【姉姫 2】
「浮かない顔だな」
庭に植えた花をめでているとひょっこりと顔を出した姉が言う。
「母君のお好きだった花ではないか?」
しゃがみこんでいる私の顔を覗き込むように言うので、その人の長い髪が頬に触れた。
こんなに続けて離宮に来るなんて何かおかしい。
改めて姉を見れば、帯剣している。
「お姉様?」
にこにこと笑うその姿にすら違和感があった。
「おいで」とあたかも誘うように手を出されたので、ごく自然に掴み返そうとして「なりません! 姫様!」という大声に阻まれる。見れば、離宮から幾人かの騎士が出て来るところだった。
思わず、近くに居たティティの方を振り仰ぐ。彼女はただ蒼褪めたまま立ち竦んで、姉を見ていた。だから、何かが起きていることだけは理解できるものの、具体的には何が起こっているのか分からない。
声をかけようとして立ち上がったのに、その間もなく、騎士たちに包囲された。
いや、正確には。
囲まれているというよりも、抜剣した姉と騎士たちが今にも剣を交えようとしている。既に臨戦態勢に入っていた。
つい先ほどまですぐ隣に居たはずの姉との距離が空いている。それでもたった二メートルほどだ。近くはないが、遠くもない。駆けよれば、手が触れるほどの距離間である。
「お姉様……!」
非常事態だというのは間違いない。この場で信用のおける人物は姉一人。私の味方だと断言できるのもやはり、その人だった。
けれど、騎士たちに阻まれて身動きできない。
「姫様! なりません!」
一歩でも姉の近くに行きたい。だというのに、動こうとすればただちに制止の声がかかる。
すり抜けようにも、目の前で仁王立ちされてしまえばかわすのが難しかった。圧倒的な体格差を前にしては為す術もない。
どうして、と漏らした声が剣と剣のぶつかる音にかき消されてしまう。
「今すぐ、どこをどけ!」そう言いながら剣を振るう姉。その迫力は凄まじいものがある。短期間に、一体どれだけの研鑽を積んだのか。
素人同然だったはずの剣の腕を、どうやってここまで高めたんだろう。
これまで、姉が剣の腕を磨くのは、あくまでも趣味のようなものだと思っていた。あくまでも騎士の真似事をしていると。本気で修練を重ねていたなんて想像すらしていなかったのだ。聖女候補としての務めもあったはずだから。
「姉姫様! お止めください! 貴女に勝ち目はない!」
姉は強かった。誰もがそう感じたはずだ。
だけれども、やはり本職の騎士に敵うはずなどない。彼らには余裕があり、姉への気遣いも忘れない。傷つけないように手を抜いているのが分かる。
そもそもが多勢に無勢であるから、抵抗すら意味がないように見えた。宙を舞う剣の切っ先が何度も空振り、その内、何も捉えることができなくなる。
「うるさい! 今、救わずして、いつ救うというのだ!」
姉の叫びに呼応するように辺りが静まり返った。いつしか剣を構えるだけになっていた騎士たちの目が、うろうろと彷徨う。
そして、なぜかこちらを向いた。
「お前たちはなぜ! ただ見ているだけなんだ!」
もはやがむしゃらに剣を振り回す姉の姿は踊り子のようで。演舞でも見ているような滑稽さがある。
「お姉様、」
何がどうなっているのか分からない。
ティティーリアは両手で口元を覆い、声を出すのを抑えているようだった。双眸を大きく見開いたまま動かない。いつもであれば、こういう状況のときは真っ先に私の下へ駆け寄ってくれるはずなのに。
今日はただじっと姉を見つめている。私のことなど忘れたように。
「―――――やめるんだ、姉姫」
両足が地面に縫い付けられたかのようにその場に留まっていた私の背後から現れたのがガウラルである。その後ろにアイリスも立っていた。東の地を守っているはずなのに、いつ帰ってきたのだろう。張りつめるような緊張感の中で、詮無い事を考える。
集まっていた騎士たちが心なしかほっとした様子を見せた。
東西の将軍が離宮の庭に揃うなんて。これほどの異常事態はない。
この瞬間までどこか他人事のように思っていたのだ。
というよりも、姉がまた奇妙な遊戯でも始めたのかと、心のどこかで期待していた。もしもそうであるなら、これは単なる余興でしかない。
これが現実ではないことを、祈ったのだ。
けれど。
ここに将軍が現れたことで、無情にもこれが現実であることを知らしめる。
「どうして! どうしてだ、ガウラル! アイリス! なぜ捨て置く!」
将軍が現れたことにより戦意を喪失したのか、姉は握っていた剣を地面に叩きつけた。誇り高き騎士ならば絶対にしないことである。それもそのはず。姉は戦うために生きてきたのではない。
「姉姫こそ、なぜ姫様に執着するのです? 放っておけばいいでしょう」
