アレン・ライナー
本の舞う湖において、一人の男性が立っていた。
先日見た時と同じ服装で、橋の上からぼんやりと本湖を眺めている。彼のもとへ足を進めると、次第に僕のことに気づいたのかこちらを向いて、目を丸くする。
「驚いた、本当に来るとは。ダメ元だったのだが」
「……? 僕を指名したのではないのですか」
「ここに到着して、三兄弟みたいに浮いている本に『蒼髪の貴族っぽい子はいるかい?』と聞いたらブンブン縦に振って、勢いよくどこかへ飛んでいってしまった。それだけでキミが出てくるとは思わなかったので、壮観な本湖の景色を堪能していたところだよ」
「……」
しまった。バカ正直に出るんじゃなかった。
数分前、ステラさんから聞いた情報はこんな感じだ。
『どういう理屈かは知らない。だが、三傑カイゼン代表は青少年を指名して、かつ視線を「こちら側に向けた」そうだ。私の存在にも、そしてこの場所すら探知している可能性がある。数多の魔法をもってしてもこの場所は特定できないよう構築されている。それを初見で見破った。ありえない』
あのステラ・マーカーソンが心底悔しそうな顔をしていた。
直ぐにルカの君ことビブリオテカと、二代目アズール王・サイリス様に知らせるべきと提言した。すると、今は二人ともいないとのこと。ここ最近、二人は外で何をしているのか気にはなるものの、今は目の前の問題に対処しなければならない。
『僕が出ます』
『下の中、危険すぎる』
『あちらは僕を指名した。理由がきっとあるはずです。それを聞いてきます』
『瞬き一回の間に殺されている可能性もあるぞ』
『大丈夫ですよ、なんとなくですけど……あちら側の意図もわかるんです』
『……?』
目を大きくして「本当に?」と顔で聞いてきたステラさんに頷く。そして自分なりの見解を述べると、彼女はしばし考えた後に……心配の方が未だに勝っているものの、了承してくれた。司書として、図書館や本湖にいる人たちを守らなければならない。
向こうの要望を断った場合、何をしてくるか予想もつかない。カイゼン人は殺人に対する耐性が他の二国と比べて圧倒的に強い。また、三傑ほどとなれば、人を殺めるなど呼吸と同義ともいえる。
『もし青少年が殺されてしまったら、死んで詫びるしかないね』
『そしたらあの世で一緒に読書しましょうね』
二人で笑いあった末に、僕はここにいる。既にステラさんから他国の人とも話せる陣形魔法“同音電子”を発動してもらっているので、彼とも問題なく話せる。ステラさんが“同音電子”を使えることに驚いたのは内緒だ。
三傑カイゼン代表は僕の登場は予想外だったようで、アタフタしながら謝罪してきた。
「図書館でのんびりしていたところを申し訳ない。アレン・ライナーだ」
「シルディッド・アシュランといいます。僕のことは気にしないでください。確かにのんびりはしたかったのですが、そうもいかないことになりまして」
「……あぁ、そのようだな。その、えっと、大丈夫なのかな? ソレ」
「はい、問題ありません」
現在、僕は古代魔法“ビブリオテカ”に頭をガジガジと噛まれている。
司書に合格して以降、意思を宿したこの子(?)は発動すると何故か噛んでくる。怒っている時や構って欲しい時、ページが痒い時など様々なようだ。子犬を飼っている気分である。
「正直、三傑の方からお声をかけてもらえるなんて光栄です」
「いや、こちらとしてもキミのような青年に会えて嬉しい。一応、念の為に言っておくと、ここでは誰かを殺すなんてことは絶対にしない。約束する」
……ここでは、か。
他ではあるみたいだ。実際、あるのだろう。
「最初に会った時から薄々感じてはいました。何かしらの縁はありそうだと」
「うん、こちらとしても同じだ。だから最初からソレを出してくれたのだろう?」
「そちらは出してくれるのですか?」
「いいや、駄目だ。食事だと思うからね」
チリン、と彼の……アレン・ライナーの胸元にある十字架が光る。
この人の場合、面倒な問答は不要だ。頭の回転は間違いなく僕より早いし、戦いとなれば即殺が目に見えている。戦おうとする方が間違っているだろう。また、あれこれ読み合いをするのも逆効果だと思えた。
速やかな本題への移行が最適解にほかならない。
だからこそ、彼の望んでいるであろう舞台を用意する。
「それは古代魔具ですね」
「それは古代魔法だろう」
二人同時に言葉を告げて、二人同時に頷いた。
どうにも、司書になってまだ少ししか経過していないうえ、学園生活は一年半もあるというのに。
