【姉姫 1】
いつも見る夢がある。離宮の庭でお茶をしていると、何の前触れもなく姉が現れるのだ。宮殿に繋がっている庭を横切って颯爽と姿を見せるその人は、私のことをとても大切にしてくれた。
「また、茶を飲んでいるのか」
姉の性別は紛れもなく女性である。柔らかな曲線を描く肢体といい、王女らしくドレスを纏っていることも踏まえると疑いようもないのだが、その仕草はどこか男性的で口調も粗野だ。最近、剣も習い始めたというので、男性的な部分にますます磨きがかかっているような気がした。
「お姉様もいかがですか? というより、お庭からこちらへ入ってくるのはお止めください。問題がありますわ」
「近いからいいんだよ」
長い藍色の髪を頭の高い位置で一つにまとめ、赤い宝石のついた髪飾りで華やかに見せているその人は、私の最も大切な人である。
生活の拠点は宮殿であるし、離宮には用もないだろうに時々、顔を出してくれるのだ。
「どうせ暇だろう。私の相手をするがいい」
だけれどもだいたいにおいて傍若無人であるし、そういった行いに対して苦言を呈したとしても聞き入れてはくれないので扱いにくい人物でもある。姉について回ることを義務とする侍女や侍従、護衛は振り回されて大変な思いをしているはず。察するに余りある。
「暇ではありませんわ」
「誰がどう見たって暇だろう」
許しも得ずに、にやりと笑って対面の椅子に腰を下ろす姉。ティティーリアがやれやれと首を振って「姉姫様も姫様と同じお味のお茶でよろしいですか?」と訊けば「当たり前だろう」とそっけなく答えた。彼女たちは年齢が近く、また友人でもあるらしいのでとても気安い。同じ年頃の子とは交流がない私からすれば心底羨ましい関係といえる。
「陣取りゲームでもしようじゃないか」
今思いついた、とでも言いたげに姉がぽんと手を叩けば、従者がテーブルの上にどこの国とも知れない地図を広げる。首を傾げていると、架空の国だよ。と笑った。
そして、流れるような動作で地図の真ん中にカードの山を築く。事前に準備していたとしか思えない用意周到さだ。
どういうゲームなのか尋ねれば、互いにカードを一枚ずつ引いていき、ルールに従って、そこに書かれた数字で競うのだという。勝ったほうが地図上の特定の地域を自分のものにできる。そうして領土を広げていくらしい。
「こういったゲームは初めてですわ」
「面白いだろう」
足を組んだ姉が、ティティーリアの用意したお茶の香りを嗅いで「良い茶葉だ」と頷く。私の一番好きなお茶であるから、自身が褒められているようで嬉しかった。
「可愛いなぁ、お前は」
「?」
「じゃぁ、始めようか」と指を鳴らす姉に従う。
互いにカードを引いて数字を競い、たまに息抜きとして近況報告を挟む。そして教えられた通りに陣地を奪い合った。その内に、集中しすぎて会話がなくなる。カードを捲る音と、どこかでさえずる小鳥の声だけが響いた。のどかであり、呑気でもある。
どのくらいそうしていたのか、「戦争もこんな風に単純であればすぐに決着がつくだろうに」と独り言ちた姉の顔は憂いを帯びていた。
気の利いたこともいえず黙り込んでいれば「お前は気にしなくていいんだよ」と苦笑された。王女であるにも関わらず、世界情勢を気にしなくてもいいとは。
ため息を呑み込んだ私に、姉は気づいていない。
気にしなくてもいい、というよりは『首を突っ込むな』ということだろう。
結局、三時間もかけてゲームを進め、やっと最終的な勝者が決まった。
負けてしまったけれど、なかなか面白い遊びだと感心する。すると、
「負けたお前は、私に一つ暴言を吐くんだ」
「?」
とんでもない提案をしてきた。何を言っているのか分からない。
勝者が敗者を打ちのめすために、罵詈雑言を浴びせるならまだ分かる。敗者が勝者を罵る権利を得られるなんておかしな話だ。
