073 一日休み
火の加減、難しいな。
オーブンの中を、こっそり覗く。
エルは、しっとりした生地が好きかな。それとも、サクサクした方が好きかな。どっちだろう。
砂時計の砂が落ちきるまで、後、もう少し。
エルのレイピア、早く作りたいな。早く勝負したい。頭の中でイメージしてみるけど、どうやって戦えば良いのか……。
まるで風そのもののような、あまりにも軽やかな動きに翻弄されてしまった。
でも、あの時、エルが使ってた魔法は、風の魔法だけだった。剣術に応用出来る魔法は、あれだけじゃないはずだ。
エルって、どれぐらい魔法剣士としての修行してるのかな。
「リリー」
呼ばれて、振り返る。
帰って来てくれた。
「おかえりなさい、エル」
『おかえり』
『おかえりなさい』
「ただいま。……何やってるんだ」
何って……。
「サブレを焼いてるの」
あ。砂時計の砂が落ちてる。
しっとり生地は、そろそろ出しても良さそうだよね。
ミトンを付ける。
『たぶん、エルが聞いてるのはそう言うことじゃないと思うよ』
「え?」
エルが頭を抱えてる。
違うの?
「なんで、寝てないんだよ」
私の傍に来たエルが、両手で私の顔を包んで上に向ける。
まだ心配してたの?
もしかして、まだ、顔が赤く見えてるとか?
「あの、熱いのは、今、オーブンの傍に居たからで……」
病気とか熱があるとかじゃない。
「あ、ちょっと待ってて」
今は、それどころじゃない。
エルから逃げてオーブンを開いて、手前にある鉄板を一枚出す。
うん。綺麗に焼けてる。
割れないように気を付けながら、サブレを籠に移す。
「食べて良い?」
「まだ熱いと思うよ」
エルが手を伸ばす。
あっ。
「魔法は駄目だよ。余熱でも火が通るし、急激に冷やしたら割れちゃうかもしれないから」
エルが手を引っ込める。
魔法使いって、本当に日常的に魔法を使うよね。ソニアに焼きたてのカーコルを割られたことを思い出す。違う。ラングリオンではカーコルではなくサブレだ。
続けて、オーブンの手前側で焼いていた鉄板二枚を出してオーブンを閉じ、焼き上がったサブレを籠に入れる。
「ジンジャミエルサブレだよ」
「ジンジャミエルサブレ?」
「ジャムを練り込んで作ったの」
甘さの加減が、イメージ通りに出来てたら良いな。
「午後から、アラシッドさんの所に行っても良い?」
「駄目に決まってるだろ。今日は休むって言って来た」
「もう元気だよ?」
「無理しない方が良い。外で子供たちも心配してたんだぞ」
「なら、元気になったところを見せた方が良いよね?」
エルが私の髪を手に取って、キスをする。
「そんなに元気なら、一日、俺に付き合って」
そんな風に見つめられたら、逃げられない。
「あの……。もう少し、待っててくれる?」
エルって、人をドキドキさせることしてるって、わかってるのかな。
砂時計をひっくり返す。
「まだ何か焼いてるのか?」
「ちょっと違うサブレも焼いてるの。あ、こっちは、そろそろ食べても大丈夫だと思う」
エルが早速、しっとりタイプのサブレを口に運ぶ。普通に食べてくれた。
「美味しい」
本当に?
私も食べてみよう。
あぁ。美味しい。これぐらいの甘さなら、エルも平気なんだ。
オーブンの奥には、もう少し長めに焼きたいサクサクタイプを入れてある。仕上がりまで時間があるし、聞いてみようかな。
「エルって、魔法剣士として、どれぐらい修業してたの?」
「修行なんかしてないよ」
「え?」
「前も話したけど。魔法剣士の技術っていうのは、剣術の応用だ。自分のスタイルに上乗せして使うから、応用の仕方も人それぞれなんだ」
「習うようなものじゃないってこと?」
「少なくとも、一から十まで教わることが出来るようなものじゃない。魔法使いは自分が魔法使いであることを隠すのが一般的だし、使える魔法の種類もレベルも人によって違うからな。剣術のような技術の継承がない分野なんだよ」
自分で色々試していくしかないんだ。
「ただ、剣術の基礎が出来てることは大前提だ。俺は、レイピアの基礎を養成所で習ってたんだよ」
「本当に、基礎だけ?」
あんな動きが出来るのに。
「後は、ずっと騎士の稽古に付き合わされてた」
「エル、騎士を目指してたの?」
「違う。養成所には、魔法を学びたい騎士の卵も居たんだよ。……さっきも話したように、魔法剣士を目指すなら自分に合ったスタイルを構築しなきゃいけない。その為には、魔法への理解が必要不可欠だ」
「騎士が魔法の勉強をしに来てたの?」
「養成所は、最先端の魔法を学ぶことが出来る数少ない場所だからな」
魔法を教えられるのは魔法使いだけだ。先生になれる人も生徒になれる人も限られるんだろうな。
「あれ?でも、エルは魔法を専攻してないんだよね?」
「あぁ。俺の専攻は、錬金術だったからな。……まともに魔法を使うようになったのは、エイダと会ってから。今でも魔法は下手だって良く言われるよ」
あんなに使いこなせてるのに?
