陽光差す雲海よ、涙を浚え Ⅰ
「お母さん、今日のごはんなぁに?」
「そうだねえ」
夕食に向けて、皿を洗う母親。年端もいかぬ娘は、此度のディナーを楽しみに待つ。母親もまた、帰らぬ夫との夕食を夢見た。
「全隊員に通達」
所々窪んだ、コンクリートの道。半ばから折られた333mの電波塔。窓に赤色がこびりついた電車。皮製の高価そうなバッグに、地面に溶けた黒い食べ物らしきもの。
「旧日本首都東京、明治神宮前に到着」
かつて観光名所として栄え、数多の人の往来があった場所も、今や見る影もない。
「対象との約束地点まで2㎞を切った。警戒を緩めるな」
高いビルや、広い道路など。
文明を象徴した物はすべて消え去り、目の前には———
「行くぞ」
砂埃舞う灰色の荒野が広がっていた。
昔、何回か東京に行ったことがあった。
建物の頂上を見ようとすると、首が痛くなった。たくさんの人の波に飲まれて、お父さんとはぐれそうになった。至る所にある喫煙所から漂う煙草の煙が、どうしようもなく苦手だった。
そんな思い出を嘲笑うように、削ぎ落していくように。小さな石を乗せた風が、ブレスレットにつけられたミサンガを揺らしている。
「‥‥‥寒いな」
気温は27度。人類が生活するのに適した温度といえるが、目の前の光景と、奥から漏れ出る邪悪なオーラが私の身体を震わせる。冷や汗をかいていないのは、後ろに控える部下を怯えさせまいという責任感からだろうか。
‥‥‥‥‥‥意味がないような気がするけど。
「っ!前方に、人影を確認!背格好から、クイナであると思われます!」
「なんだと?」
クイナが言った待ち合わせ場所まではまだ距離がある。それなのに、もういるのか?少しおかしい気がする。
それに⋯⋯⋯
「他には?」
「ほ、他と申しますと?」
クイナは言っていた。私の他に二人連れて行く、と。その二人がいない、これはやはりおかしい。
それへの疑念は、奴との距離が近づくにつれ増していった。
確信したのは、たった今。
「ッ⋯⋯」
目だ、眼が違う。
クイナと全く同じ顔、同じ背丈、同じ魔力。瞳の色、瞳孔の形さえ正確に一致している。それなのに、こいつの眼はクイナと異なる。
圧倒される、怪物なんて生温い言葉じゃ表せない。
形容するならば⋯⋯―――
‘‘神‘‘?
「お、こんにちわ。ちょいとお邪魔してるよ。一日ノ出ちゃん」
身体が、言うことを聞かない。ただただ震えている。
発言する権利さえ、こいつの前では無い気がする。
いや、思考することさえも⋯⋯!!
「ん⋯?おぉん?あれ、思ってたよりも強くなってるね。いいね。こういう予想を裏切るのがいるから、増えるのは悪くない」
「あ⋯⋯⋯ッ!」
「ぬお?」
何やっているんだ私!?何で声を出したぁ!
「アンタ一体⋯⋯誰なんだ?」
聞くのはそんなことかッ!!?
「誰⋯⋯う〜ん、誰、ねぇ⋯⋯⋯」
それは何かを思考し、思いついたように、それを口にする。
「来世の君の友達!」
「⋯⋯⋯⋯は?」
「うんうん、それがぴったりだ!⋯っと、それじゃあそろそろ御暇するよ。じゃーねぇ」
陽炎のごとく、その存在を歪ませながらそれは消えた。
意味深な鉛のように重い塊を、私の胸に沈ませながら。
「⋯⋯⋯⋯全隊員に告ぐ、進軍だ。先程のは忘れろ」
思い出し、脳裏にチラつくだけで足が竦む。それならば、最初からいなかったと思えばいい。それでも駄目ならば、それを忘れるように努めよう。
だからお願いだ。
『来世の君の友達!』
どうか私の中から消えてくれ。
「―――あっ、やっと来た!おーい!日ノ出ちゃん、こっちだよ!」
目の前で、笑顔のまま手を振っている少女に、私は少し安心感を覚えてしまった。
「ん?どうかした?」
全く、ほんとにバカなんだな。
「何にもないよ、クイナ」
不死身の少女、クイナ。この世界を水底に沈めた元凶。
「そっか、なんだか疲れているように見えたんだけど⋯⋯気の所為ならいっか」
「その通り。それで、あなたの横にいるのが⋯⋯―――」
銀色の装甲手袋⋯⋯要するにガントレットを付けた青年と、赤い紐が結ばれた長ドスを腰に佩いた青年が、緊張した面持ちで立っていた。
「そ、今回の私の味方で、君たちの敵になる。五十嵐廻と五十嵐来人だよ!」
ガントレットを付けた青年、五十嵐廻と目が合う。彼は、前に私を助けてくれた青年だ。
彼には感謝しているが、敵となるのならば容赦はしない。
「で、誰が私の相手をしてくれるんだ?」
奴らは恐らく、私と斜月の分断を謀る。
「さっすがぁ。そうだね、そっちが乗り気なら甘えさせてもらって⋯⋯―――」
クイナとの戦いで気をつけるべきなのは、その再生能力。痛みなどをすべて無視した無謀ともいえる突貫をしてくる。それに対処するには、こちらも防御をかなぐり捨てた弾幕を敷くしかない。
ならば⋯⋯!!
私は多くの作戦を立てた。クイナに勝つ為。全ての赫を撃滅するため。
それらはすべて———
「二人を頼むよ」
すべて水の泡になった。
「はぁ‥‥‥」
「溜息つかないでくれ、何だか嫌になる」
無意識化に漏れ出していた息に、廻は何かを嫌な気分になったらしい。知ったことではないが、嫌な気分になりたいのはむしろこちらのほうだ。手紙を受け取ったあの日から、眠りたい夜を返上して立てた作戦が全部お釈迦になったのだから。
「負けを認めてくれれば、俺達も楽なんだけどなぁ」
「何か私にしてほしいことでもあるのか?」
「実は、日ノ出さんに僕らの仲間になってほしくて」
「‥‥‥仲間?」
今、なんて言ったんだ?
「フフッ、アッハハハハ!」
「?」
面白い、実に面白い!
「そうか、私に仲間になってほしいのか!いいよ、いいだろう!」
何故だ、妙に気分が高揚している!
「ルージュ!」
黒い闇のように伸びた髪が、炎により生じた上昇気流により舞い上がる。元から灼熱のように赤い内側の髪は、血のように赤黒く変色していた。だが、その変色していた部分も髪同様に舞い上がる。
それは壁画の光輪のように展開され、古代の蜥蜴の王を模す姿へと変貌した。
「私に勝てたのなら、その要望に応えてやる!」
一日ノ出は気付いていない。
気分が高揚しているせいで、自らの口角が上がっていることに。
楽しい気分になっているのは自分だけで、相手の口角は引き攣っていることに。




