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53歳の初恋リフレイン  作者: げりっぱ
社会人編

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第39話 駆け抜けた平成と、色褪せない三つのリング

第39話 駆け抜けた平成と、色褪せない三つのリング


一九九八年(平成十年)の春、俺たちの間に第一子となる長女が誕生した。

さらにその三年後には長男が生まれ、四畳半のアパートから始まった俺たちの生活は、賑やかで慌ただしい、絵に描いたような「家族の風景」へと変わっていった。


平成という時代は、決して平坦な道のりではなかった。

二〇〇〇年代初頭のITバブル崩壊。そして二〇〇八年に世界中をパニックに陥れた、百年に一度と言われる未曾有の金融危機。

多くの企業が倒産し、無数の家庭が経済的な理由で引き裂かれていく残酷な時代だった。

だが、五十代の記憶と知識を持つ俺にとって、それらの危機はすべて「事前に分かっている嵐」に過ぎなかった。


俺は金融危機が訪れる数年前には保有していた株を高値で売り抜け、暴落して市場が血の海になった瞬間に再び優良資産を買い集めた。仕事面でも、これから来るスマートフォンの普及やクラウド化の波を先読みし、会社を牽引する中核役員へと異例のスピード出世を果たしていた。


『世の中がどんなに不景気だろうと、明日世界が終わろうと、俺が絶対にこの子と陽子を守り抜く』


あの日、陽子の妊娠を知った時に誓った言葉を、俺は完璧に実行し続けた。

子供たちは経済的な不安を一切感じることなく、希望する進路へと進み、陽子もまた、二度の産休・育休を経て保育園に復帰し、やがて園長として地域から絶大な信頼を集める教育者となっていた。


激動の平成を、俺たちは二人三脚で全力で駆け抜けた。

休日は家族四人で海や山へ出かけ、子供たちの運動会では最前列でビデオカメラを回した。夜は疲れ切ってリビングのソファで眠りこけてしまう陽子に毛布をかけ、その寝顔を見つめながら(俺は今、世界で一番幸せな男だ)と何度も噛み締めた。


一周目の人生では、俺は自分のキャリアと見栄のために、この幸せを自らの手で窓から投げ捨てたのだ。

その恐ろしい事実を思い出すたび、俺は陽子の存在の尊さに震え、彼女をさらに深く愛し、大切にしようと心に誓い直した。


そして――時は流れ、元号が「令和」へと変わった現代。

子供たちもそれぞれ独立し、家を出て立派に社会人として働き始めている。

かつては子供たちの笑い声や喧嘩する声で騒がしかった都内のマンションのリビングは、今では夫婦二人だけの、静かで穏やかな空間へと戻っていた。


秋の夜長。

俺はダイニングテーブルに座り、お湯を沸かして急須で淹れた温かいほうじ茶を二つの湯呑みに注いだ。


「陽子。お茶が入ったぞ」

俺が声をかけると、リビングのソファで保育園の書類に目を通していた陽子が、「ありがとう、今行くね」と顔を上げた。


今年で、俺たちは五十三歳になった。

陽子の目尻には優しげな笑い皺が刻まれ、その髪にも少しずつ白いものが混じるようになっている。俺自身も、腹周りこそ鍛えて維持しているものの、すっかり白髪交じりの「初老のオヤジ」だ。

だが、俺の目から見る陽子は、桜木町で待ち合わせた二十歳の頃と何も変わらない。いや、共に泣き、笑い、家族としての歴史を積み重ねてきた今の彼女の方が、何百倍も美しく、愛おしい女性だった。


陽子がテーブルの向かいに座り、湯呑みを両手で包み込んでふうっと息を吐く。

その手には、年齢と長年の保育士としての仕事が刻み込んだ、確かな年輪があった。何百回、何千回と子供たちを抱きしめ、おむつを替え、泥んこ遊びの手洗いをしてきた、尊く美しい手。


俺は、その彼女の手をじっと見つめた。


首元には、十九歳の誕生日に贈った『純銀のティアドロップ』。

右手の薬指には、二十歳の誕生日に贈った『ゴールドのリング』。

そして左手の薬指には、二十一歳の誕生日に永遠を誓った『プラチナのリング』。


三十年以上前に俺がすべてを懸けて贈ったその三つの宝物は、今も彼女の身に付けられ、少しも色褪せることなく静かな輝きを放っていた。


「……どうしたの、健一くん? 私の顔に何か付いてる?」

俺の視線に気づいた陽子が、不思議そうに首を傾げる。

「いや。……その三つのアクセサリー、ずっと大切にしてくれてるんだなって思ってさ。シルバーのネックレスなんて、手入れが大変だろ?」


俺が言うと、陽子は首元のティアドロップを愛おしそうに指先で触れた。


「ううん。シルバーはね、放っておくと黒くくすんじゃうけど、専用のクロスで丁寧に磨いてあげると、ちゃんと元の綺麗な輝きに戻るの。……なんだか、夫婦みたいでしょ?」

陽子がふんわりと微笑む。

「すれ違ってくすんでしまいそうな時も、ちゃんとお互いに向き合って言葉を磨き合えば、またピカピカになる。健一くんはいつも、私がいっぱいいっぱいになった時、真っ先にそうやって私を磨いて、助けてくれたじゃない」


そして彼女は、右手と左手のリングを俺に見せるように、テーブルの上で両手を組んだ。


「ゴールドとプラチナは、どんなに水仕事をしても、時間が経っても、絶対に錆びないし色褪せない。健一くんが私にくれた『安心』そのもの。……私ね、仕事で辛いことがあっても、この三つの輝きを見てると、絶対に大丈夫だって思えるの。健一くんがいつも、私を守ってくれてるから」


五十三歳の妻の口から紡がれる、あまりにも真っ直ぐな愛情の言葉。

俺は胸の奥が熱くなり、照れ隠しのようにほうじ茶を一口飲んだ。


「……俺の方こそ、陽子に救われてばっかりだったよ。お前が笑って俺の帰りを待っててくれたから、俺は今日まで戦ってこれたんだ」

俺はテーブル越しに手を伸ばし、三つのリングが輝く彼女の小さな手を、しっかりと握りしめた。

皺が刻まれた五十代の手と手。だが、そこから伝わる温もりは、あの冬の公園で初めて手を繋いだ時から、何一つ変わっていなかった。


「そうだ。今週末、俺たちの出身高校の同窓会があるだろ?」

俺が尋ねると、陽子は「うん」と頷いた。

「子供たちも手離れしたし、たまには二人で、昔の連中に会いに行こうか」


高校の同窓会。

それは、一周目の人生で、俺がすべてを失った五十代の孤独なオヤジとして参加し、別の男の妻となった陽子の姿を見て、絶望のあまり酒に溺れて事故に遭った――まさに『運命の起点』となった場所だ。


俺はあの日から、三十五年の時を巻き戻し、己の全存在を懸けて未来を書き換えてきた。

そして今、俺の隣には、世界で一番愛する俺の妻として、陽子が笑っている。


「ふふっ、なんだか照れくさいね。みんな、おじいちゃんとおばあちゃんになってるかな」

「ははっ、違いない。でも、俺にとっては陽子が一番綺麗なマドンナのままだよ」

「もう、健一くんってば、昔からそういうキザなことサラッと言うんだから!」


照れて顔を赤くする陽子の笑顔を見つめながら、俺は静かに決意した。

今週末の同窓会。

それは過去の幻影を完全に断ち切り、俺たちの勝利を証明するための、最高で最後の舞台になるだろう。

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