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アルスレア  作者: ゆきつき
第五章 フルーヴェル

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スープの災難

気がつくと、窓から柔らかな陽の光が差し込んでいた。白いカーテンがゆらりと揺れ、その隙間からこぼれる光が、部屋の中をゆっくりと照らしている。


ロイはベッドの上で、もぞりと身をよじった。久しぶりのまともな寝床。柔らかな感触に身体が沈み込み、そのまま再び意識が溶けかける。


――もう少しだけ。

そう思った、その時だった。


「きゅあっ!」


甲高い鳴き声が、耳元で弾けた。肩口に乗ったミーオが、こちらを覗き込んでいる。


「……おはよう……ミーオ。今……何時……」


まだ夢の中に半分足を突っ込んだまま、ぼんやりと問いかける。


「四時」


間を置かず返ってきた答えに、ロイの意識が少しずつ浮上していく。


「四時……」


光の差し込む窓へと、ゆっくり視線を向ける。明るい。

(……ん? 四時なのに明るい?)


「ご、ごめんなさい! また寝過ごしてぇ!!」


勢いよく飛び起きた。


「ぴあぁぁあっ!」


肩の上に乗っていたミーオが、弾かれるように転げ落ちた。


「えっ……いや、別に怒っていないけど」


呆気に取られたような声。


ベッド脇の椅子に腰掛けていた少女が、きょとんとロイを見つめていた。


「ライナ……?」


ロイはそこでようやく、彼女の存在に気づいた。


彼女の横――机の上には、山のように積まれた食べ物が並んでいる。パン、果物、スープ、焼き肉の香りが混ざり合い、部屋の空気を満たしていた。


「えっ? その食べ物……何?」


「これは街の人からのお裾分け。昨夜、男爵邸を襲った魔物を退治したお礼だって」


「魔物退治? ……そんなことしたっけ?」


ライナは頬杖をつきながら、わずかに眉を寄せた。


「胡散臭い男の差金」


「胡散臭い男?」


ロイはベッドの端にあぐらをかき、机へと身を乗り出した。その手は果物へと伸びる。

床では、ミーオがぴょこぴょこと跳ねながら、ロイを見ていた。


「あの黒髪のクズ男。今朝、男爵邸が半壊していて街が大騒ぎになってたの。善政を敷く男爵の息子が欲に駆られて暴走し、屋敷を自ら吹き飛ばしたなんて知られたら大問題でしょ。それを“森から飛来した魔物が屋敷を襲った”ことにしてうまく丸め込んだわけ」


「わぁ、すごいな。でもなんで俺たちが倒したことになってるの?」


「魔物に果敢にも挑んだ男爵の子息の一助となり、魔物討伐に大きく貢献した――というふうに街の人に公表されたわ。そのせいで私たちは街の英雄扱いよ」


淡々とした口調だが、その声音にはわずかな苦味がにじんでいた。ライナはロイを一瞥し、続けた。


「それと、口止め料として追加でふんだくってたけどね」


「えげつな……」


ロイは苦笑しながら、何気なく視線を下げた。


いつの間にかミーオはライナの膝に乗り、果物をねだるように小さく身を乗り出している。

果物を差し出すと、ミーオは嬉しそうにかじりついた。


その様子を眺めながら、ライナは小さく息をつく。


「ロイ、あいつと一緒にいるのは別に何も言わないけど、完全に信用するのはやめた方がいいと思う。何考えてるか分からないし……気づいたら利用されててもおかしくない」


「んー……まあ、そうかもしれないけど……今のところ助けられてるからな」


ロイはどこか遠くを見るように言った。


「昨日、部屋に戻ってきたら縄で縛られた人が床に倒れてて、サグロスが叩き起こしたんだけどさ。サグロスを見た瞬間、悲鳴上げて逃げていったんだよね。一体何したんだろ」


「ろくなことじゃないでしょうね。何者なの? あいつ」


ライナはミーオの頭を撫でながら、視線をロイに向けた。ミーオは気持ちよさそうに目を細めた。


「便利屋だって言ってたよ」


「便利屋……これまた胡散臭い肩書だこと」


ライナは間髪入れず切り捨てた。


「ところで、サグロスは?」


「酒場へ昼間っから飲みに行った」


「わー自由だな……ライナ、いつからここにいたの?」


ライナは少し視線を逸らす。


「昼過ぎくらいから。外にいると何かと、街の人に声をかけられて落ち着かなくて」


わずかに言葉を切る。


「街中であいつと会って、ここを教えてもらったの。……癪だったけど、他に手もなかったし。勝手に居座ってごめんなさい」


「いや、別に気にしてないよ」


ロイはにこりと笑った。


その横で――

ミーオが机の上によじ登り、後ろ足で立ち上がる。そのままぐいっと体を伸ばし、奥の果物へと身を乗り出した。お腹が手前のスープの入ったボウルの縁に乗り、ぐらりとボウルが傾いた。


