074 秘密の部屋
明るい日差し。今日は、私の方が早起きできた。
金色の柔らかい髪を撫でる。
こういうことができるのは、恋人の特権なのかもしれない。
あ、起きたかな?
撫でる手を止めると、エルが私の手を頬に寄せた。
「おはよう、リリー」
「おはよう」
幸せ。
朝が訪れる度に、これが夢じゃないって確かめられる。
朝の支度を終えて、調べ物があるというエルと一緒に書斎へ。勝手に入っちゃ駄目って言われてたけど、何があるんだろう?
扉が開いた瞬間、埃を吸って、思わず咳き込む。
『大丈夫?』
「大丈夫か?」
「うん」
エルが、部屋の中にあったランプに火を灯す。
『うわぁ……』
『すごく散らかってるわ』
本が詰め込まれた本棚がいっぱい並んだ部屋。思ってた通り、床には本が散らばってる。それに、掃除されてないから埃だらけだ。
「片付ける?」
「良いよ、このままで」
エルが部屋の中に入って、本棚の本を眺める。
ずっと閉じたままの部屋の割りに臭いがこもっている感じがしないから、換気はされているのかもしれない。
それに、机の周りには使われた形跡がある。
「ここは、エイダとユールが使ってる部屋なんだ」
「そうなの?」
『あたしたちぃ、ここで勉強会をしてるのよぅ』
『私が、ユールから現代文字を教わっているんです』
「そうなんだ」
どこかに精霊が通れる通風孔がありそうだ。
隅の方には箱も並んでる。あの中に入ってるのも本かもしれない。物置とは違う意味で、物がたくさんあるよね。
そういえば、アリシアからもらった本はどうしたんだろう。まだ荷物に入れっぱなし?
「気になる本があったら持っていって良いよ」
難しそうな専門書がたくさん並んでる。
目当ての本を見つけたのか、エルが本棚から埃だらけの本を取った。
そういえば……。
「開くだけで危ない本って?」
「何の話だ?」
「キャロルが、危ない本があるから書斎には入っちゃ駄目って言われてるって」
エルが首を傾げる。
何のことかわからないみたいだ。
『言ってたわねぇ』
やっぱり、そんな本ないのかな。なら、どうして?
「あぁ」
エルが本棚を見上げる。
「本棚の立て付けが緩いんだよ」
エルが軽く押しただけで、本棚が左右に揺れ動いた。
「ここには子供が読むような本なんてないし、暗くて怪我をするかもしれないからな」
危ないから、二人が入らないように釘を刺してただけ?
「直さなくて良いの?」
「別に、良いよ。大事な物なんて置いてないから」
本当に?
本棚が倒れたら、本だって駄目になっちゃうかもしれないのに。
「何か探すか?」
「物語はある?」
「ない」
ないんだ。
前から思ってたことだけど、私とエルって趣味の方向が全然違うよね?
ここまで全く合わないなんて……。
ちょっと、落ち込む。
※
朝食が終わったら、エルは研究室に行ってしまった。
食器を洗うキャロルの横で、洗い立ての食器を拭いていく。
「エル。また、どこかに行くのかしら」
「どうして?」
「旅に出る前は、いつも薬品の発注作業をするの。エルじゃないとできない仕事だから」
今日は、棚卸しをして発注をするって言ってたっけ。
エル、旅に出るの?
