第36章―3
話が逸れすぎたので、'米内洋六中佐のいる状況に舞台を戻す。
1942年5月現在、米内中佐の所属する日本海兵隊はユダヤ人部隊と共闘して、オランダ本土を経由して、ドイツ本土への侵攻を果たしていた。
そして、北ドイツ平原を速やかに進撃、エルベ川以西のドイツ本土を制圧した後、エルベ川を楯にして、基本的に日本海兵隊がドイツ軍の反撃を阻止し、ユダヤ人部隊はデンマーク本土の解放を図る大雑把な軍事戦略、作戦を立案して行動しつつあった。
この戦略、作戦については、英仏日等の連合国政府、軍上層部も賛同していた。
ちなみに英仏軍の行動だが、英仏軍が協働してルール工業地帯を包囲して制圧した後、英軍はベルリン方面の直撃を行なおうとすることで、ドイツ軍をベルリンに集めるようにさせ、その間に仏軍はバイエルン方面、要するに南ドイツを制圧し、ドイツ全土を占領していく予定だった。
そして、ドイツ西部全域を制圧した後、いよいよベルリンを始めとするドイツ東部、チェコ、オーストリア、ポーランド西部への侵攻作戦を行なって、ヒトラー総統率いるドイツ政府を崩壊、降伏へと追い込むのが大戦略として、英仏日等の連合国政府内では共有された認識となっていた。
だが、その一方でこの1942年5月時点では、大戦終結までの道程は遥かなり、とも英仏日等の連合軍上層部内では考えられていたのだ。
1942年5月時点で、ドイツ政府に完全に味方していると言える、同盟国と言える存在は、ほぼ皆無と言って良かった。
スロヴァキアやハンガリーを始めとする中東欧諸国の一部は、未だにドイツに対する好意的中立国と言えたが、それはドイツ軍が進駐している現実から、好意的中立を維持しているだけだった。
そして、ライン川を英仏日等の連合軍が渡河したことから、それこそバスに乗り遅れるな、とばかりにギリシャがドイツに宣戦布告する事態さえ起きていた。
(尚、ギリシャ政府、軍だが、はっきり言って名目的な参戦に過ぎなかった。
本来から言えば、ギリシャ軍は速やかに旧ユーゴスラヴィア王国領内に進撃して、ユーゴスラヴィアからドイツ軍の排除を図るべきと言えたが、ギリシャ軍にそんな力は逆さに振っても無かったからだ。
更に言えば、ドイツ本国に火が付いているといえる状況にある以上、ユーゴスラヴィアに駐留しているドイツ軍に、ギリシャ領内に進撃する余裕等がある筈も無い。
それどころか、チトー率いるパルチザンへの対処に、ユーゴスラヴィアに駐留しているドイツ軍は手一杯としか、言いようが無かった。
こうしたことから、ギリシャが参戦したにもかかわらず、ユーゴスラヴィアとギリシャの国境地帯は平穏なままであり、
「奇妙な戦争にも程がある」
と多くの各国政府、軍が評する事態が引き起こされることになった。
とはいえ、実際のところは、裏に回れば、熾烈な事態が引き起こされていた。
この1942年春当時、反共という一点共闘から、旧ユーゴスラヴィア王国政府の指導下にあるといえたチェトニクとユーゴスラヴィアに駐留しているドイツ軍は共闘関係を結んで、ユーゴスラヴィア全土の解放を訴えるチトー率いるパルチザンと積極的に戦う事態が起きていた。
そして、こうした状況を把握した英仏日等の連合国政府は、チェトニクがドイツ軍と積極的な共闘関係にある以上、敵の敵は味方の論理から、チトー率いるパルチザンに肩入れすることを決断し、ギリシャを介して、大規模な武器等の援助を行なうことになったのだ。
少なからず先走ったことを描くならば、この援助があったこと等から、チトー率いるパルチザンは1942年中に自力で旧ユーゴスラヴィア王国の解放を果たすことになる)
尚、本来は共産主義者のチトー率いるパルチザンを、英仏日等の連合国が支援したのには、少なからずの複雑な事情が実はあり、次話以降に続く話になります。
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