バシャン。

ミーオが頭からスープの中に突っ込んだ。


「ミーオなにしてるの!!」


慌てて引き上げるロイ。


「きゅぅ……」


びちゃびちゃになった体からスープが滴り落ちる。


「ごめん、ミーオが――」


言いかけて、ロイは固まった。

ライナの首元に巻かれた布に、べっとりとスープが付いている。髪にも飛び散り、頬をつたってぽたりと落ちた。


「わあああ! ごめんなさい!!」


慌ててタオルを掴み、差し出す。


「別に気にしてない」


ライナはタオルを受け取ると頬を拭った。タオルに付いた汚れを見てから、首元の布へと目を落とす。そのまま髪に触れ、わずかに眉を寄せた。


「……やっぱりシャワー借りていい?」


「う、うん! もちろん!」


「良ければその子も綺麗にするけど」


「えっ? いいの?」


「いいよ。ついでだし」


「ありがとう。あっ、そこのタオルも使っていいから! 俺、宿の人に余分にもらえるか聞いてくる!」


ロイは返事も待たずに部屋を飛び出して行った。

ぱたん、と扉が閉まる。


「……」


ライナは服に飛んだ染みをちらりと見て、ミーオへ視線を向ける。ふと、目が合う。


「あなたのご主人様は、本当に優しい人ね」


「ぴゅあ!」


ミーオは嬉しそうに尻尾を振った。


 ◇


宿の主人に声をかけ、タオルを受け取ったところで――


「おーい、ロイくーん」


聞き慣れた声が背後から飛んできた。振り向くと、頬を赤らめたサグロスが、ふらりと歩いてくる。


「やぁっと起きたか。この寝坊助め」


「サグロス……結構飲んでるでしょ」


「あったりめーよぉ。昨夜の功労者として、いい酒をもてなしてもらったからなぁ」


半分ほど瞼の落ちた目で、上機嫌にロイを見ている。


「……そんなにタオル持って何してんだぁ?」


「ミーオがスープこぼしちゃって」


「ちゃんと躾とけよぉ」


「ドラゴンに躾ってどうやるの?」


「知らねー」


「適当な事言って」


サグロスはくつくつと笑った。


「ライナは?」


「まだ部屋にいるよ」


「ふーん……あいつ、お前とは普通にしゃべるよなぁ」


少し拗ねたように、サグロスは口を尖らせた。


「うん。敬語じゃなくていいって言われた」


「何だそりゃ。俺なんてなぁ、名前で呼ぶとめっちゃ睨んでくるぞ」


「本当、何やったの……」


ロイは呆れたように眉をひそめた。


「知りたい?」


わざとらしく顔を覗き込んでくる。


「……やめとく。なんか聞いちゃいけない気がする」


「なんだ、つまんねー」


サグロスは喉の奥で笑い、残念そうに肩をすくめた。


 ◇


部屋に戻るなり、サグロスはぐるりと室内を見回した。ライナの姿は見当たらず、代わりに浴室から水音が聞こえてくる。

サグロスの目がすっと細められた。


「ロイくん。ライナは浴室か?」


さっきまでとは打って変わって、妙に真剣な声だった。

ロイはベッドにタオルを置こうとした手を止めた。


「う……うん。スープがかかっちゃって……本当に申し訳ない」


「そんなことはどうでもいい」


即答だった。


「この状況で男がやることは一つだよな?」


どこか楽しげですらある声に、ロイは眉をひそめた。


「やること……」


恐る恐る聞く。


「なに?」


サグロスはニヤリと笑うと、ロイに歩み寄り、肩に腕を回した。顔を寄せ、周囲をはばかるように耳打ちをする。


「のぞきに決まってんだろ」


サグロスは悪びれもなく言った。


「っ!?」


ロイの手がびくりと跳ね、持っていたタオルを落とした。


「ダメだって! 殺されたいの!?」


「そのスリルがいいんだろ?」


サグロスは楽しげに肩を揺らした。


「本当にやめなって!」


ロイは慌てて、サグロスの腕を掴み、引き止めようとするが――ひょい、と足を払われる。


「ふべっ!」


顔からベッドに突っ込んだ。


その隙に、サグロスは音もなく浴室へ近づく。手が、ドアに伸びた瞬間――


「ぶっ!」


ピンク色の影が勢いよく飛び出し、サグロスの顔面に直撃した。

不意打ちを受けたサグロスはぐらりとよろめき、たまらず尻餅をつく。顔に張り付いたそれを乱暴に引き剥がした。


「いってぇな、こいつ……毛が口に入ったじゃねーか。気持ちわりぃ」


「びぃぃあっ!」


掴み上げられたミーオが怒ったように鳴いた。


ぎい……と、ゆっくりドアが開く。

そこには――濡れた髪をかき上げ、サグロスを無言で見下ろすライナがいた。


サグロスが引きつった笑みを浮かべる。


「よぉ……ライナ。シャワーは……もう終わりか?」


「本当、どこまでもクズな最低男」


ライナの視線は――完全に、虫ケラを見るそれだった。


ロイは悟った。

――ここにいてはいけない。


次の瞬間には、全力で部屋を飛び出していた。


階段を駆け下り、外へ出る。西へ傾いた陽が街並みを赤く染めていた。

通りにはぽつぽつと灯りがともり始め、あちこちで今朝の騒ぎを話す声が交わされている。


その中に――


「ぎゃあああああああああああああ!!!」


サグロスの悲鳴が夕暮れの街に響き渡った。


それでも通りのざわめきは途切れることなく、街は何事もなかったかのように夜を迎えようとしていた。

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