迷いの刃
夜の大通りは、昼間ほどではないにせよ、まだ人通りが絶えなかった。
酒場から漏れる笑い声、店じまいを急ぐ商人の足音。
ランタンの灯りが石畳を橙色に染め、行き交う人影がゆらゆらと揺れていた。
馬車が一台、ゆっくりと通り過ぎ、蹄の音が夜気に溶けた。
ロイは、その人波の端を歩いていた。
(言われて、外に飛び出してきちゃったけど……)
思わず、来た道を振り返る。
(サグロスのあれは何だったんだ? ふざけている……感じではなかったと思うけど)
耳元で囁いた声だけは、妙に落ち着いていた。だが、脳裏に浮かぶのは酒に酔ったサグロスの姿。
(ふざけてたのかな……あの人、やっぱり良くわからない……ミーオも置いてきちゃったし)
はぁと、大きくため息がこぼれる。
吐き出した息は、夜の喧騒にかき消えた。
そのとき――
「坊主、そんな大きなため息ついてどうしたんだ?」
低い声が、すぐ横からかけられた。
ロイは思わず、そちらへ顔を向けた。
そこには、無精髭を生やした男が立っていた。
「あっ、いえ……なんでもないです」
ロイは慌てて答える。
「子供がこんな時間に一人でほっつき歩いているなんて……迷子か?」
「いえ、違います。大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
ぺこりと頭を下げ、そのまま歩き出そうとする。
だが。
「いやいや、子供を一人にはさせられんだろ」
男の手が伸び、ロイの腕を掴んだ。
「近くに詰所がある。兵もいるし、安全だ。そこまで送ってやるよ」
強引に引かれた。
その瞬間――
ポケットの中で、アルスレアがじわりと熱を帯びた。
焼けるような熱ではない。
けれど警告のような、脈打つ感覚。
(アルスレア?)
背筋が冷たくなる。
「おじさん! 俺、一人で帰れるから!」
ロイは男の手を振り払った。
男の目が、わずかに細まった。
「さよなら!」
ロイは身を翻すと、大通りの奥へ駆け出した。
「チッ、勘のいいガキだ。――こら、待て!」
追ってくる足音。
(なんで追いかけてくるんだ? 俺、何かした?)
ランタンの灯りの下を、ロイは人影を縫うように駆け抜けた。
振り返らずに走り続ける。
大通りの先、石畳はゆるやかな上り坂へと続いていた。
その上に、大きな屋敷が灯りをともしていた。
坂道にも等間隔にランタンが掲げられ、闇は薄い。
あそこまで行けば――
ロイは坂へ踏み込んだ。
石畳を蹴って、一気に駆け上がる。
手すりの向こうで、街の灯りが足元へ沈んでいった。
遠く、川が灯りを映して淡く光っていた。
呼吸が荒くなる。
「くそっ、逃げ足の速いガキだ!」
——甲高い口笛が、坂に鋭く響いた。
上から、駆け下りてくる影。
「!?」
剣を振り下ろす男。
その後ろで、棍棒を構える男。
さらに背後からも足音が迫る。
ロイは咄嗟にポケットへ手を突っ込み、アルスレアを引き抜く。
蒼白い光が坂に弾けた。
剣へと変じたアルスレアが、振り下ろされた一撃を弾き返す。
横合いから棍棒が唸りを上げた。
ロイは咄嗟に身を沈め、その軌道の下へ滑り込む。
振り抜いた棍棒の隙を逃すまいと、足のバネを弾くように、ロイは踏み込む。
だが――
(相手は人だぞ。魔物じゃない)
脳裏に浮かぶ、森で倒れた魔物の姿。
(攻撃したら……死んじゃうんじゃないか?)
その躊躇が、振り抜こうとした剣をわずかに止めた。
振り戻された棍棒が、アルスレアを強打する。
体が宙に浮き、背中から手すりに叩きつけられた。
「がっ――!」
肺の空気が一気に吐き出された。
衝撃で魔力が途切れ――
光が散り、アルスレアの形が崩れた。
道に倒れ込むロイに、三人の男がゆっくり近づいた。
「ようやくつかまえたぞ」
追ってきた男が目を細めた。
「……こいつで間違いねぇ。森で出た魔力反応と同じだ」
その瞬間――
「ぐはぁっ!?」
鈍い衝撃音とともに、追ってきた男の体が坂の上へ弾き飛ばされた。
勢いのまま剣の男に激突し、二人はもつれ合って坂を転がった。
その場に、翼を持った小さなピンクの影がいた。
棍棒を持った男が、息を呑む。
「ぴゅあっ!」
「ミーオ……」
「ロイ! 息止めろ!」
声が届いた瞬間、地面に何かが転がった。
ボフッ!