ゆっくりとは、させてもらえないようだ。
激動の津波に押し流されそうな気分だった。
三傑カイゼン代表は、古代魔具の使い手である。
◇
「触ってもいいかい」
「いいですけど、たぶん噛まれますよ」
「痛みにはなれているさ。噛まれる程度なら問題ないよ」
頭をガブリといかれて、流血する三傑。
「……どうして本に挟まれただけで血を流すんだ」
「この子は特別製でして、少し傾けて噛まれても痛くないよう調整するのがコツです」
「一生縁のない助言をありがとう……」
やや落ち込みながら感謝を述べるアレンさん。普段は葬儀屋と探偵業をしているそうで、おおよそ遺体を見る毎日とのこと。見慣れてしまった、見飽きてしまった人の亡骸に、自分の心はとうに死んでいると教えてくれた。
僕も自身が貴族であり、司書になるため王都へ来たことを明かした。アズール図書館の司書だというのは伏せておく。外国の方には興味ないと思うけど、進んで明かすことでもないからだ。向こう側も最低限の情報の開示にすぎない。同じことだ。
「信頼関係を構築できていない以上、当たり障りのない話になるのは明白だね」
「はい。なので、互いに利益になる話をしましょう」
「その通りだ。悪いね、気を遣わせて。……古代についての情報共有をしたい」
「わかりました」
今、左手にある本はじっと静かにしている。ある程度やりたいことをやって満足したのだろう。もしかしたら寝ているのかもしれないけど。
「俺の場合、子供の頃に気の狂った神父にコレを付けられて強制的に契約させられたのだ」
「僕の場合、十五の頃に古代魔法書を見つけて読んでから、強制的に契約させられました」
「意味合いが違うな、ただ『契約させられた』点は一緒か」
「創始者も違うと思います。古代と一括りにするのは危険かもしれません」
「ふむ……。答えられる範囲で構わない。古代に関連することに興味はあるかい?」
「まったくないです」
「奇遇だな、俺もだ」
二人で苦笑して、ヤレヤレとする。
「こちら側から欲していたのなら話は別だが、向こうから来たものに興味はもてない。それも、荒唐無稽な産物だしな」
「人の手に余るものだと感じています。あくまでもこれは、僕の人生を豊かにするために力を貸してくれていると考えています」
「……そうか。良い魔法じゃないか。どうも俺のは、我慢の利かないやつでね。何でもかんでも喰ってしまう腹ペコ魔具だ」
指でピン、と十字架を飛ばすアレンさん。唇を少し噛み、地面を見ているけれど見ていない目をしていた。焦点が合っていないというのか、どこか想いを巡らせているような顔。
その表情はこれまでの苦難や苦労、後悔を反芻しているようにも感じた。これまでの彼の言い分から察するに、古代魔具を暴走させた経験をもっていると思う。
我慢の利かないやつと言った。おそらく、アレンさんの命令を無視して何でもかんでも喰ってしまう事故を起こしたのだ。そしてそれには……人も含まれていたはずだ。彼の哀愁からそう読み取れる。
「俺とは違い、良好な関係を構築できているのは良いことだと思う」
「そちらは、完全な主従関係ですか?」
「そうだ。これ以上、俺の命令以外で『人を喰う』のは避けたいからね。徹底的に上下の立ち位置を叩き込んだ」
「……」
「そちらの本にはキミのような主人がとても似合っていると思う。どうか、俺みたいにならず、良好な関係を構築していってほしい」
今日は話せて嬉しかったと、アレンさんは踵を返した。
「これ以上ここにいては嫌な予感がしてね。お暇させてもらうよ」
「……またお会いできたら、古代について話しませんか」
「それは嬉しいね。まだ話したいこと、聞きたいことはたくさんある」
「僕もです」
口角を上げて嬉しそうにするアレン・ライナー。
三傑カイゼン代表は、昨日見た時とはやや違う印象を受けた。頭の切れる冷静沈着な人だと思っていたけれど、実際は人情味のある男性なのかもしれない。
ただ、決して踏み込んではいけない人だとも思った。彼は古代魔具について少しの情報開示をしてくれたけど、まだ深くは決しては教えてくれない。それは僕も同じだった。きっとあちら側もそう思っているだろう。
今日のところは、互いの古代を含めた自己紹介というやつだったのだ。
残念なことは、あと数日でカイゼンに帰ってしまうことだけど、できるならもう少しだけ……アレンさんと会話をしたいと、思ってしまった。
古代とは何か。
この議題を解く日は、現れるのだろうか。
既に消えていた彼の跡を、ただ呆然と眺めるほかなかった。