アイリスが声をかけると姉はどこか心許ない幼子のような顔つきになった。
ふるふると小さく肩を震わせて「理由などない」と断言する。
そして、秘め事でも打ち明けるかのように声を潜めた。
「妹が可愛い。ただ、それだけだ」と。
「それで、なぜこんな大それたことを? 姉姫のお仲間は既に捕縛されております。離宮の結界をすり抜けることができたのは称賛に値しますが、褒められるのはそれだけです。全てがお粗末だ」
「……、」
睨みつけるようにして立っていた姉が、脱力するように膝をついた。
「お姉様、」近づこうとして今度はガウラルに邪魔される。
ひょいと荷物でも担ぐように持ち上げられた。そして、大切なものであるかのように両腕で抱え込まれる。
「離して」
身を捩るのに全く効果がない。「ガウラル!」と名を呼ぶと同時に、ふっと息を吐いた姉が「仕方ない。終わりだ」と自嘲気味に笑った。
「将軍が二人もいる。勝ち目がない。私は、もう終わった」
―――――終わった? 何が?
「姉姫、本当に残念でなりません。なぜ、待てなかったのです」
アイリスが姉の腕をとる。為すがままに力なく立ち上がったその人が、一度、天を仰ぐ。そこに誰かいるかのように。
視線を追っても、あるのは雲一つない青空だけ。
「お前たちには分からないだろう。これは私にしか分からないことだ。あるいは、大聖女様なら何か掴んでいるかもしれないな」
「つまり、聖女候補であるがゆえ……、ということですか? 何か予見したのでしょうか」
近衛騎士を呼び寄せて姉の華奢な体躯を託すと、アイリスが首を傾げる。
「何が見えているのか教えてもらえませんか」
両腕を拘束された姉の姿はまるで、罪人のようだった。
おかしい。何かが、おかしい。
ずっと、おかしいのだ。
ぎゅっと目を閉じてほどなくこちらに向き直った姉は「全て見えている」と言った。
だからこの瞬間のことも既に知っていたと。
「ならば回避できたのでは?」
西の将軍は相変わらず、私を抱え込んでいるので、その分厚い胸を通して彼の低い声が響く。首を振った姉は、
「避けようとして様々な策を講じてきた。けれど、結局いつもこの場面に還ってくる。意味がないんだ。ここが終着だから」
「終着?」
「結末が決まっている。結末だけは何があっても変えられない。それこそが神の定めた事だから」
姉の両腕を支える騎士が、痛みに耐えるような顔をしている。彼らは二人とも、持ち回りで姉の護衛についていた。だというのに、護るべき対象を今は確かに捕えている。
「リアリス」
殊更優しい声で名前を呼ばれた。赤ん坊のようにガウラルに抱えられたまま「はい」と答える。それ以外に何か言わなきゃ、と思うのに言葉出てこない。
一体、何が起きているのか。姉が何をしようとしていたのか、なぜ捕まっているのか何一つ分からないのだ。
「約束を覚えているな?」
「約束?」
「陣取りゲームをしただろう」
「……はい。でも、約束とは、」
「覚えているだろう? 私がせーの、と言ったらお前は答えなければならない」
そうだ。ゲームに負けたとき、どうしても姉に対して暴言を吐くことができない私に、それならと妥協案を提示してくれたのだ。
考える必要も、苦悩する必要もない。合図を送るから、お前はそれに従うだけでいい。何も考えず、思いつく限り罵ってみろ。相手が私だとは思うな。
「今がそのときだ」
「―――――今?」
声が震える。悪い予感がするのだ。とてつもなく、悪い予感が。
「姉姫。そんなことをせずとも大丈夫です」と、私たちの遊びを知っているガウラルが諫めるのに「駄目だ、将軍。分かるだろう。国王は耳聡い。リアリスを守るためなのだ」と懇願する。
「姉姫」
説得など無意味だと、いっそ大仰なほどに首を振る姉。
「言え、リアリス」
「言えません」
「リアリス」
「言いません、絶対に」
「リアリス、頼む」
「どうして今なのですか。絶対に言いません」
「リアリス……!」
姉は、泣きそうだった。そんな顔、見たことがない。少なからず動揺して、自分を抱え込んでいるガウラルの太い腕にしがみつく格好になる。
「言え、リアリス。お願いだから。ほら、せーの、」
潤む眼差しにますます混乱して、それでも姉の願いを受け入れなかった。
「連れていけ」
アイリスが近衛騎士に命じると、半ば引きずられるようにして連れていかれる姉。
第一王女に対してのこの扱い。やめるように言おうとしたけれど。
「あの方はもう、王女ではありません」
「……え、何?」
「称号を剥奪されました」
「どういう、こと?」
「姫様を誘拐しようとしたのです」
「誘拐?」
「浚おうとしたのですよ」
私を? なぜ?