「リリー、何か聞いてる?」
「そんな話はしてなかったと思う?」
今日はベリエの十七日。まだ、帰ってから十日も経ってない。
「サブレ、とっても美味しかったわ。今度、焼き方のコツを教えてね」
「うん。良いよ」
「でも、エルがお菓子を美味しいって言ってるところなんて、初めて見たわ」
「サクサク生地、すごく気に入ってたよね」
「えぇ」
いっぱい食べてたっけ。
「本当に、大丈夫だったのかな」
キャロルが笑う。
「心配しなくても大丈夫よ。エルって、美味しくないものには、絶対、美味しいって言わないもの」
「そんなこと……」
「チーズタルトだって、美味しいなんて一言も言わなかったでしょう」
『あー。確かに』
そういえば、不味いとも嫌いとも言ってないけど、美味しいとも言われてない。
「全然、気付かなかった」
レモンを効かせた方が好きってアドバイスを貰っただけ。
「私も、失敗ばかりしていたの」
「失敗?料理を?」
「えぇ」
「昔から得意なわけじゃなかったの?」
「違うわ。料理はエルに教えてもらったの。カミーユからもね」
「カミーユさん、料理できるの?」
「一人暮らしだもの。できるんじゃないかしら」
何でも出来る人だ。
「だから、すごく下手だったの。でも、どれだけ失敗しても、エルは残さず全部食べてくれたのよ」
『エルが食事を残してるところなんて見たことないよね』
確かに、何でも綺麗に食べてる。
「タルトもそうだよね。残さず、綺麗に食べてくれてた」
「もちろん、美味しいなんて一言も言わずにね」
「うん」
キャロルの言う通り。
「だから、初めて美味しいって言われた時は、すごく嬉しかったわ」
キャロルが微笑む。
「だから、エルが美味しいって言ったなら、信じて良いわよ」
「ありがとう、キャロル」
※
キャロルの手伝いを終えて、出かける準備を整えてから研究室へ。
ノックをして部屋に入ると、エルが薬品棚の前に居た。
「エル。鍛冶屋に行ってくるね」
『じゃあ、私も行きますね』
「うん。よろしくね」
エイダが私の方に来る。
「イリスは、大丈夫なのか?」
「え?」
『大丈夫だよ』
『本当に?私、あんなところに一日居たら溶けちゃうと思うわ』
ナターシャはイリスと同じ冷気の精霊だ。ナターシャでも辛いなら、一緒に行かない方が良いかもしれない。
師匠から鍛冶を教わってる時だって、いつも傍には居なかったし。
「イリス、今日はエルと一緒に居て」
『え?何言ってるんだよ。リリーを一人に出来るわけないだろ』
『私が付いていますよ』
『でも……』
「この前だって、外で待ってたでしょ?それなら、留守番してた方が良いよ。……エル、イリスをお願いしても良い?」
「良いよ」
イリスが私から出てくる。
『勝手に決めないでよ。ボクは……』
『イリス。リリーなら、私が責任を持って守ります。だから、今日は私の代わりにエルを守って』
イリスが肩を落として、ため息を吐く。
『わかったよ。エイダが居ない間、エルはボクが守る。だから、リリーをお願い』
『わかりました』
イリスが不満そうにエルの横に行く。
大きくなっても、イリスはイリスだ。
「じゃあ、いってきます」
『いってきますね』
『いってらっしゃい』
「待って」
部屋から出ようとしたところで、エルが私の方に来て。
私の顔を上げて、キスをする。
「いってらっしゃい。気を付けて」
エルが微笑む。
「はい。いってきます」
そういうところも、好き。
※
エイダと一緒に外に出る。
今日も良い天気だ。
『リリー。ちょっと寄り道しませんか?』
「寄り道?」
『ポラリスに会いに行きましょう』
―……リリーシア、私に占いを求めるのなら、呪いを解いてからにしておくれ。
私、占ってもらえるんだ。
「行く」
『わかりました。じゃあ、案内しますね』
私は自分の運命を知りたい。
※
エイダと一緒にサウスストリートを歩いていると、人だかりが見えた。
「もしかして、あそこがポラリスのお店?」
『そうですね。まだ、準備中の札がかかってます』
まだ、お店が開いてないのに、占って欲しい人が、こんなに並んでるなんて。
『裏に行きましょう』
「え?」
『開店前なら閉店中と同じです』
同じ、かなぁ?
前と同じように、お店の裏に回って、扉を開く。
開いてる。
「ここって、いつも開けっ放しなの?」
『そんなことありませんよ』
本当に?
中には誰も居ない。
「お邪魔します」
中に入って扉を閉めると、顕現したエイダが扉に鍵をかけた。
「いらっしゃい、リリーシア」
さっきまで人の気配なんてなかったのに。
「ポラリス」
前と同じ全身ローブ姿。顔の見えない人。でも、背格好と声が同じだから、ポラリスで間違いないはずだ。
「呪いが解けたようだね」
「どうして……」
何でも解るんだろう。
占い師だから?
