お人好しとクズと砂漠の少女
崩れた壁の隙間から、冷えた夜気だけが流れ込んでいた。
月明かりが砕けた天井の裂け目から差し込み、白く舞う粉じんを照らしていた。
静まり返った空間に、小石がぱらぱらと落ちる音が響き、焦げた匂いが遅れて鼻をついた。
その場にへたり込んだロイは、手の中のアルスレアを見つめたまま、ようやく息を吐く。
「……止まった……」
壁に背を預けていたサグロスがゆっくりと歩み寄る。
「……それ、とんでもねぇな」
抑えた声で言いながら、サグロスはロイの手元を見据えていた。
「お前以外が使うなんて、無理そうだな」
ロイは小さく視線を落とした。
「アルスレアが……あんなことするなんて思わなかった。もっと、気をつけないと……」
「はは。俺が森で触れた時、焼き殺されなくてよかったぜ」
軽く笑いながらも、その顔は強張っていた。
不意に、ぱたぱたと軽い羽音がして、ミーオがロイの頭に着地した。
「ミーオ……怪我なかった?」
「ぴゃっ!」
元気よく鳴くその様子に、ロイはほっと息をついた。
視線を巡らせると、屋敷の内部は見るも無惨な有様だった。
壁は深く裂け、床には瓦礫が散乱している。――さっきまでいた傭兵たちの姿は、もうどこにもなかった。
そして――
倒れた椅子のそばに、黒く焼け焦げた塊が転がっていた。ぴくり、と動く。
「ぎゃあぁぁぁぁぁ!! 痛い! 熱い!!」
エルディオだった。
「……いい焼き加減じゃねぇか」
サグロスが鼻で笑った。
「どどどどうしよう……」
慌てるロイに、いつの間にか傍らに来ていた少女が冷静に口を開く。
「全身火傷。でも、致命傷じゃない。早く医者に見せれば大丈夫」
「早く、連れていかなきゃ!」
立ち上がろうとするロイの肩を、サグロスが軽く押さえた。
「待て。こいつが勝手に自滅したんだ。放っときゃいいだろ」
「それはダメだ!」
ロイはきっぱりと言い切る。
「たとえ、ひどいことをしてても……見過ごせない!」
「助けたところで、逆恨みされそうだが?」
「別にいい」
即答だった。
サグロスは無言でロイを見つめ、ロイもまた、まっすぐに見返した。
やがて、深く息を吐く。
「はぁ……とんだお人好しだな。お前は」
「! なら早く医者に――」
「こんなデブ担いで走れるか。下がってろ」
サグロスはコルディアを手に巻き付けると、そのままエルディオへ歩み寄り、手をかざした。
「水よ、癒しの流れを――《アクア・サナート》」
淡い水色の光がにじむように広がり、エルディオの全身を覆っていく。
水が染み込むように、焼けただれた皮膚がじわじわと再生し、焦げた匂いが洗い流されていった。
ロイが目を見開く。
「サグロス……治癒魔法、使えたの?」
「簡単なやつならな。……しっかしこいつ、無駄にしぶといな。こんな初級魔法でほぼ戻るとか」
やがて光が消えると、エルディオはむくりと起き上がった。
「よくやった。褒めて遣わす」
サグロスの眉間に、露骨な不快が刻まれた。
だが、その目が獲物を見つけたように細まり、口元が愉しげにゆっくりと歪んだ。
「……さて」
サグロスはゆっくりと立ち上がり、エルディオを見下ろした。
「こっちは慈善事業じゃないんでな。しっかり治療代、払ってもらおうか?」
底意地の悪い笑みのまま告げた金額に、エルディオの顔色が一瞬で青ざめる。
「な、ななななんだその金額は! ふざけているのか貴様ぁ!!」
「治療費、迷惑料、侮辱料込みだ。払えねぇならパパに請求すっぞ」
「ひぃっ……やめろぉおおお!!」
情けない悲鳴が響く。
ロイは若干引き気味にその様子を見ていた。
(うわぁ……容赦ない……)
そのやり取りを横目に、少女が静かに口を開く。
「……ごめんなさい。手荒なことをしてしまって」
