地域への上陸作戦にも使用されるとは、思いも寄らないことだったのだ)
その為に、日本海兵隊は、ほぼ無血上陸を果たすことになったのだ。
(ちなみに全く無血では済まなかった理由だが。
ダンツィヒ(グダニスク)近郊の飛行場に、偶々あった旧式化したBf109E、2機が緊急出撃を行ない、上陸部隊に対する銃爆撃を試みたからだ。
とはいえ、地を這うような超低空飛行によって、この銃爆撃自体は成功したが、その直後に制空任務に当たっていた百式戦闘機の群れによって、2機は共に撃墜され、搭乗員もその際に二人共に戦死して、遺体は原型を留めない程に損傷してしまった。
尚、この緊急出撃は、出撃禁止の命令を無視して行われたモノであった為、周囲に迷惑が及ばないように証拠が隠滅される事態が起きており、誰が行ったのかは、未だに謎とされているが。
多くのドイツ空軍の生き残りから、この緊急出撃は確かに命令違反ではあったが、ドイツ空軍の最期の意地を果たせた出撃の一つではないかとして、誇りを持って語られることが多い)
そして、上陸作戦に成功した日本海兵隊は、ダンツィヒ(グダニスク)港を確保することに成功した。
(この時、ダンツィヒに駐留していたのは、治安等の意地の為に残置されていた歩兵1個大隊に過ぎず、3個師団から成る日本海兵隊の攻撃の前に、1時間程の戦闘の末に白旗を掲げたのだ)
更に言えば、そんな短時間の戦闘の間に、ドイツ軍がダンツィヒ(グダニスク)の港湾設備を破壊するのは、ほぼ不可能なことであり、日本海兵隊は速やかに物資等を揚陸し、又、後続のユダヤ人部隊を港湾設備を利用して、相次いで上陸させることにも成功することになった。
とはいえ、後続のユダヤ人部隊を待つ間も惜しまれるのが現実である。
何しろ、この上陸作戦はドイツだけではなく、自国に対する重大な挑発行為だ、とソ連政府から見られるモノでもあるのだ。
速やかにポーランド西部地域を解放して、ある程度はこの地域を安定させないと、ソ連軍が動き出した際に対処するのが難しくなってしまう。
そうした状況から、
「この勢いで速やかにヴィスワ川沿いに進撃して、ワルシャワを解放するぞ」
大河内傳七中将は、自らの指揮下にある第一海兵師団の将兵に対して獅子吼する一方で、改めて考えた。
ヴィスワ川沿いにあるポーランドの首都ワルシャワ、そこを何としても速やかに解放して、対ソ戦の為にも、亡命ポーランド政府を迎え入れる必要がある。
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