白い粉が爆ぜ、視界が一瞬で真っ白に染まった。
ロイは反射的に息を止め、目を細めた。
ぐい、と脇の下に腕が差し込まれ、強引に担ぎ上げられた。
「さっさとずらかるぞ」
サグロスの低い声。
そのまま、手すりに足をかけ、眼下に広がる家の屋根へ飛び降りた。
「逃がすな!」
「クソッ! 見えねえ……なんだこれ……足が、痺れ……?」
頭上から怒鳴り声が降ってくる。
家々の棟を渡るように駆け、闇に沈む路地へと飛び降りた。
その上を、ピンクの影がひらりと追う。
⸻
やがて二人は、人の気配の薄い倉庫の陰へと滑り込んだ。
ロイはその場に座り込む。
「お前、大丈夫か?」
「なんとか……でも、なんか……痺れた感じがする」
うまく動かない指先が、遅れて拳を形づくる。
サグロスは短く息を吐いた。
「さっきの粉のせいだ。少し吸い込んじまったか」
ロイは顔を上げる。
「サグロス……あの人たちはなんなんだ? なんで俺、追いかけられたの?」
「……あいつらはグランヴァル男爵に雇われた傭兵だ。宿で襲いかかってきたやつが吐いた」
「えっ? 宿で……襲いかかってきた?」
「お前、やっぱり気づいてなかったか……まあ、俺も狙いがお前だとは思わなかったわ」
ロイははっとする。
「サグロス、怪我なかった?」
「……お前な」
呆れたように眉をひそめる。
「人の心配よりも自分の心配しろよ。お前よりかはピンピンしてるわ」
「よかった……」
その素直な言葉に、サグロスは一瞬言葉を失った。
……調子が狂う。
ロイはミーオを抱き上げる。
「ミーオもありがとう。かっこよかったよ」
「ぴゅあ!」
誇らしげに胸を張る小さな体。
サグロスは視線を逸らしながら続けた。
「ひとまず、奴らは男爵に雇われ、お前を狙ってきた。いや、お前というよりは――アルスレアだ」
ロイの指が、無意識にアルスレアを握り込んだ。
「どうやら、男爵は森で感知された魔力が、半月前の北東のものと同じだと突き止めたみたいだ。で、それを――英雄オルセリアの武具だと見ている」
「えっ......」
「数日前の大波も、その武具の暴走って考えてるみたいだな。武具は何者かによって北から森に運ばれた。傭兵はその持ち主を捕らえるためだ」
ロイは黙り込む。
――余計な戦闘は避けろ。アルスレアも目立たないところにしまっておけ。
マルクの言葉が胸に蘇る。
今になって、その意味がわかった。
アルスレアは、目にした者の心をざわつかせる。
「酒場じゃ、森から怪しい光が飛んできたって噂はあったが、森に出入りしている人間の話はなかった。うまくいったと思ってたんだけどな。気づかれてたみたいだ」
「レイドさんは、大丈夫かな?」
「あいつは大丈夫だろ。こんなことは慣れているしな」
「慣れてるって……どんな生活してるの」
「便利屋やってっと、汚れ仕事も頼まれることもあるからな」
ロイは少し迷った。
それでも、口を開く。
「サグロスは……コルディアで人を攻撃したことある?」
「いっぱいあるな」
「……人を殺したことはある?」
「……」
サグロスは倉庫の高い屋根を見上げた。
月明かりが、木組みの梁を淡く浮かび上がらせていた。
「いや……ない」
「……そっか」
ロイはそれ以上、何も言わなかった。
サグロスはそんなロイを見つめた。
だが、すぐに視線を外した。
「今は傭兵に見つかる前にさっさとこの街を出るぞ。男爵は王都に行ったと聞いたが、どうやらもう戻ってきている。捕まったら面倒だ」
「わかった」
二人は倉庫の影を離れ、細い路地へと足を向けた。
二人は気づかない。
屋根の上で、影がひとつ。
二人の進路をなぞるように動いた。




