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第3章 勝利に酔う親子



それから三週間。

雅子は、本当に帰らなかった。


和室に布団を敷き、衣類を持ち込み、いつの間にか結衣の家を自分の家のように使い始めた。

台所も同じだった。


「触らないで」


ある日、結衣が夕食を作ろうとすると雅子に手を叩かれた。


「翔太のおかずは私が作るから」


それ以来。

結衣は自分の分だけを用意した。


納豆。

冷奴。

サラダ。

ヨーグルト。


時には会社帰りにおにぎりを買い、公園で食べてから家へ帰った。

家の中にいる時間が、少しずつ減っていった。


反対に。


翔太と雅子の食生活は、日に日に過激になった。


唐揚げには大量のたれ。

炒め物にはさらに醤油。

ラーメンの汁まで残さない。

夜中にはスナック菓子。


「やっぱ人生、我慢したら駄目よ」


雅子はそう言って笑った。


「食べたいものを好きなだけ食べる。それが健康の秘訣」


翔太も笑う。


「なあ?」


結衣は何も言わなかった。

言っても無駄だと、もう分かっていた。


だが。

変化は確実に現れていた。


「おい、麦茶!」


帰宅するなり、翔太が叫ぶ。

冷蔵庫を開け、二リットルのペットボトルへ直接口をつける。

ごくごくと、異様な勢いで飲む。


「最近、水分取りすぎじゃない?」

「喉渇くんだからしょうがねぇだろ」


翔太の顔は、以前より明らかにむくんでいた。

朝になると特にひどい。

目の周りが腫れぼったく、靴下の跡も深く残る。

階段を少し上っただけで息切れするようにもなった。


「一度、病院行ったら?」


結衣は言った。


まだ。

この時点では、心配する気持ちが残っていた。


「健康診断でも血圧高かったんでしょう?」

「うるせぇ」

「でも――」

「母さん」


翔太は結衣を無視し、雅子を見る。


「こいつ、また病院行けとか言ってる」


雅子が鼻で笑う。


「ほんと大げさねえ」

「顔もむくんでるし――」

「毒が抜けてるのよ」

「……え?」

「体質が変わってる途中なの」


雅子は得意げだった。


「今まで薄い味ばっかり食べさせられてたから、翔太の体が弱ってたの。それが私の料理で本来の状態に戻ろうとしてるのよ」


結衣は言葉を失った。


「そんな医学、聞いたことありません」

「ネットばっかり見てるからよ」


雅子は吐き捨てた。


「人間は理屈じゃないの」


その夜。

雅子は大皿いっぱいの唐揚げを作った。

表面にたれがべったりと絡み、さらに粉末調味料が振られている。


「さあ翔太、いっぱい食べなさい」

「おう」


翔太は唐揚げへ手を伸ばした。


一つ。

二つ。

三つ。


「やっぱ母さんの唐揚げ――」


言葉が途切れた。


「……ゴホッ」


激しく咳き込む。


「大丈夫?」


結衣が反射的に立ち上がる。


「平気だっつってんだろ!」


翔太は苛立ったように手を振った。


その時だった。


ガシャン!


大きな音が響いた。

全員の視線が向く。

雅子の手から、皿が落ちていた。


「母さん?」


雅子は立ったまま、虚ろな目で宙を見ていた。

口元がわずかに歪んでいる。


「……雅子さん?」


結衣が声をかける。

返事がない。


次の瞬間。


雅子の膝が崩れた。


「母さん!」


床へ倒れる。


「母さん! 母さん!」


翔太が叫ぶ。


結衣はすぐにスマートフォンを取った。

震える指で救急へ電話する。

オペレーターへ状況を説明しながら。


結衣はふと、床に散らばった唐揚げを見た。


雅子の隣で。

黒光りする唐揚げだけが、まるで何事もなかったように転がっていた。

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