確か、エイダと契約したのは二年前だっけ。ジオと契約したのは、その後って言ってたよね。
「じゃあ、魔法剣士としてのスタイルを構築していったのも、二年前からってこと?」
「ん……。最低限の理論は知ってたからな」
学生の頃から一緒に居た精霊は、メラニーとユールだ。闇の魔法や真空の魔法を応用した剣術は、元から試してたってことかな。
「この前話した通り、自分の魔力管理をしっかりすることや、相手にばれないようにするのは基本だ。後は、自分の剣術に足りない部分を補ったり、強化するように魔法を使うだけ」
言うほど簡単なことかな?
自分の剣術に足りないことを補うなんて、相当、鍛錬を積んでないと難しいはずだ。でも、エルみたいに頭が良い人にとっては簡単?
「もしかして、エルが魔法使いなのに接近戦が得意なのは、魔法よりも剣術を重点的に学んだからなの?」
「接近戦が得意?俺が?」
「だって、エルがいつも居る場所って、乱戦になったらすぐに巻き込まれちゃうような場所なんだもん」
「近くに居ないと、支援が間に合わないだろ」
私の心配ばっかり。
「私なら大丈夫。魔法使いが得意なのは、後方支援でしょ?本来なら、剣士である私が前衛に立ってエルを守る立場なんだよ」
「何言ってるんだよ。リリーを危ない目に合わせるなんて……」
「信じて、エル。私、魔法なんて効かないし、簡単に負けたりしないから」
私だって、充分、戦える。
「王都で亜精霊と戦った時に、怪我しただろ」
ちょっとかすっただけだ。怪我っていうほどのものじゃない。
「あんなの平気だよ」
「平気じゃない」
「じゃあ、私が一撃でもエルに攻撃を当てられたら、信じてくれる?」
「本気のリリーに勝てるなんて思ってないよ」
「それは、エルの方だよね?」
「どういう意味だ?」
「エルは、もっと強いはずだよ。こんなにたくさんの精霊と契約しているのに、私と戦った時に使ったのは風の魔法だけだった。エルなら、もっと有効な魔法の使い方をたくさん編み出してるはずだよね?」
風の魔法の補助を使えば、高い跳躍や高速移動が可能だ。
闇の魔法があれば、大きな虎の亜精霊と戦ったみたいに影を作れるかもしれないし、自分の姿を一時的に消すこともできる。
他にも、大地の魔法で足元を割るとか……。
『あのさ。砂時計の砂が落ちて結構経ってるけど、大丈夫?』
「あっ」
オーブンを開く。
良かった。焦げてない。
急いで全部の鉄板を出して、サブレを別の籠に入れる。冷めたら、こっちも食べてくれるかな。
ミトンを脱ぐと、急に何かに縛られた。
「えっ?」
私に巻き付いてるのは、エルの手から伸びてるロープ?
「これ……。魔法?」
普通のロープじゃないよね?ちょっとキラキラしてるし、魔法っぽい。
私、魔法が効かないはずなのに?
「解けるか?」
解けるものなの?
思い切り力を入れて振りほどこうとしたら、そこまで力を入れなくてもロープが千切れて消えた。
消えたってことは、魔法?
「私、呪いが解けただけじゃなく、魔法も効くようになったの?」
「違うよ」
エルが魔法のロープを出して私に巻き付け……。ようとしたところで、その前に消えてしまった。
「あれ?」
「今のは、一般的な風のロープ。魔法だよ。でも、さっきのは、真空と風の魔法で作った無属性のロープなんだ。……一般的な魔法はリリーに効かないけど、無属性の魔法なら効くみたいだな」
「無属性?」
無属性って、魔法じゃないものを指す言葉じゃなかったっけ?魔法でも無属性はある?
