覚悟の刃
月明かりは、建物の隙間に細く落ちているだけだった。
サグロスは壁際を選び、影から影へと進む。
ロイは黙ってその背を追った。
ミーオは鳴き声も上げず、二人の後ろを同じ高さで滑るように飛んでいた。
細い路地の先に、小さな広場が見えた。
二人は路地の影に身を潜めたまま、その静かな空間を窺った。
月明かりが広場に淡く降り注ぎ、中央には古い石造りの井戸があった。
水面は揺らぎ一つなく、月を静かに映していた。
「このままここを抜けて街の外へ出るぞ」
サグロスが前を見たまま小声で言った。
ロイは小さくうなずいた。胸の奥にはまださっきの騒ぎの余韻が残っていた。アルスレアの重みが、いつもよりも強く感じられた。
二人が路地の影から出た瞬間――
「ぴゃっ!!」
鋭い鳴き声に、反射的に振り返る。
黒い影が、月を裂いて落ちてきた。
頭から布を被り、マントをまとった人影。
「!」
振り下ろされた踵。
ロイは咄嗟に身を引き、後方へ跳ぶ。
踵が石畳の直前で勢いを殺し、着地した刹那――
一気に距離を詰めてきた。
――速い。
踏み込みの勢いを乗せた拳が突き出される。
ロイは咄嗟に両腕を交差し受け止めたが、勢いを殺しきれずそのまま石畳を転がった。
「チッ!」
サグロスはベルトから針を抜き、弾いた。
銀線が月光を裂く。
襲撃者はわずかに体を傾け、それをかわすと、サグロスには目もくれず、さらに前へ。
転がったロイとの距離を、再び詰める。
石畳に手をつき、ロイは跳ね起きた。
振り抜かれた拳が頬をかすめる。
間髪入れず、蹴りが来る。
相手は迷いがない。
躊躇もない。
拳と蹴りの激しい連撃が雨のように降り注ぐ。
ロイは必死にかわし、転がり、距離を取ろうとする。
だが――追いつかれる。
踏み込みが鋭い。
「くっ……!」
追い詰められた瞬間、ロイはポケットに手を差し入れる。
蒼白い光が夜を裂いた。
だがその刹那、襲撃者の足元が赤く光った。
「――っ!」
炎を纏った蹴りが弧を描き、蒼白の刃と衝突する。
刃越しに、じり、とした熱が腕を走りロイの身体が弾かれた。
「チッ、コルディア使いか!」
サグロスが舌打ちした。
(しかもこいつ、体の使い方が素人じゃねぇぞ。戦い慣れてやがる)
石畳に靴底をこすりつけながら、どうにか踏み止まる。
再び迫る炎の蹴りをアルスレアで受け止める。
だが――攻撃できない。
(この人、強い! 攻撃しないと、俺がやられる。けど、もし当たったら……)
人だ。
刃が当たれば――
殺してしまうかもしれない。
ロイを縛り続けるその躊躇が、刃を鈍らせていた。
その隙を突かれ、炎を纏った蹴りが叩き込まれた。
「ぐっ……!」
ロイの体が吹き飛ぶ。
その様子にサグロスは眉をひそめた。
森の時よりも動きに鋭さがない。
それと、倉庫の影でのあの質問――
「おい! 躊躇してっとやられるぞ!」
水を纏った槍が炎の蹴りを受け止めた瞬間、蒸気が弾け、白煙が広がる。
二人の距離が大きく強制的に開いた。
「こんなことで揺らぐ覚悟で何が守れる!」
ロイの心臓が、強く跳ねた。
「……!」
覚悟。
守ると決めた。逃げないと決めた。
ロイは息を吸い、立ち上がる。
蒼白の光が揺れる。
襲撃者はサグロスの水の槍を掻い潜り、再びロイに迫る。
高速で繰り出される蹴りを必死にかわし、防ぐ。
体勢を崩されながらも、止まらない。
守るだけだった刃が、初めて前へ出た。
蒼白の光を纏った刃と炎を纏った蹴りが正面からぶつかり合う。
衝撃でロイの腕が跳ね上げられる。
その勢いに乗ったまま襲撃者の身体が低く回転し、次の踵蹴りが炎の円を描きながら迫る。
当たる――
そう思った瞬間、襲撃者は弾かれたように横へ跳んだ。
石畳を叩き割るようにサグロスの槍が振り下ろされた。
「クソッ」
ロイは踏み込み、斬りかかる。
自分ができることを全部出し切るように、アルスレアを振るう。
だが襲撃者はかわす。
そして、一瞬の隙を見て蹴り込んでくる。
光と炎が衝突し、火花が夜に散った。
蹴りが飛ぶ。
刃が受ける。
炎が弾け、光が押し返す。
逃さず、水を纏った槍が横から打ち込まれる。
赤、青、蒼白が交錯し、夜気が焦げる。
三つの影が絡み合う。
ロイはアルスレアを振るいながら、魔力をさらに込めた。
