三傑・アズール代表
パキキ、と空間に刻まれる亀裂。
本来ならそこは何もない場所である。通るのは風ぐらいなもので、別段、僕だってその場所を歩ける。
そもそもこのように考えること自体、おかしな話だ。それほど目の前で置きていることはおかしかった。
ガラスを「空間そのもの」へめり込ませ、ハンマーで割ったように。
何もないそこに、ヒビが入る。亀裂は徐々に大きくなって、ピシ、ピシシ、バキッと不可思議な音を響かせる。どんどんとそれは拡大していく。怪奇にして奇妙なる光景を、僕らは黙って見ているしかなかった。
「ひひっ」
ジンは極悪人スマイルを浮かべて声を漏らす。実に悪人顔の映える男だ。
そう思っていると、僕らの周囲に「影」がかかる。どうにも、雲が陽の光を遮ったみたいだ。自然と空へ視線を向けて。
皆、一時停止してしまう。
先ほどから意味のわからないことに振り回されっぱなしだけれど、さらにそれは続きそうだ。プアロ王子は口を開け、震わせながら、それらをただただ見上げるほかなかった。
「何故だ……!」
その疑問は、至極当然だと思う。
つい先ほど三傑・カイゼン代表、アレン・ライナーの魔具によって喰われた車両の全てが今……。
悠々と、空に浮かんでいた。
縦一列に丁寧に順序よく並んでいて、先ほどの「食事」など何もなかったかのような光景だ。
確かに取り込まれたはずである。僕自身、この目で見た。
となれば、これを行った人は魔具の取り込んだ先にある異空間から車両をもってきたことになるだろうか。
「そ、んな……ことが……!」
開いた口は未だ塞がらないようで、滝のように汗を流すプアロ王子。なお、最初に起きた空間のヒビ割れはさらに大きくなって、大人一人分ほどの規模へとなっている。
ポロポロと細かな破片も周囲に散らばっていて。この空間だけ、ガラスと同じ性質になったのではと思ってしまうほどだった。
そして……大した前置きや口上もなく、ヒビの奥から声がした。
「失礼」
その言葉を皮切りに、氷で作られたガラスを正面から突き破るように、パキィン……! と耳障りのよい音を響かせて。
砕けた空間からその魔法師は現れた。
三十代半ばの男性である。深海のような光沢のある紺色の長髪。前髪は後ろへ流され、肩のあたりまで伸びている。
目元は細く、どこか優しい印象を与え、薄っすらと微笑みながらこちらを向いている。ベージュのジャケットや白のシャツ、長めの黒のズボンは全て皺のない美しいものだった。
「こんなに見られると、照れてしまいますね」
皆の視線を一点に受けたことに、やや恥ずかしいのか照れ笑いをしている。登場したはいいものの、この後のことは考えていなかったようで、行き場のない緊張感に戸惑っているようだ。
そんな男性とは反対に、拳を震わせながらプアロ王子は歯ぎしりしていた。
「空間をねじ曲げて、アレンの取り込んだ車両だけを盗んだな……!」
「とんでもない、少しだけ拝借しただけです。ジン王子より仰せ使った命を果たしたまででございます。その証拠に、ほら、お返ししますよ」
空中に浮かんでいた車両の真下に、ブゥンと紫色の異空間が出現する。浮いていた車両はプツンと浮遊を止めて、重力通りに真下へ落下し始める。
ズオオォォ……と巨体な鉄の塊が呑み込まれる不思議な風切り音を轟かせながら、全ての車両は異空間へと落ちていった。
「いかがですか。もうそちらへあると思いますよ」
「……」
アレンは十字架を握り、プアロ王子を見て静かに頷いた。
彼の言う通り、無事に返却されたようである。カイゼンの二人の反応を見て、ほっと一安心したように男性は言葉を続けた。
「自己紹介をさせていただきますね。三傑・アズール代表、ネバー・ゼントンと申します。ネバネバした男と言えば覚えやすいでしょうか。粘り気のある男だと自負しております! ハハハッ!」
「……」
「粘り強く、ネバー・ゼントン! みたいな。ハハハッ!」
誰も何も言わなかった。
どうやら、今のセリフは彼にとって渾身のお笑いポイントだったようだ。
十秒程度、誰も何も言わない地獄の間。
