27 祖母の死
27 祖母の死
おばあちゃんが亡くなった。このところ食が細くなって随分弱っていたので、いつ亡くなっても不思議ではなかった。
朝、ぼくが新聞配達が終わって玄関の戸を開けると、奥からただならぬ空気が伝わって来て、目を腫らした美由が玄関まで走って来て「おばあさまが亡くなられた」、とぼくに告げた。それから、美由が「おばあさまが、おばあさまが」と言って、茫然と立ち竦むぼくに泣きながら抱き着いてきた。
おばあちゃんがこのところ弱っていたのはわかっていたが、今朝亡くなるような予兆は、昨晩には何も感じられなかった。この日がいつか来るのはわかっていたが、それが今朝になるなんて、ぼくは心の準備が出来ていなかった。死は唐突にやってくる。あらかじめわかっていたからといって、ぼくは何か準備ができたのだろうか? ぼくはそんなつまらないことを断片的に考えていた。
美由はおばあちゃんの遺体の上に大きな声を上げて泣き崩れた。ぼくは彼女の泣き声を聞いて、より一層切なくなったけど、声を出して泣くことができなかった。ぼくはどうしてこんなに不器用なのだろう。ぼくが生まれてきて、間違いなく、最高の悲劇的な場面に出くわしているし、これからもこれほど悲しい場面に遭遇することはないかもしれない。ぼくは声を上げて泣いても許される権利を有しているし、泣かなければならない義務を負っているのかもしれない。でも、涙が出てこない。涙が出てこないんだ。
三枝さんが、「いま、お医者さんを呼んでいるところ」と事務的に伝えてくれた。ぼくには、この事務的な物言いの方がなぜか安らぐ。
おばあちゃんの頬に触ると冷たかった。夜中のうちに亡くなったのだろう。ぼくはどうして朝起きて新聞配達に出かける前に、おばあちゃんの様子を見ていかなかったのか、それが凄く悔やまれた。しかし、見て行ったからといって、おばあちゃんの命が助かったわけではない。これは自分への慰み以外の何物でもない。
死ぬ最後の瞬間があったのなら、その時はぼくたち二人だけでいたかった。そして、そこでぼくはおばあちゃんにこれまで育ててくれた礼を言いたかった。その貴重な二人の時間がなかったことが心残りに思えた。おばあちゃんは最後の瞬間にぼくがいなくて寂しくなかったのだろうか?
ぼくの思い出のほとんどはおばあちゃんと二人で作り上げてきたものだ。ぼくが今あるのはすべておばあちゃんのおかげだ。大学に入学するまでの記憶に残っているのは、学校の担任でも、クラスの友だちでもない。おばあちゃんだけだ。おばあちゃんの笑顔がぼくの記憶のほとんどを占めている。おばあちゃんがぼくの幸せを作り上げてくれたし、幸せはおばあちゃんなくしてはありえなかった。
ぼくは、少しはおばあちゃんの恩に報いることができたのだろうか? いや、まったくできていない。高校を卒業して早く働いていれば、少しはおばあちゃんを楽にできたかもしれない。おばあちゃんが病気になったのは、間違いなく働き過ぎのせいだ。ぼくを育てるために働き過ぎたせいだ。元気だったら、一緒に旅行に行けたのに。京都でも北海道でも連れて行ってあげられたのに。花火大会にも行きたかったね。おばあちゃんにはもう少しおしゃれをして欲しかった。ぼくが稼いできれいな服を着せてあげたかった。レストランに行って、美味しい物を食べさせてあげたかった。寿司屋に行って、好きな物を注文して欲しかった。そこでおばあちゃんの好きだったお酒を一緒に飲むんだ。ぼくは、こうした思い出を一杯作りたかったんだ。それなのに、病気になって、一日二食しか食べさせてこなかった。許してください、おばあちゃん。
ぼくは何を思ったのか、外に出て、玄関にあった箒と塵取りを持って、道路の沙羅の木の枯葉の掃除を始めた。昨夜の暴風雨で枝に残っていた枯葉が一枚残らず散っていた。
美由がぼくを追いかけてきて、「掃除は私がするから、おばあさまの傍についててあげて」と頼んできて、ぼくの手から箒と塵取りを取ろうとしたが、ぼくはそれらを固く握りしめて渡さなった。ぼくは黙々と掃除を続けた。美由は家の中に戻って行った。ぼくは悲しみを丁寧に拾い集めなくてはならない。どうしてぼくはおばあちゃんとの楽しかった具体的な事を思い出せないのだろう。思い出せれば、少しは微笑むこともできるのに・・・。