疑問がそのまま顔に出ていたのだろう。ガウラルは多分、答えようとして口を開いたはずなのに。何も言わずに黙り込んだ。その目が赤く滲んでいるようにみえて。
「力及ばず、申し訳ありません」と膝をついたのがアイリスだった。
どういうこと?
このまま連れていかれたら、そうしたら姉はどうなるのだろう。
ガウラル? 訊いてみようとしたけれど、その顔を見ればわかる。
大変なことが起きているのだ。今、まさに。
「お姉様―――――!」
騎士たちにも葛藤が見える。姉を引きずることに抵抗があるのか、数歩進んだ先で立ち止っている。
スカートの膝から下を土で汚した姉が、迷子のような顔をして私を見ていた。
くしゃりと目元が潰れる。泣いているのが分かった。そしてもう一度、囁くような声で「せーの、」と言う。
繰り返される、合図。
その意味が分からないわけじゃない。
ガウラルが言っていることが真実ならば。
私に暴言を吐かせようとするのはすなわち、私を護るためなのだ。
万が一にも姉と私が共謀して今回のことを企てたと思われないように。離宮から逃げ出すために、私が姉を利用したのだという在りもしない話が広まる前に。先手を打とうとしている。
私たちは元々、仲の悪い姉妹であると周囲に思わせる必要があるのだろう。
だからこそ、何日も前から離宮に顔を出し、私に暴言を吐かせた。
実際、その試みはうまくいったらしく、私の声は離宮の外壁を越えるほどに響いていたらしい。もしかしたら、拡声の魔法を使ったのかもしれない。
私が姉に悪態を吐いているという噂が広まり、だからこそガウラルはわざわざ確認しに来たのだ。
何かあったのかもしれないと。
「リアリス、頼む」
懇願する声は、芯を持たず吐息のようにささやかに響いた。なのに、なぜかはっきりと聞こえる。ガウラルは言わなくてもいいと言うだろう。それも私のためだ。
私が傷つくことのないように気を回しているから。そして、それは姉への思いやりでもある。
でも。
私は、王女として為さなければならない。己の立場を守るために。
「せーの……!!」
「お姉様なんて大嫌い!!!」
「あっちへ行って! 顔も見たくない!!」
「大嫌い! 大嫌い! 大嫌い!!」
「―――――ゔああああぁああぁぁぁ!!!」
視界がぼやけて何もかもの輪郭が曖昧になるのに、そのとき、姉が満面の笑みを浮かべるのが分かった。それでいい、と言って。
その人の下へ駆け寄ろうとして暴れる私をガウラルが、きつく抱きしめる。両足も両腕も力の限り振り回すのに、どうやったって拘束から逃れることができない。
苦しい。
喉が張り裂けて、胸が潰れそう。
大好き。
お姉様、大好き。
私のお姉様。
連れていかないで。
「ごめんな、リアリス。連れていけなくて」
その日。
この国から第一王女が姿を消した。けれど国民へは何の知らせもなく、王宮に勤める人間にすら周知はされなかった。