無言の圧に耐えられなくなったようで、冷や汗を流しながら彼はコンコンと宙を叩く。
「……中々、人を笑わせるというのは難しいものですね。えぇ、はい。……あの、その、恐縮ではございますが、あまり人前には出たくない身でして。この度、私の出番は終わったものと判断できます。ですので、その……ジン王子。よろしいでしょうか」
「おう、いいぞ」
「ありがとうございます! では皆様、またお会いできる日がありましたら、是非よろしくお願いいたします。ネバー・ゼントンでした」
最後にもう一度名前を言って、パキリ、と再び空間にヒビを入れる。今度のヒビ割れの速度は最初の時と違いあっという間に広がっていって、彼はそのまま逃げるように中へ入っていった。
一生懸命な笑顔もしっかり作ったまま、いそいそと別の空間へ消えていく。あまり人とのコミュニケーションは苦手なようである。僕を含めた全員から「人見知りなんだろうな」という感想を抱かれたはずだ。
あの魔法、クロネアの次期女王となるシェリナ・モントール・クローネリの夫になるルーゼン・バッハさんの魔術と似ていると思えた。
ただ、あれはあくまで「自己を鏡と同一化」できる魔術であり、似て非なるものだ。見た目だけが少し似ているだけであり、完全に別の存在だといえる。あちらは魔術で、こちらは魔法。
しかも、空間・亜空間・異空間・別空間と、空間に関わるものならば何でもござれの魔法のようである。
空間そのものを操る魔法なんて聞いたことがない。ただ、ここはアズール。魔法の国だ。どんな魔法だろうと「そういうもの」だと頷いてしまう国。四次元を掌握せし魔法師か。世界は広いなと実感する。
そして、カイゼン側の胸中は穏やかではないだろう。
もしネバー・ゼントンが何の前触れもなく彼らの真下に亜空間の入口を出現させたとしたら……彼らに対処する方法はあるだろうか。
ない。
僕たちが三傑カイゼン代表の攻撃に何もできないと感じたように、彼らもまた、アズール代表の攻撃になすすべがないのである。
それは言葉で言わずとも、十全に伝わっているようだった。
プアロ王子は苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「さぁて、自己紹介は済んだな」
ジンはニヤリとして相手側の顔を眺めていた。
想定通りの男と、想定外の男。互いの立場と誇りを水面下で衝突させている。
まったく、クロネアへ行き初めてシェリナ王女と謁見した際にも思ったけれど……。
「それじゃ一週間、どうぞ寛いでくれたまえ、傀儡くん」
「……あぁ、良きに計らえ。アズール陣営」
二国間のプライドというものは、存外面倒なものである。
瞬きと同じ速度で何もかも呑み込む魔具の所有者に、変幻自在の空間魔法師。
どちらを相手にしても勝てる確率などゼロだろう。三傑と呼ばれるだけはあろうか。僕は普通でよかった。あんな世界は見るだけで充分。間違っても三傑に挑むなんて愚かなことはしない。平和が一番だ。
それから諸々の諸事情を片付けて、ジンはプアロ王子をアズール城へ案内する話へと進んでいく。僕は特にやることはなく、予定通りミュウと一緒にコルケット邸へと移動を開始した。
「少し喉が渇いたな」
「こちらにございます」
「……用意がよすぎる」
「執事ですので」
「あと、この紅茶、温かいけどいつ淹れたの? っていうか道具はどこから?」
「執事ですので」
質問に答えていない。
涼しい顔で佇むレノンに「ぐぬぬ」としながら睨んでいたら、ニコニコしてひょこっと出てくるミュウ。
「レノンくんは優秀だね!」
「身に余るお言葉……。私にはもったいなき限りにございます」
「えへへ。今日は色々あるから、一緒に頑張ろうね」
「承知いたしました。温かな激励のお言葉を賜り、心より感謝申し上げます」
「レノン? 僕が主人だからね、忘れないでよ!」
「お手はできますか?」
「飼い犬じゃない!」
「二人とも仲いいねー」
コルケット邸にはモモやリュネさんがいる。
そこで合流し、晩餐会へ出席するのだ。




