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シャーリィ・アシュラン



「……」


 完全に一時停止してしまった。時そのものを斬られたような感覚だった。


 ……ぁ、と自分でも情けない声を出したと思う。思考停止して、再起動するまでに五秒はかかった。早い方だと思う。普通ならもっとかかるはず。


 ユミ姉とイヴが母さんに言った……?

 いや、イヴは母さんと仲悪いし、ユミ姉もそこまではしないだろう。となると、母さんによって看破されたとしか考えられない。

 ボロは出していないはず。サプライズで紹介する予定だったのに、どうして――


「貴方の表情から自信を感じた。きっとアズール図書館の司書に合格した経験からくるものでしょう。素敵。でもね、不思議よね。――色気も感じたの」

「か、母さん」

「それは司書合格では得られないものでしょう。断じて夢に対する報酬ではない。ねぇ、シルド。お母さん嬉しいの。だって自分の息子に恋人ができたんですもの。素敵……。だからね、是非ともその子を……ねぇ」

「……ッ」

「紹介してくれる?」


 僕の両耳を優しく包み込みながら、ゾッとするほどの微笑みのまま母さんは言った。こんなことを今まで母さんにされたことはない。

 どちらかといえば、これはウチの狂乱姉妹にするものだ。僕は比較的大人しい方だったから、母さんに折檻された記憶もない。ふと、モモの言葉を思い出して……。


『母親にとって息子は特別な存在なのよ。小さな恋人と揶揄する人もいるぐらい。だから、大事な息子におじゃま虫がいたとなら、あまり良い気はしないでしょう』


 なんとか眼球だけを動かして父さんを見る。

 目を瞑り、小さく顔を左右に振っていた。諦めろ、と言っている。

 冗談じゃない! こちとら一年半をかけて、それこそ命の危機すら感じながら司書になったのだ。この程度で吐いていては、いざというときに彼女を守れないじゃないか!


「母さん、それは後でちゃんと話すことだよ。でも、今じゃない」

「……」


 薄く微笑む母さん。茶髪の前髪がキラリと陽の光を反射していて。


「素敵。それで?」

「まずは近くの喫茶店で紅茶を飲んで、それからアズール図書館へ行こう。ゆっくり館内を歩きながら話したいんだ」

「あぁ、なるほど。そこに恋人もいるのね」


 ドキリ、とする。父さんが「阿呆」と言った。

 何一つ助けてくれないくせに苦言だけ呈すな! 母さんはさっきからずっと頭を撫でてくる。それが余計に怖さを増していく。


「ゆったりと家族の団欒を過ごし、シルドの司書に関する話を聞いて、落ち着いてきた頃合いに登場するというものかしら。ふぅん、随分と気の利いたやり方ね」

「ち、ちがっ……」

「きっとシルドは『空船の港か喫茶店で紹介したい』と言ったんじゃないから。でもその子は『それだと一気にやることが増えるから少しずつ消化していって、負担のない状況で現れたい』と言ったのでしょうね」

「……」

「そして貴方はその発言に何も言わずに頷いた。へぇ、ふぅん……」


 あ、これ、やばい。

 全部バレてる。

 どうしよう。詰んでる。


「随分と可愛いことするわぁ、素敵。ますます会いたくなった」

「シルド」


 ここでようやく、父さんから声をかけられる。よかった、何も言わずカカシのように突っ立っている人じゃなかった。

 一応はチェンネルの現領主なのだ。ここでフォローするのは最適解と言える。ありがとう、父さん。


「何事も諦めることが大事だ」

「言うと思ったよ!」

「じゃあ、さっさと向かいましょうか」

「え?」


 ポケットから小さな用紙を取り出す。それを破り、重ねて指でトントンと押して地面へ投げた。散らばった紙は地面へ降りて、僕と父さん、母さんの地面を照らす。


 やばい……!


「空船にいたときに、アズール図書館の近くにある建物の屋上に『仕掛けをしておいた』のよ」

「ま、まって、さすがに急ぎす――」

「駄目。“座標転移”」


 右手を上に、左手を下にして、軽く合わせて音を鳴らす。瞬間、僕ら三人はそこから消えて、事前に母さんがマーキングしておいた場所へと飛んだ。


 そこは、本湖からほんの少しだけ離れた建物の屋上だった。

 尻餅をついた後に慌てて立ち上がれば、目の前にはいつも見ている光景が広がっていて。眼前には本湖、視界の先には悠々と聳える夢の舞台。


 アズール図書館。


 ……まずい、さすがにまずい!

 至急、モモに連絡をしないと。こちらの動きは母さんにバレている。父さんから肩を叩かれて、こくりと頷かれた。本当に何もしないな! と、思っていると、そっとメモを渡されて……ん?