「こんなの使われたら、勝てない……」
「これは、剣術に応用できるような技じゃない」
「そうなの?」
「まだ練習中だからな」
練習中ってことは、いずれ、剣術に応用できるってことだ。つまり、私が簡単に逃げられないぐらいの強度に上げることも可能。
魔法剣士って、本当に色んなことができるんだ。手の内の見えない相手と、どう戦うべきか……。
「また縛って良い?」
「うん」
エルの練習に付き合えば、魔法の勉強にもなる。魔法剣士との戦い方にも慣れておかないと……。
エルが私にキスをする。不意打ちだ。
「食べて良い?」
「えっ?」
食べて良いって……。
サブレのこと?
「うん。良いよ。そろそろ大丈夫だと思う」
サクサクの食感を目指して焼き上げた方も、冷めたはず。
「美味い」
こっちも気に入ってくれた。
サブレは好きなんだ。
「焼成時間の違いは、この為?」
「うん。大きさと厚さを変えてるけど、配合は同じなんだよ」
後は、焼く時間の調整だけ。
「両方美味しいけど、こっちの方が好きだな。香ばしい」
可愛い。こんな風にお菓子を食べてると、子供みたいだ。
「今度、ペッパルカーコルを作ってあげる」
「ペッパルカーコル?」
「スパイスの効いたサブレだよ。きっと、好きだと思う」
次も、香ばしくサクサクした食感になるよう焼き上げよう。
「コーヒーの菓子はいつ作ってくれるんだ?」
「えっと……。レイピアができたら?」
「楽しみにしてる」
ごめんなさい。
甘いものは好きじゃないと思ってたから、そんなに楽しみにしてるなんて知らなかったの。お菓子も好きみたいだから、エルが食べられる甘さの調整を頑張ろう。
「あのね、お昼の準備もしてたの」
「昼?」
「パンペルデュを作ろうと思って」
余ってたバゲットを頑張ってスライスして、ミルクとカルダモンを加えた卵液に浸してある。
「焼くのは俺がやるよ」
「じゃあ、紅茶を用意して良い?」
「あぁ。頼むよ」
パンペルデュにぴったりのお茶は決めてある。ティーセットを出して茶葉を量っていると、早速、バターが焼ける良い音と香りが漂ってきた。
「今日のはね、砂糖もミエルも使ってないんだ」
「なんで?」
「甘いのは苦手かなって。ミエルは、後からかけても美味しいと思うから」
たぶん、スパイスだけでも美味しいはずだ。
エルが私の頬にキスをする。
「好きだよ。リリー」
「えっ?」
本当に、いつもいつも急なんだから。
「私も……。エルが好き」
キスをして。
エルが真っ直ぐ伝えてくれるように、私も、恥ずかしがらずに真っ直ぐ伝えられるように頑張るから。
「食べたら、少し休もう」
※
部屋に戻ってベッドに座ると、エルがカーテンを閉めた。
「まだ心配してるの?」
熱もないし、だるさもない。
「もう大丈夫だよ」
お昼もしっかり食べられたし、力仕事だってできると思う。
エルが私の隣に座って私を見る。
「じゃあ、キスして良い?」
「……うん」
目を閉じてキスをした後、エルが私に頬ずりをして、顔や首にキスをしていく。
「綺麗だよ。リリー」
待って。急にそんなこと言われたら、病気じゃなくても赤くなっちゃう。
「真珠みたいだ」
「真珠?」
真珠って、ラングリオンでも特別な意味があるものだっけ?
ドキドキして、思い出せない。
エルが私の長い髪を指で梳かす。
「そういえば、真珠にも黒があったっけ」
「黒真珠のこと?」
「そう。滑らかで艶があって。触り心地がすごく良い」
黒真珠だって……。
意味、わかってるのかな。
エルと視線が合う。
「これ以上、美しい宝石なんてない」
こんな近くで、そんな、物語に出てくるような台詞……。
「宝石なんて……。私、ただの黒だし、」
「黒がこんなに美しくて惹かれる色だって知ったのは、リリーと会ってからだ」
きっと、今は、熱がある時よりも顔が赤いに違いない。
「リリーの輝く瞳の中には、いくつもの煌めきが見える」
もう、これ以上は……。
「だめ……」
「だめ?」
「それ以上、言わないで」
エルが真っ直ぐに愛を語ってくれるのは嬉しいけど、もう、受け止めきれない。
それに。
「私は、エルの髪の方が好きだよ」
綺麗な金色で、柔らかくって、ウェーブがかかってて。指に絡む感じも好き。
「エルの瞳も全部。大好きなの」
燃えるような紅の瞳。
「愛してる」
堪らなく好き。
「愛してる」
エルのように詩的な愛は語れないけど、エルは私にとって、すべて特別。
キスをして。
昨日のように。
言葉だけじゃなく、もっと。




