第36章―10
(細かいことを言えば、米内洋六中佐が詳細を知ったのは、それこそ第二次世界大戦が終わった後のことになるのだが)ブレーメン市街を護ろうとしたのは、ドイツ軍の歩兵2個師団に加え、ブレーメン市及びその周辺地域から集まった国民突撃隊の隊員、約3万人といったところだった、と米内中佐は聞いた。
そこに日本海兵隊4個師団を先鋒にした部隊が襲い掛かったのだ。
(尚、ユダヤ人部隊の6個師団は、ブレーメン市を救援しようとするドイツ軍への対処に主に回された)
ドイツ軍や国民突撃隊に対しては、速やかに救援部隊が駆けつけるまではブレーメン市を死守せよ、という総統命令が下されており、実際に3個歩兵師団が救援に向かったのだが、それこそ救援部隊は、ユダヤ人部隊が築いた防衛線を、兵力が劣勢で、更に様々な問題(航空優勢が失われていて、物資も欠乏している等々)を抱えている現実があっては、ブレーメン市救援は極めて困難だった。
そして、ブレーメン市を防衛しようとしたドイツ軍は、それなりに善戦したと言って良かったが、それはあくまでも善戦に過ぎなかったし、既述のように国民突撃隊は防衛戦闘で余り役立ったとはいえない事態が引き起こされることになった。
(米内中佐が聞いたところによれば、国民突撃隊の防衛線が崩れたことがきっかけで、ドイツ軍の防衛線も徐々に崩壊する事態が起きたらしい)
その一方で、国民突撃隊が戦場に居た以上、日本海兵隊としては、それこそ軍服を着ていない民間人と言えども、実は国民突撃隊の隊員ではないか、と警戒せざるを得ない。
流石に明らかな女性や子どもが、誤って攻撃されるようなことは無かったが、それなりの年齢、10代後半以上で50歳代以下の男性の民間人が、国民突撃隊の隊員と間違えられて攻撃される例が、実際に起きたとのことで。
米内中佐らに気鬱を引き起こすことになっていた。
ともかく、そうした事態が起きて、3日余りの戦闘の末にブレーメン市街の過半が破壊されて、ブレーメン市を防衛していた歩兵2個師団は降伏すると言う事態が起きていた。
そして、ブレーメン市を奪還できないまでも、これ以上の連合軍の進撃を阻止しようとするドイツ軍や国民突撃隊への対応を、ユダヤ人部隊に事実上は任せて、日本海兵隊の面々は、米内中佐もそうだったが、ブレーメン市街の復旧任務を応急ではあったが、行わざるを得ない状況で暫く過ごすことになった。
勿論、暫くと言っても、それこそ1週間にも満たない期間ではあったが。
ブレーメンのような大都市となると、戦禍に伴う損害を看過して進撃すると、後々で住民の反感を多大に買って、様々な支障が生じることを、連合国政府、軍は警戒せざるを得ず、それなりの応急措置をした上で、更なる進撃を図らざるを得なかったのだ。
(更に言えば、そういったことは、自らの進撃の際に補給を円滑に行なう為にも、必要不可欠と言えることだったのだ)
米内中佐は、率先垂範の精神から、戦車を下りて、現場に赴き、道路や水道を始めとする様々なインフラの損害からの復旧を指示せざるを得なかった。
そして、ブレーメン市街を歩きながら、気鬱から少しでも気を変えるために、米内中佐は他所事を想わざるを得なかった。
子ども達に、グリム童話の「ブレーメンの音楽隊」を語り聞かせた覚えがある。
更に言えば、それを最も喜んだのは、藤子だった気がする。
現在、自分はそのブレーメン市街を歩みつつ、様々なインフラの復旧を指示する事態が起きている。
藤子に、この現状を手紙で伝えたら、どんな想いをするだろうか。
現状から目を逸らせすぎだ、と自分でも考えながら、そんなことを米内中佐は考えざるを得なかった。
御感想等をお待ちしています。