蒼白の光が剣を包み込み、それに応じて強さを増していく。
襲撃者が距離を取った瞬間、ロイは力強く石畳を蹴り、突きを放った。
だが、襲撃者はわずかに顔をずらし、それをかわした。
アルスレアがわずかに脈打った。
「――弾けろ!!」
夜が白に塗り潰される。
襲撃者は咄嗟に横へ飛び退く。
だが至近距離の閃光が視界を焼き、動きが一瞬止まる。
その隙を、サグロスは見逃さなかった。
素早く背後へ回り込み、腕を首に絡ませ、締め上げる。
「っ!」
「このままおねんねといこうぜっ!」
襲撃者の肘がサグロスのみぞおちにめり込む。
締め上げていた腕が緩んだ。
「ぐっ、こいつ!」
サグロスは逃すまいと咄嗟に手を伸ばした。
マント越しに柔らかな感触を掴む。
「……ん?」
次の瞬間、腕を掴まれ、勢いよく肩越しに投げ飛ばされた。
視界が反転する一瞬の間に、サグロスの指先が襲撃者の頭を覆う布を引っかけた。
布が宙を舞った。
石畳に叩きつけられるサグロス。
「!? サグロス? 大丈夫か?」
ロイは目元を押さえながら叫んだ。
起き上がりながら、サグロスは自分の手をじっと見た。
「……想定外だな」
「……何が?」
宙を舞った布が、ぱさりと石畳に落ちる。
ロイは音のした方へ視線を向けた。
その向こうに立つ襲撃者の輪郭が、ぼやけた視界の中でゆっくりと焦点を結んでいく。
オアシスの水面を思わせる青い瞳。
肩のあたりでふたつに結ばれた、鮮やかなオレンジ色の髪。
少女だった。
(女の人!?)
「こんなところに砂漠の民がいるとは珍しいな」
「砂漠の……民」
「目的は何だ? 金か? それとも貴族への媚売りか?」
青い瞳が、サグロスを射抜く。
「……誰がそんなもので動くか。バカにするな。その神話の武具は危険なものだ。素人が扱っていいものじゃない。然るべきところで管理されるべきだ」
サグロスが鼻で笑う。
「そんなことを言って、お前自身が欲しいんじゃないのか? こいつがあれば、軍との抗争を有利にできるしな」
空気が張り詰める。
「ま、待ってください!」
ロイが慌てて声を上げる。
「アルスレアは危険なものじゃないです! 確かに俺は上手く力を使えないですけど……」
「それには異様な気配がある。それだけで十分だ」
冷たい視線。
「砂漠の民と話なんて時間の無駄だ。頭の硬い連中だからな」
サグロスが吐き捨てる。
「相手のことをよく知ろうともせずに、勝手に決めつけるのはよくない!」
ロイの声が響く。
その言葉に、サグロスの肩がぴくりと揺れた。
眉間に皺が寄る。
「お前の頭はお花畑かよ。それができていたらな、世の中に争いなんて起きやしねえよ」
「歩み寄ろうと努力もせずに、諦めるなよ!」
サグロスの目が、鋭くなる。
「……綺麗事ばかりほざく口だな。反吐が出る」
少女は、黙って二人を見ていた。
青い瞳が、わずかに細められる。
そのときだった。
風を裂く音が、背後から迫った。
ロイが振り返るより早く、黒い鎖が二人の体に巻きついた。
「!?」
そのまま力任せに地面へ引き倒された。
「がっ……!」
鎖が二人の体を締め付け、身動きが取れない。
(クソっ、油断した……!)
その瞬間。
さらに重い力がのしかかった。
見えない圧力が、二人の体を石畳へ押し潰す。
「……っ!」
肺の空気が一瞬で押し出され、息が詰まる。
靴音が近づく。
迷いのない足取り。
ロイの視界の端に、大きな影が落ちた。
目を向けると、岩のような体格の男が立っていた。
そのとき、井戸の影から小さな影が飛び出した。
口元に、赤い光が灯る。
だが次の瞬間、乱暴に麻袋が被せられた。
「ぴゅぎゃーーーっ!!」
袋の中で暴れる音が響く。
「こいつ、大人しくしろ!」
「ドラゴンなんて珍しいよな。へへ、売ったらいくらになるかな?」
坂の上にいた連中が、広場へ姿を現した。
そのうちの一人が、ロイの前でしゃがみこんだ。
「さっきはよくもやってくれたな。クソガキ」
圧力に押さえつけられたまま、ロイは男を見返した。
男は鼻で笑う。
すると、鎖を握った男が口を開く。
「男爵の下へ連れて行く。手柄は捕まえた者でいいな? 女」
「勝手にしろ」
少女は視線も向けず、淡々と言った。
月が雲に隠れ、広場の影がゆっくりと深くなった。
井戸の水面の月も、静かに闇に沈んだ。




