ぶちあげていこーぜっ!!
四方を囲まれたケテルは、今朝と同じように乏しい戦力を四分割することを強いられる。配置も同じ、正門をトラックを中心とした本隊が守り、東にノブロ、西にエバラ一家、北にミューゼスという布陣。他に選択の余地がない、というか、もはや戦略も戦術もない、完全に個人頼みの配置になっている。今朝と違うのは、もはや東側にはノブロ一家以外の部隊は配置されず、レアンパパたちは北と東に分散配置されたことだ。敵がいくらいようがボクシングルールを強制するアフロ王の力があれば、東側は数の差が問題になることはない。もっともそれは、ノブロが延々と戦い続ける前提で初めて成立する。ノブロが試合続行不可能になれば、ボクシングの対戦そのものが成立しなくなり、スキル『A級トーナメント開催』は効力を失うのだ。
迫る敵の足音にそれぞれの焦燥を抱え、皆が己を鼓舞する咆哮を上げた。
試合開始のゴングを前に、ノブロは己の熱を閉じ込めるように座っていた。ウォームアップを終えた身体はわずかに汗ばみ、目だけがギラギラとした光を放っている。一時間の休憩で朝の連戦の疲労が回復するはずもない。隣に立つアフロ王が無言でノブロを見下ろす。
「……確かめてぇことがあんのよ」
独り言のようにノブロが言った。アフロ王は静かに耳を澄ませている。
「ボクシングに何ができんのか。俺に何ができんのか。俺は、それが知りてぇ」
どこか切実な、あるいは朦朧とした声音に、アフロ王は膝をついてノブロと視線の高さを合わせた。
「見つかりそうか? 答えが」
ノブロはアフロ王の目を見つめる。
「わかんねぇ。でも、もうちょっとな気がすんだよ」
真意を見定めるようにアフロ王はノブロの目の奥を覗き込む。しばらくの沈黙の後、アフロ王はノブロの肩に手を置いて笑った。
「ならば、私も力を貸そう」
アフロ王の手から淡い光が溢れる。ノブロの表情から疲労の影が消え、代わりに驚きが浮かぶ。
「……ズルじゃね?」
「ボクシングは本来、一日に何人もの相手と試合をするスポーツではない。一戦ごとに最高のパフォーマンスを整え、最高の試合を観客の記憶に刻むものだ。ならば疲れ切った身体でリングに上がるほうがボクシングに対する冒涜というものだ」
ノブロは眉間にしわを寄せて唸る。難しい言葉で丸め込まれている気がしているのだろう。アフロ王は苦笑し、冗談のように言った。
「戦いの前に全快させるのは魔族の習性のようなものだ。甘んじて受け入れろ」
習性じゃしょうがねぇか、とつぶやき、ノブロは気を整えるように自らの両の拳を軽く合わせた。同時に、ノブロの入場曲が会場に響き渡る。うっし、と息を吐き、ノブロは立ち上がった。アフロ王がノブロの背を強く叩く。
「行ってこい! お前が何者か、この私に見せてみろ!」
背中の痛みに顔をしかめ、ノブロはリングに続く花道に力強く足を踏み出した。
西門の前に立ちはだかり、ニヨベラピキャモケケトス神が視界を埋めるアディシェス兵の群れを睥睨している。アディシェス兵はニヨベラピキャモケケトス神を遠巻きに武器を構え、畏怖に震えているようだった。神話の時代の戦神を目の前にして、神気を肌で感じて、本能が警告するのだ。手を出すな、出せば終わりだ――
ニヨベラピキャモケケトス神の足元にはミラ、ジン、ドラムカンガーF、ニヨ、そしてガートンパパ率いるケテル兵が固まっている。ケテル兵は総勢八百ほど。対する敵はおよそ三千。四倍近い兵力差がありながら敵の攻勢を封じるのはただ、ニヨベラピキャモケケトス神の存在だけだ。
――ギャオース!
ニヨベラピキャモケケトス神が虚空に吠える。それはどこかやりきれない哀しみを込めた祈りのようだった。戦うこと――傷付けること、壊すこと、殺すこと――それは本当に必要なことなのか。戦いの神が戦いに問いを突き付けている。その重みが、アディシェス兵の足を止めている。
――ギャオース!