元気な頃のおばあちゃんとの思い出を、今ここに一緒に住んでいる誰とも共有していない。だから彼女たちとおばあちゃんとの思い出を語り合うことができない。彼女たちのせいではないのはわかっているけれど、誰もが元気な頃のおばあちゃんのことを知っていないことに、そしてその頃のぼくを知っていないことに、ぼくは理不尽な怒りが沸き上がった。
三枝は、台所で、悲しみを押し殺したように背を向けて、黙々と包丁で野菜を切っている。台所の方に注意を向けると、包丁の「タン、タン、タン、タン」というリズミカルな音が聞こえてきて、心に沁みた。勇太は影をひそめるようにして、静かに部屋の中の掃除をしていた。
富田は自分の部屋の中にいるようで、みんなのところに顔を出さなかった。隼人は口を堅く結んで、料理を作っている三枝のスラックスを両手でしっかりと握っている。子供なりに尋常ではない空気を察しているようだ。
身内だけの火葬と葬儀が終わった。葬儀のために取り寄せた戸籍謄本から、おばあちゃんが慎吾の実の祖母でないことが明らかになった。このことはすでに富田から耳にしていたので、さほどの驚きはなかった。ぼくには今更そんなことはどうでもいいことだった。血のつながりがあろうがなかろうが、ぼくのおばあちゃんに変わりはなかった。ぼくの人格の半分以上を形成し、思い出の80%以上を共有している人間は、間違いなくこの世でこのおばあちゃんただ一人だ。血のつながりがなくても、ぼくを一人で育ててくれたことに感謝しかない。血のつながりのない赤の他人のおばあちゃんは、天涯孤独のぼくの元に天から遣わされた観音菩薩のような崇高な存在だ。
家で行った葬儀の時、酒に酔った富田が「このばばあ、人の家に勝手に入り込みやがって。いったい何者だったんだよ」と吐き捨てるように言った時、ぼくはこの男に飛びかかって馬乗りになり、顔を何発も何発も拳骨で殴った。勇太がぼくの腕にしがみついて止めた。富田は口から血を流しながら「いきなり何するんだよ。こんな暴力男に育てて、このばあさんはいったいどんなしつけをしたんだ」と叫んだ。ぼくは勇太を振りほどいて、ふたたび富田に殴りかかった。富田はぼくに殴られるままになっていた。富田が「ばあさん、おまえの育てた慎吾は、意外と力があるじゃないか」と涙を流しながら言った。富田は富田なりに、慎吾を育ててくれたおばあちゃんに感謝し、不器用に悲しんでいたのだ。
おばあちゃんの火葬が終わって、彼女が健康な頃に話していたように、遺骨と灰を沙羅の木の下に埋めた。おかあさんの遺骨と灰に出会うことはなかった。もしかすると掘った場所とは違うところに埋められているのかもしれないし、すでに土に還っているのかもしれない。多分、後者なのだろう、と慎吾は勝手に推測した。
結局、おかあさんとおばあちゃんは血のつながりはなかったし、一緒に暮らしたのもおかあさんの闘病生活のほんのわずかな期間だった。それでもおかあさんの最期を看取り、「この子を育てる」とおかあさんと交わした約束を立派に果たしたことを、あの世でおかあさんに報告していることだろう。いや、おかあさんとおばあちゃんとの間にぼくの面倒を見るという約束は、そもそも存在していたのだろうか? 約束の件を聞いたのは、おばあちゃんからだけで、二人の会話を直接聞いた記憶はない。ぼくは約束があったことを信じ込んでいただけかもしれない。だけど、二人の間に約束があったかどうかなんて今更どうでもいいことだ。おばあちゃんが親代わりにぼくの面倒を見てくれたことだけは、まぎれもない事実なのだから。
二人は極楽で会うことができるだろうか? それともおかあさんは富田が言うように悪い女で地獄に落ちたのだろうか? それなら二人は地獄と極楽で離れ離れになって、会うことができないだろう。はたまた、おばあちゃんもぼくと会う前は悪い人間で、そのせいで地獄に落ちたのだろうか? そうすると二人は地獄で一緒に苦しんでいるのだろうか? もし二人がこの世で悪いことをしたとしても、どうか神様は二人を許してあげて欲しい。少なくとも、二人は、ぼくのおかあさんとおばあちゃんなのだから。
つづく