「あっ、いえ! お姉さんこそ怪我はありませんか?」
「私、あなたに本気で攻撃したのに……」
少しだけ呆れたように、しかしどこか柔らかい声だった。
少女はロイの手の中のアルスレアに視線を落とす。
「まっすぐすぎる人……だからこそ、その武具に選ばれたのかもね」
ロイはきょとんとしたまま、わずかに首を傾げた。
少女は小さく息をつき、背を向けた。
「それじゃ、私はこれで失礼するわ」
「あ、あの!」
ロイが呼び止める。
「どうしてここに? 砂漠の民……ってことは、ルビウス砂漠の出身ですよね?」
「お前、ルビウス砂漠は知ってんのかよ」
隣には、いつの間にかサグロスが立っていた。
「え? あの南の砂漠でしょ。さすがに知ってるよ……」
「思ったよりバカじゃなかったか」
「ひどくない?」
軽口を挟みつつ、サグロスは少女へと視線を向ける。
「あそこは今、軍とやり合ってる最中だろ。……そこから逃げてきたのか?」
少女の瞳が、露骨に鋭くなる。
「砂漠では昔から民族間のいざこざは絶えなかった。そこに軍が入ってきて、さらにひどくなった」
拳を握りしめる。
「私は……軍に砂漠への介入を止めるよう伝えたいだけだ」
サグロスは短く息を吐く。
「……たった一人でどうにかできると思ってんのか? 軍本部に行っても門前払いか、下手したら捕まるぞ」
「それは皆にも言われた。だが、何もしないでただ受け入れるなんてできなかった」
その強い視線を、サグロスは無言で見つめた。
わずかに張りつめた空気の中、ロイが首を傾げた。
「……えっと、つまり軍本部に行きたいんですよね?」
「ええ」
「なら、一緒に行きませんか? 俺の目的も軍本部ですし」
少女が目を丸くする。
「はあ? 軍本部? お前……王都行った後どうするか分からないって言ってたよな?」
「サグロスが“軍本部”って言った時に思い出した」
サグロスはわずかに眉をひそめた。
「……お前、やっぱりバカだろ」
「いろんなことがあってちょっと抜けてたんだよっ!」
「ちょっとどころじゃねーだろ。毎回大事なこと言い忘れやがって。少しは反省しろ」
「はい……」
しょんぼりと肩を落とすロイ。
サグロスは呆れたように息を吐き、少女へと視線を戻した。
「で、どうするんだ? こいつが神話の武具の使用者である限り、一緒に行けばお前のやりたいことはすんなり叶いそうだぞ?」
少女は返事をせず、わずかに視線を伏せた。
「そんな簡単にいくかな……」
ロイがぼそりと呟いた。
「そこは脅せ。止めてくれないと、協力しないぞーとか言ってな」
「無理だよそんなの……」
「情けねぇ」
少女は小さく首を振る。
「そんな……利用するみたいなこと、できない」
ロイは少女へ視線を向けた。
「サグロスみたいなことはできないですけど……俺にできることなら、手伝いますよ」
にこりと笑う。
その笑顔に、少女はしばし言葉を失った。
ふっと、表情が和らぐ。
「……なら、お言葉に甘えようかな」
「よっしゃ! 野郎二人旅、脱却だぜ! で、名前は?」
サグロスは人懐っこい笑みを浮かべながら、一歩近づいた。
少女は反射的に一歩後ろへ下がる。
「近づくな、このクズ男」
和らいだ表情が、一瞬で消えた。
「ひでぇ言い方! あのことなら謝るからさ、綺麗なお姉さん、仲良くしよーぜ」
「その言い方やめてくれる? 馴れ馴れしい」
「あのことって……サグロス、何したの?」
「それはだな――」
ドスっ、と鈍い音が響いた。
少女の膝が、サグロスの腹にめり込んでいた。
「ぐふっ……」
そのまま崩れ落ちた。
「わわわわ!?」
青ざめるロイをよそに、少女は静かに言った。
「……ライナ」
「え?」
「私の名前」




