FILE 010
FILE010「星を紡ぐライン」
翌朝、訓練場の空はまだ薄暗く、霧が深く立ち込めていた。
支給されたばかりの任務書を手に、ミナ、バレリア、イズモの3人は、箒を駆り、割り当てられた討伐エリアのさらに上空へと飛び立った。
今回の標的は、魔力の霧を纏って飛行する上位の「敵」。
並の魔女では視界を奪われ、高度を乱されて地上へ叩き落とされる危険な任務だった。
「――上から来るわよ!」バレリアの鋭い警告の声が、風を切り裂いて響く。
濃霧の奥から、無数の魔力の弾丸が3人の頭上へと降り注いだ。いつもなら、周囲の動きを気にしながら飛ぶ余裕のないミナは、一人で急降下して回避するか、防壁を展開してその場に留まるところだった。
けれど、今は違う。
「イズモ、12時方向へ反転! バレリアはそのまま並走を!」ミナが風に負けない確固たる声で指示を飛ばす。
「了解です……! 『祓へ給ひ 清め給へ、神ながら光を授け、守り給ひ 幸へ給へ』!」イズモが高度を急上昇させながら祝詞をささげる、眩い閃光が走り、迫る魔力弾の軌道を強引に捻じ曲げた。
「ナイス、イズモ! 特攻かけるわよ!」生まれた一瞬の隙を突き、バレリアが魔力を纏わせた箒を構え、風圧を無視して霧の中へと猛スピードで突撃していく。
3人の飛行軌道には、一切の迷いがない。
夕べ、あの狭い部屋で、夜が明ける直前まで地図を広げて話し合った。
お互いが得意とする旋回半径、苦手な高度上昇時の詠唱時間、位置取り、そして――ミナがどんなタイミングで、どう魔法を放つのかを。
「グルゥァァァ!」バレリアの一撃を食らい、姿を現した敵が怒り狂ったように咆哮する。敵を中心に、周囲の雲を吹き飛ばすほどの強大な魔力の嵐が、空中へと膨れ上がっていく。
暴走寸前の圧倒的なエネルギー。それを見たミナの脳裏に、一瞬だけ、幼い頃の恐怖が過った。
(また、私の力が暴走したら――)その時、気流の乱れる空中で、ミナの前に進み出る二人の背中が見えた。
「ミナ! 姿勢制御は私らが維持する! アンタの全力、ここで見せなさい!!!」風に煽られながらも、バレリアが限界まで格闘用の箒で敵の突進を受け止めて空中に固定する。
「ミナさん、大丈夫です! 風は私が止めます! 『科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く、朝の御霧・夕の御霧を、朝風・夕風の吹き払ふ事の如く』 」
イズモがミナの飛行ラインを遮るように回り込み、持てる全ての魔力を注ぎ込んで、激しい気流の嵐を防ぐ光の障壁を展開した。
パン!柏手をたたいた、風がなぐ
「今です!」
二人の背中が、昨夜の月明かりの下で笑い合っていた二人の姿と重なる。
(…一人じゃない。この空には、仲間がいる)もう、自分の力を恐れる必要はない。
守るべき仲間が、信じてくれる仲間が、同じ空を飛んでいる。
ミナは箒の柄を握る左手に力を込め、右手で額のゴーグルをカチリ、と引き下げた。世界が狭くなる。
激しい風の音も、過去の恐怖も、すべて消え去る。
見揃えるのは、ただ一つ。
仲間の背中の向こうにいる、敵の核だけだ。
「……いきます」ミナの身体から、これまでになく純粋で、澄み切った蒼い魔力が溢れ出した。いつもなら飛行中の風の抵抗で霧散するはずの莫大なエネルギーが、ゴーグルの向こうにある確かな意志によって、一本の鋭い光の槍へと収束していく。
「イズモ、バレリア、ブレイク(散開)!」ミナの声に、二人は1ミリの疑いもなく、同時に左右の空へと急旋回した。それと同時に、ミナが蒼い閃光の様に突撃する、立ち込める霧と夜明けの空を真っ二つに切り裂きながら、敵を巻き込んで遥か彼方の雲海へと突き抜けた。
轟音が止み、静寂が戻る。
霧の晴れた大空に、朝の光が真っ直ぐに差し込んできた。
敵の姿は跡形もなく消え去っていた。
「……はぁ、はぁ……」ミナはゴーグルを額へと押し上げ、ゆっくりと高度を落としながら、小さく息を吐いた。
しかし、ミナはゴーグルを外したその瞳で、敵が消え去った空間をじっと凝視していた。胸の奥に、言葉にできない奇妙な違和感がこれでもかと這い上がってくる。
(何、いまの……?)普通であれば、討伐された後に大気へと還元されるはずの魔力の残滓が残っていない。
それどころか、敵の核が砕け散ったその中心に、見たこともない歪で不気味な黒い魔力が、一瞬だけ煤のように揺らめいて消えた気がした。
このレベルの強さの相手が、なぜこのエリアに急に現れたのか。
その本当の正体は何だったのか。考えれば考えるほど、何一つ正体の分からない不気味な謎だけが、空の静寂に取り残されている。
「ちょっと、凄まじい威力ね。空中でアレを完全に制御するなんて、本気を出した『ゴーグルの魔女』はやっぱり規格外だわ」不意に、風を切り裂いてバレリアが隣に並び、最高に嬉しそうにニカッと笑った。
「ミナさん、凄いです……! 空を裂く先輩の姿、格好良すぎて私、感動で泣きそうです!」反対側からはイズモが速度を合わせ、目を輝かせてミナの顔を覗き込んできた。
二人の屈託のない笑顔と、左右から伝わる温かい気配。
それを受け止めた瞬間、ミナの胸を満たしていた不穏な思考はふっと霧散した。正体も、出てきた理由も、今はまだ分からない。けれど。
「……二人とも、ありがとう」私にはもう、どんな暗闇の空であっても、一緒に飛んでくれる仲間がいる。
それだけが、今のミナにとっての絶対的な真実だった。朝日に照らされた3人の飛行機雲は、固く、一本のラインで結ばれていた