「私、どうして呪いが解けたの?」
「さぁ。どうしてだろうねぇ」
「あなたは、理由がわかるの?」
「もちろん」
「教えて。どうして解けたの?」
ポラリスが、くすくす笑う。
「秘密だよ。大した問題じゃない。……さぁ、おいで」
教えてくれない。
前と同じ小部屋に行くと、ポラリスが水晶を挟んだ向かい側に座った。
「いつ解けたかも知っているの?」
「もちろん」
「いつ?」
「答えられないな」
「どうして?」
「ふふふ。こればかりは、どう転ぶか判別のつかないことだからねぇ。……まぁ、何にせよ。良かったじゃないか」
良かったとは思う。
「今なら、私を占えるの?」
「もちろん。さぁ、見せておくれ」
ポラリスが、水晶越しに私を見る。
グラシアル女王の正体が初代女王であることは分かった。
でも、定期的に女王の娘が選ばれて、女王の娘の中から女王が選ばれることは決まってる。
じゃあ、私は?
帰らなかったら、どうなるの?もしくは、帰還して女王に選ばれたとしたら。私だけじゃない。私の姉妹は……?
急に、ポラリスが声を上げて笑い出す。
「あの……」
「いや……。これは。参ったね……」
「え?」
「少し、待って、くれる、かい」
まだ笑ってる。そんなに笑うようなこと、ある?
……エルみたい。
何が楽しいのか全然わからない。
ようやく落ち着いたポラリスが咳払いをした。
「では、今、与えることの出来る予言を伝えておこう」
「予言?」
占いじゃなく?
「あなたは、運命の岐路に居る。南に行ってはいけない。行けば、すべてを失う運命」
「え?」
運命の岐路?
「すべてを失うって……」
「言えるのは、これだけだ」
「すべてって、何?エルに何か起きてしまうってこと?」
「私の予言をどう解釈するかは、お前次第だ」
解釈?別の意味が隠されてるってこと?
すべて失うって、何のこと?
「南に行かなければ大丈夫ってこと?」
「与えられる予言は、これだけだ」
「予言って何?」
「お前の運命の一部だ」
私の運命?
「じゃあ、従わなければ絶対に悪いことが起こるってことなの?」
ポラリスが首を振る。
「リリーシア。この世に絶対などないんだよ。それは、お前が良く解っているんじゃないのかい」
「私が?」
「お前の為すべきことは何だった?」
呪いの力で魔力を集めて、城に帰還すること。
「運命とは、人間が生まれた瞬間にかけられる呪いのようなものだ。生き方そのものと言っても良い」
「私の生き方が、私の運命で、呪いなの?」
「そう。生まれた時代や場所、更には外見の特徴によって、人間の生き方というのは限られるからね。これは、世の中の人間が千差万別の意思を持ち、一人として同じ存在が居ない理由の一つでもあるだろう」
「生まれた環境が、その人の運命を決めると言うの?」
「大きな要因の一つに違いはない。お前は、考えたことはなかったか?もし、女王の娘ではなければ。もし、普通の娘として生まれていたなら、と」
考えたことは、あるけど……。
「しかし、それは叶わぬ望みだ。お前の魂が死者の世界から生者の世界へ来た瞬間に、お前は、女王の娘として生きることが運命付けられたのだから」
「そんな……」
生まれた時から生き方が決まってるなんて。
「これが、事実だ」
わかってる。私は、好きで女王の娘になることを選んだわけじゃない。
好きで、あの城の中に生まれたわけじゃない。
「しかし、運命が絶対ではないことを、お前は証明しようとしているじゃないか」
「証明って……。女王に、逆らうこと?」
「そうだ」
「私、女王に逆らえるの?」
「逆らえない」
それは、ポラリスにとって、そんなに、はっきり答えられることなの?
「そう気を落とすことはない。これが運命だ。しかし、お前は、その運命を越えようとしているのだろう」
「でも……」
逆らえないって。
「運命は、人の未来を縛るものではない」
「変えられるってこと?」
「私は、変えられるものだと信じているよ」
「占いが当たらなくなるのに?」
ポラリスが笑う。
「あぁ。構わないさ。私の予言など、好きなだけ壊すが良い。現に、お前はエルロックの運命を壊したのだから」
「えっ」
壊したって……。
「あぁ、口が滑った。いいかい。他人の運命を知ってはいけない」
「私、エルの運命を壊しちゃったの?」
「他人の運命を知ってはいけない」
「エル、大丈夫なの?」
「語ってはならないことだ」
「お願い。教えて。私、エルと一緒に居て大丈夫なの?」
ポラリスがため息を吐く。
「強情な娘だね……。私も困ってるんだよ。お前の未来が、あまりにも不確定過ぎて」
「不確定?」
「例えるならば、大きな崩壊」
「崩壊……?」
全然、良い意味に聞こえない。
「いくら道が無限に存在しようと、自ずと人の運命は一箇所に収束するものだ。しかし、お前の場合は違う。収束の様子が見えない。……おそらく、他人の運命を壊して歩くよう、運命付けられているからなのだろうな」
「私、壊しちゃうの?」
「さっきも話しただろう。運命は生まれた時から決まっているもので、選ぶことの出来ないものなんだ。しかし、運命から抜け出したいと思っている者は多い。お前は、その手伝いが出来るんだよ」
手伝い?