「何度見ても素敵な場所ね。では、行きましょうか」


 もう一度、母さんは手を叩くと僕らは建物の屋上から橋へ移動する。母さんの魔法練度は異次元であり、もはや説明するのもバカバカしくなるほどだ。

 弾む足取りで母さんは進む。近くにいる本たちは僕らをみて少し警戒しているようだ。ここはアズール図書館の本湖。原則魔法禁止区域に該当するため、ついさっきまで魔法を発動していた母さんは少しだけ本たちに注目されている。


 しかし、そんなこと、この女傑には詮無きことだ。そっと僕の横を通り過ぎていく父さん。


「確認しろ」


 前を歩く母さんに父さんが追いつき、何かを話しかけている。どうやら今日の予定について話し合っているようだ。

 母さんは笑いながらアズール図書館を指さす。父さんが母さんに見られないよう、腰に回した手を軽く動かした。メモを読めと言っているのだろう。すかさずメモの中身を確認する。


『踏ん張れ。助力はしないがな』


 一秒にも満たない間だったと思う。メモをポケットに押し込んで僕も急ぎ二人に続いた。

 ……助力はしないといいながら、踏ん張れか。父さんなりのエールである。基本的に父さんは威厳のある領主として振る舞っている。舐められては駄目だと常に言っていた。


 そんな父さんを母さんは笑顔で支えているけれど、何かトラブルがあった際でかつ、父さんでは対処できない場合、ずずぃと現れた母さんによって解決される。

 そのため、父さんは母さんに頭が上がらない。でも、本当に大事な時はそっと言うタイプだ。母さんもその時は素直に従う。物凄く稀だけどね。


 ……魔法を使ってモモへの連絡は無理だろう。母さんの目から掻い潜るのは至難だ。しかし、ここはアズール図書館である。地の利はこちらにあるだろう。

 近くにいた本をこっそり手招きする。「お、読んでくれるの?」と嬉しそうにこちらへやって来た。その本を手に取りながら、一緒に橋を歩く。


「本当に素敵よね、何度見ても綺麗な場所」

「母さんは王都出身なんだよね?」

「そうよ、没落したけどね。何もかも綺麗さっぱり終わらせて、一人旅をしていた時にお父様に会ったの!」

「そんなこともあったな」


 本を後ろに回し、手文字で本にメッセージを送る。

 本はコクリと動いた。よし、準備は整った。

 相手は母さんだ。正直、ある程度は予想していたが、ここまでなるとは思っていなかった。母さんからこういうことをされるのはチェンネルにいた頃はなかったから。


 ……たぶん、何をしても看破される未来しか見えないけど、だからといって母さんの思い通りにさせるわけにもいかない。


 踏ん張れ。


「ところで、シルド。ユミとイヴには会ったの?」

「もちろん。二人のおかげで第二試練に合格したんだ」

「素敵……。なら、今度は予定を合わせて三人一緒に帰郷してね。いろいろと楽しくなりそうだから」

「そうだね」

「一緒に恋人もつれて、ね?」

「……」


 こちらをチラリと振り返り、目を細くして薄く微笑む母さん。

 さて、随分と絶好調なようだ。本当にこの状態の母さんと相対するのは初である。イヴはよくこんな人と渡り合えたものだ。ユミ姉は途中から諦めてたけど、妹は最後まで戦っていたからな……。どんなメンタルしてるんだよ。


「母さん、そう物事は上手くいかないものだよ」

「あら、強気じゃない。素敵よ、そういうのは嫌いじゃない」

「強気とかじゃなくて、事実の指摘だよ。確定したね」

「言い方が若い頃のお父様にそっくりよ。嬉しいなぁ」


 眉間に皺を寄せた父さんから「どこが似ているんだ」という顔を向けられた。一応、貴方は僕の味方なんだからそんな顔しないでほしい。


「安心してシルド。べつに取って食うわけじゃないわ。純粋に会いたいだけ。素敵でしょ?」


 違う。モモに嫌なことをする可能性がある。

 この状態の母さんは優しさを捨て、一切の容赦をしない。それを何度もチェンネルで見てきた。恐ろしくもあり、頼もしくもある。だてにこの人の息子ではない。


 母さんのお眼鏡に叶わない場合、モモを守れるのは僕だけだ。

 そのためにも、認めさせる必要があるだろう。そろそろ南門が見えてきた。


「もう一度言うよ。そう物事は上手くいかない」

「仮にいかなくても、道を突き進めて上手くいくようにすればいいの。私はいつもそうやってきた」

「うん、そうだね。知ってるよ、母さんは凄いから」

「ふふっ、素敵。ならこの後のことも……わかるでしょ?」


 勝ち誇った笑みを浮かべて母さんは前を行く。

 それを黙って見送る。たしかに、母さんの言った通りかもしれない。


 趣味で海面を叩き割ったり、山を更地にして自分好みの色彩の山へ作り変えたり、町民が拉致されて人質になった際に秒速で人質と自身を入れ替えて本拠地を壊滅させたり、流れ星を見て「欲しい」と言って一部を持って帰ってきたり……。


 たしかに貴方は凄い。でも、凄いだけでは駄目なのだ。

 アズール王国。魔法の国。そして僕のいる図書館は、世界最高峰の魔法建築物である。

 たとえどれだけ強かろうと、どうにもならないことだってある。


「それじゃ、シルドの恋人とご対面に行きましょうか」


 弾む口調でそう言いながら。

 チェンネル領主の妻は。

 南門をくぐったのだった。



≪ビビー、お客様は王都の住民ではないため入れません≫



 入れませんでした。


 


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