第36章―6
そんな世界の裏事情があったのだが、米内洋六中佐が率いる独立戦車大隊の所属する栗林忠道中将率いる第4海兵師団、更にはその上にある南雲忠一中将率いる日本海兵隊総司令部の面々は、表向きは英領パレスチナ所属であるユダヤ人部隊と連携して、基本的に北海沿岸沿いにエルベ川を目指して、1942年5月以降は進撃していくことになった。
そして、最先鋒の一翼を担う米内中佐にしてみれば、気の抜けない激戦の日々が続いたのか、というと必ずしもそんなことは無い事態が起きることになった。
これは複数の事情が絡み合った末だった。
この1942年5月現在の戦況において、英仏日等の連合国軍にしても、ドイツ軍にしても最重要と考えていたのが、ルール工業地帯だった。
勿論、ルール工業地帯を何とか死守しても、充分な資源が届かない状況にあっては、工業地帯の価値は皆無である、と言われても当然ではある。
だが、英仏日等の連合国軍にしても、ドイツ軍にしても、ルール工業地帯を制圧、又は死守することに成功することは、今後の戦況推移において、多大な影響を与える、と考えていたことから、お互いに何としても制圧しよう、又は、死守しようとする動きが生じることになったのだ。
そうしたことが、それ以外の戦線において、ドイツ軍の抵抗が弱体化する事態を引き起こした。
その一方で、ドイツ軍にしてみれば、北海沿岸地域、具体的にはユトランド半島以西というか、ユトランド半島沿岸地域に至るまでは、色々な意味で守り難い地域でもあった。
まず、沿岸地域ということは、上陸部隊を適切に運用することで、後方遮断を行ないやすいということにもつながる。
そして、それに対処する為には、それなり以上の後方部隊を展開させない訳には行かず、それは必然的に前線兵力の減少を引き起こすことになる。
更に言えば、この1942年春当時の北海全域における制空権は、英仏日等の連合国軍が完全確保していると言っても過言では無かったのだ。
それこそ日英の空母機動部隊が交代で北海を遊弋して、日本軍やユダヤ人部隊への航空支援を行っている一方で、この空母機動部隊を排除しようと、ドイツ空軍が攻撃を仕掛けることが無かった訳ではない。
だが、ドイツ空軍の攻撃は、それこそ数十機単位が精一杯で、更に電探を駆使した警戒網を、日英の空母機動部隊が保有していて、それによって攻撃隊の倍以上の戦闘機隊を悠々と電探で誘導して、ドイツ空軍の攻撃隊に差し向けられる現実があっては。
ドイツ空軍の攻撃隊は、事実上は自殺的攻撃と言える「特攻」を行なっていたようなものだ、と戦後の歴史家が評するのも当然と言えた。
実際、電探誘導による迎撃機の奇襲攻撃が多発したことも相まって、生還率は2割を切るのが、ドイツ空軍の攻撃隊の哀しい現実だったのだ。
(本来ならば、ドイツ空軍にしても、超低空攻撃等で電探網をかいくぐり、日英の空母機動部隊を攻撃したいところではあったが、そんな対艦攻撃技量を持つ搭乗員など、ほぼいなかったのが、(この世界の)1942年当時のドイツ空軍の現実だったのだ。
更に言えば、対艦攻撃に際して、航空魚雷を重視して来た日本海軍航空隊と異なって、急降下爆撃を主に重視して来たドイツ空軍にしてみれば、今更、急降下爆撃を行っては、電探によって攻撃が事前に察知されて、電探誘導された迎撃機の攻撃を受けるだけだ、と指摘されても、攻撃方法を変更するのは、極めて困難としか言いようが無かったのだ)
ともかく、こうしたことが北海沿岸部における陸戦において、ドイツ陸軍の苦戦を引き起こすことになっていた。
陸戦において、航空支援の有無は極めて重要極まりないからだ。
この辺りの艦船攻撃法ですが、下手にネット検索を掛けると矛盾した情報が多くて、どれが本当なのか、私の頭脳では悩ましいです。
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