ニヨベラピキャモケケトス神がもう一度吠える。血を吐くような叫び――同時に、ニヨベラピキャモケケトス神の身体から光の粒が浮かび、天に昇り始めた。アディシェス兵が戸惑いにざわめく。ミラが悲鳴のように名を呼んだ。
「エバラさん!」
光は徐々に強く、粒はやがて柱となって天を衝く。直視できぬ真白の光にニヨベラピキャモケケトス神の姿が覆われ、消えた。光が晴れたとき、そこにニヨベラピキャモケケトス神の姿はなく、代わりに気を失ったエバラと、彼女を抱きかかえる夫が静かに立っていた。
「……限界、だった。神の姿を象るには、人の器は脆すぎるのだ」
ニヨがエバラ夫妻に駆け寄ってキューと鳴く。ミラは首を横に振った。
「神様に、守られてばかりじゃない。私たちは、私たちの力で」
ジンが、ガートンパパが、皆がうなずく。ドラムカンガーFが「ま゛!」と力こぶを作った。エバラの夫は皆に頭を下げた。
――戦いの神が、消えた
目の前で起こったことを理解し始めたアディシェス兵が、あちこちで声を上げ始める。今、このタイミングでニヨベラピキャモケケトス神が消えた。それは彼らにとって、物理的な脅威が消失したことだけを示すものではない。ケテルは神の加護を失った。神意はケテルにはない。アディシェス兵にとって、この戦が神に背くものではないという証明なのだ。
「神は去った!」
敵の将軍が剣を掲げて叫ぶ。
「もはや神はケテルを守らぬ! ならば我らアディシェスが何を怖れようか! この戦、逆賊を討ち世に安寧をもたらす聖戦なり!」
おおおお、とアディシェス兵が高揚を張り上げる。大気を震わせる声が圧し潰すようにケテルに迫る。ミラたちは厳しい表情で敵をにらみ据える。敵将が掲げた剣を振り下ろす。
「かかれ!」
号令と共に土煙が上がり、足音が地を揺らす。ミラが呪文をつぶやき、ドラムカンガーFが右手を正面に向け、
「ごぶごぶ!」
ガートンパパ率いるケテル兵が敵を迎え撃つべく足を踏み出した。
午前の戦いですでにボロボロの野外ステージの上で、ミューゼスとバックバンドのメンバー、そして会場スタッフまでもが円陣を組む。ステージの周辺はミューゼス親衛隊とレアンパパの部隊がアディシェス兵の猛攻を決死の覚悟で食い止めている。怒号、剣戟、そして――
「ステージに近付かないでください! 大変危険です!」
マカロン君たちが声を嗄らして叫んでいる。この場所を『戦場』ではなく『ライブ会場』にするために戦っている。カリオペイアは円陣を組む皆に向かって言った。
「メジャーデビューのシークレットゲリラライブから、ここまで来ました」
スタッフたちがうなずきを返す。長いような、ほんのわずかな時間だったような、駆け抜けてきた時間を思い出している。
「アイドルって何だろうって、ずっと考えてきました。生身の人間が、偶像になる。それってどういうこと? みんなは何を期待して、私は何をすれば期待に応えられるんだろう」
バックバンドのメンバーは静かに耳を傾けている。今まで演じ奏でてきた音楽の熱を思い出している。
「……答えはまだ、出ません。けれどきっと、私たちはもうすぐ答えに手が届く場所にいる」
カリオペイアが隣にいるエラトーとウーラニアを見る。二人は微笑んでうなずいた。
「歌で世界は変わる。歌で世界を変えてみせる。でも、私一人の力じゃできない。ミューゼスだけの力じゃできない」
カリオペイアは皆の顔を一人ずつ見渡し、深く頭を下げる。
「正真正銘、これで最後です。皆の力を貸してください。私たちならきっとできる。音楽の力を、世界に見せつけてやりましょう!」
部隊の袖からプロデューサーはまぶしそうにミューゼスを見つめる。デビュー曲で可愛い恋心を歌い、ドーム公演でメッセージソングを歌いこなした。そして今、ミューゼスはただのアイドルグループを飛び越えようとしている。プロデューサーの視線が強い熱を帯びた。
「さあ、飛躍の時だ。世界を刺しに行け、ミューゼス!」
スタッフも含めた全員が肩を組み、身体を前に屈める。互いの温度を確かめ、カリオペイアは吠えた。
「ぶちあげていこーぜっ!!」
戦場の音をかき消す咆哮が凄まじい圧を伴って広がる。一瞬、剣戟の音が止まった。
ボクシングに何ができるか。祈りは届くか。音楽は世界を変えるか。
賭けてみる?