「じゃあ、エルの運命を壊したことは、エルにとって良いことだったの?」
「答えられないな」
私がエルに何をしたのか、全然わからない。
私は、エルが抜け出したいと思っていた運命を壊したの?
エルの運命って?
「思うようにやってみてごらん。ただし、予言を忘れてはならないよ」
―南に行ってはいけない。
―行けば、すべてを失う運命。
「わかった」
私は、何も失いたくない。
「良い返事だね。さぁ、お行き」
※
エイダと一緒に外に出て、サウスストリートを歩く。
『何か、良い話は聞けましたか?』
良い話、なのかなぁ。
「良くわからない」
『予言を貰ったのでは?』
「南に行っちゃ駄目だって」
『今、南に向かって歩いていますよ』
「えっ」
どうしよう?
エイダが、くすくす笑う。
『おそらく、もっと大きな範囲の話でしょうけどね』
「大きな範囲って……」
『南の都市に向かってはならないとか、そんな感じでしょうか』
「旅に出るなら、南じゃない方が良いってこと?」
『そんなところでしょうね』
エルがどこかに行くって言った時に、南を選ばないように気を付ければ良いってこと?
南……。
何があるんだろう。
遠くから騒がしい声が聞こえてきた。通りの人たちが私の後ろへ向かって走っていく。
『何かあったようですね』
エイダが遠くを見てる。
「見に行く?」
『手を出さないって約束出来ますか?』
「え?」
『今日は、リリーを守るって約束をしていますから。亜精霊が現れていても、決闘が行われていても、リリーを戦わせることは出来ませんからね』
私、そんなに戦ってばかりに見えるかな。
皆が向かってる方にあるのは……。
「火事?」
『かじ?』
「ほら、煙が見える。煙たい臭いもするし、火事が起きてるんじゃないかなって」
『確かに、向こうから炎の気配を感じます』
「正解だね」
「えっ?」
真後ろから声を掛けられて、慌てて少し離れて振り返る。
こんなに近づかれたのに気づけなかった。
魔法部隊の制服だ。けど、違う。この人は……。
『アレク』
「君は、私のことを、どれぐらい知っているのかな」
周りに精霊がたくさん居て、右目が菫色。
「エルに紋章を渡した……」
「自己紹介は不要のようだね」
「あの、」
「私のことは、アレクと呼ぶように」
皇太子殿下なのに?
「アレクさん?」
「良いよ」
アレクさんが袋から出したマントを羽織って、フードを被る。
アレクさんも持ってるんだ。エルのアイテム袋。
「どうして、魔法部隊の服を着てるんですか?」
「火事の消火活動に出た魔法部隊と一緒に外に出てきたんだ」
「怒られないんですか?」
アレクさんが笑う。
「大丈夫だよ」
大丈夫じゃないよね?
目が合った精霊が肩をすくめる。
「遊びに行こう」
「エルの家に?」
『駄目よ』
「君は、今日はエルの傍に居ないんだね」
「え?」
『リリーの護衛を頼まれているの。危ない場所には連れて行かないで』
「何があったとしても私が守るよ。それなら良いかい」
『危ない場所に連れて行く気なの?』
「盗賊ギルドだよ」
「え?」
『危ないわ』
「エルが出入りしていると聞いてね。君も、エルが何を調べているのか興味があるんじゃないかい」
気になる。
「勝手に聞いても良いの?」
「一緒に行くと言うなら、どんなことをしてでも語らせると約束しよう」
良いのかな。
「ところで、今日は、いつも一緒の子は連れていないのかい」
「イリスのこと?」
「そう」
『リリー。あまり精霊の名を人に語っては駄目よ』
そうだった。
「あの、あなたも精霊の声が聞こえて、精霊が見えるの?」
「違うよ。私は女王の娘ではないからね。声を聞けるだけだ」
私のこと、知ってる……。
「おいで」
「……はい」
付いて行くしかないよね。




