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アルスレア  作者: ゆきつき
第五章 フルーヴェル

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酔漢の算段


酒場は夜の熱気に満ちていた。

笑い声、怒号、卓を叩く杯の音が入り混じり、空気は酒と汗の匂いで重たい。


サグロスは壁際の席に腰を下ろし、気怠げに杯を傾けていた。


給仕が通りかかれば軽く口笛を鳴らし、隣の客には馴れ馴れしく話しかける。


時折、隣の男の話に笑い声を返したり、肘をついて冗談を飛ばしたりしていた。


ふと、耳に引っかかる言葉があった。


「ねえ、聞いた? ラグノアの森の話」


「また? 三ヶ月前にあの森の村、魔物にやられたばかりじゃない」


「なんでも、かなり大きな魔力反応が昨日あったらしいわよ」


少し離れた卓から聞こえてきた声に、サグロスの指が杯の縁で止まる。

視線は向けず、代わりに酒を一口あおった。


ふうん、と酔ったように息を吐き、サグロスは立ち上がる。

軽い足取りで卓に近づき、空になりかけの杯を軽く振った。


「ねえ、綺麗なお姉さんたち」


人懐っこく笑いながら、話しかける。


「久しぶりにこの街に来たんだけどさ。昨日、森で何かあったの?」


女たちは顔を見合わせ、くすりと笑う。


「うーん、詳しいことは知らないけど……」


「森で正体不明の魔力反応があったらしくてね」


「それでグランヴァル男爵が森の監視を強化したのよ」


「へぇ、それは気になるね」


軽い相槌を打ちながら、杯をゆるく揺らした。

底に残った琥珀色が、灯りを揺らして静かに回った。


「正体不明っていうのが尚更ね。魔物だったら怖いわ」


「そういえば……今日、怪しい光が森から飛んできたみたいな話、聞いたわよ」


その瞬間。


杯を揺らしていた指が、ぴたりと止まった。


それでも琥珀色だけが、かすかに揺れている。


わずかな間を置いて、再びゆるく回された。


だが、笑みの奥の温度だけが、わずかに下がっていた。


「えっ? なにそれ? 壁を越えられる魔物がいるってこと?」


「いるかどうかはわからないわよ。そんな魔物、以前はいなかったのに……なんか不穏なことになってきたわね」


サグロスは肩をすくめ、いつもの調子で笑う。


「それは男爵様、今頃大忙しだね」


「男爵様は今朝、王都に向かわれたはずだけど……」


「えっ……!? 男爵様、いらっしゃらないの? この街、大丈夫なの?」


「あくまで噂よ。本当に魔物なのかなんてわからないわよ」


サグロスは小さく頷いた。


「へぇ、なるほどな。でも噂に振り回されて暗い顔するより、今を楽しんだほうがいいんじゃない?」


そして、わざとらしく顔を綻ばせる。


「俺はお姉さんたちとおしゃべりできて、今すっごく楽しいけど」


女たちが笑い、卓の空気が和む。

酒場の喧騒がその隙間を埋めるように戻ってくる。


だがその裏で、サグロスの思考だけが静かに回り続けていた。



ロイは宿の部屋で、久しぶりのベッドに身を預けていた。


薄い寝具でも、硬い床よりはずっといい。

隣ではミーオが小さな寝息を立てている。


「……ベッド……最高」


心地よさに意識が薄れかけた。

――その瞬間。


バン!


扉が勢いよく開き、壁にぶつかって大きな音を立てる。


「っ!?」


飛び起きたロイの視界に映ったのは、サグロスだった。


「なんだ……サグロスか……」


「あー? なぁにもう寝てんだぁ? 赤ん坊か、てめーは」


足取りはおぼつかず、顔は赤い。


――嫌な予感がする。


距離を取ろうとした瞬間、肩をがっしり掴まれた。

「まだまだ夜はなげーぞぉ、寝てねーで、楽しめよぉ」

酒の匂いが一気に鼻を突いた。


「酒くさっ!」


そのまま肩に腕を回され、頬をぐりぐりされる。

 

「だははははっ! パン生地みてー!」


声がやたらと大きい。


「やめてってばー!」


大声で言い合う二人の声は室外にまで響いていた。


逃げようとするロイの耳元に、サグロスが顔を寄せる。

次の瞬間、低く抑えた声が囁かれた。


「このまま俺から逃げるふりをして人混みに紛れ込め。いいな」


「え――」


言われた意味はわからない。だが声は真剣そのものだった。


問い返そうとすると――


「おいこらぁ! 俺様を無視するとはいい度胸だなぁー」


さっきの真剣さが嘘のような酔っ払いが目の前にいた。


酒の匂いを漂わせながら、ぐいと顔を近づけてくる。


「うわぁぁあっ! こっち来るなー!!」


半ば悲鳴のような声を上げ、ロイは反射的にサグロスを押し除けた。

そのまま、逃げるように部屋の外へと駆け出した。


背後からサグロスの怒声が響く中、静かな廊下を駆け抜け、階段を下り、そのまま外へ。

夜の通りは灯りに満ち、人々の声が渦を巻いていた。


ロイの足音が遠ざかり、やがて廊下には静寂が戻った。

残されたのは、サグロスだけだった。


「ちぇっ、つまんねーやつぅ」


赤い顔でぶつぶつ文句を言いながら、サグロスは部屋へ戻ろうとした。


足を止めることなく、わずかに身体を横へ流す。


風を裂いて、ナイフが扉に深々と突き立った。


「で? 何か用か――俺に」


ゆっくりと、振り返る。


「悪いが、男の夜這いはお断りだぜ」


揺れる灯りの下、男の視線がサグロスを射抜いていた。


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