少なからず動揺している私の心を読んだのか、
「お優しい姫君もそろそろ処世術を学ぶときがきたんだよ」
「処世術、ですか」
「お前が自分自身でその地位を守っていくには、言いたくないようなことも言わなければならないときがくる。他人からすれば暴言でしかないようなことも、お前にとって必要なことならば誤魔化すことなく、言葉を濁さずに伝えなければならない」
「……はい」
「だからまず、悪口に慣れるんだよ」
「悪口」
「そうだ」
私に向かって、馬鹿と言ってみせろ。と続ける。
「言えません」
当たり前だ。もはや崇拝に近いほどに尊敬している姉に罵声を浴びせるなんてできようはずもない。そう答えれば、すっと指を差される。「それだ」と言って。
王女であり続けるために必要な訓練なのだから、躊躇うことなく言え。と命令でも下すかのように諭される。それでも、姉を罵ることなんてできそうになかった。
大切で、大好きなお姉様。この方がいたからこそ、私は生きてこられたのだ。
離宮に捨て置かれたような存在であっても。姉が私のことを大事だと言って憚らなかったから、生きていてもいいと思えた。
母が亡くなってからは、特に。
「早く言え」
なぜか勝ち誇ったかのような顔をしている第一王女殿下。しばらく黙ったまま抵抗していたけれど、その人にとっては何の意味もない行いだったらしい。結局、言われるがまま暴言を吐くことになった。この方には逆らえないのである。
姉の秀麗な顔に向かって、何度か「馬鹿」と繰り返すもその度に迫力が足りないと指摘される。悪態をつくのに迫力まで求められるとは、一国の王女というのは理不尽な要求にも答えなければいけないものらしい。
「なかなか良い出来だ」
実に三十分近くも姉を罵る練習をしたのだから笑えない。陣取りゲームは要するに、ただの余興だったのかもしれないと後から気づいた。
今日はこのくらいにしておこう、と席を立ち、別れの言葉も早々に宮殿へ帰っていく姉の後ろ姿を見送る。今よりももっと幼い頃は、その人の後についていこうとしてティティを困らせた。
どうせ私は、宮殿と離宮の間の結界を抜けることはできないのだけれど。
それでも、一緒に行きたかったのだ。
「姉姫が来ていたでしょう」
その夜、離宮に顔を出したガウラルに問われたので、なぜ知っているのかと訊けば大神殿でちょっとした騒ぎが起こっていたと教えられる。何でも、大聖女様が聖女候補をお捜しだったと。
「まぁ。お姉様はもしかしてお役目を放棄なさったの?」
「そんなところです」
公式に発表されたわけではないが、姉は次代の聖女となるべく修練を積んでいるところであった。数日おきに大神殿に赴き、大聖女様から教えを受けているようだ。つまり、今日、姉が居るべき場所は離宮ではなく大神殿だったのだろう。
宮殿からこちらに渡ってきたということは大神殿には顔も出していないことになる。
「姫様のことが心配なのでしょう」
ソファに腰かけた我が国の将軍は大きく息を吐いて眉間をもみ込む。疲れているようだ。本当はこんなところに顔を出している場合ではないのかもしれない。
先日も国境あたりの村に魔獣が出たとかで遠征に出ていた。
「私は何の問題もないわ」と答えれば、不意に顔を上げ、じっとこちらを見据える。
「王妃が亡くなってもうすぐ半年ですからね。何かと気になりますよ、私も」
「……半年。そう、もうそんなに経つのね」
「姫様も大人びているとはいえ、まだ八歳。もっと大人たちに甘えていいんですよ」
甘えているわ。ティティだっているし、と部屋の隅に控える侍女へ視線を送れば、そっと笑みを落とす侯爵令嬢。迷ったときはいつだって道を示してくれる。
母が亡くなったときだってそうだ。ただ傍に居て、私の悲しみを受け止めてくれた。
「ともかく。今度、姉姫がここに現れたら宮殿ではなく、神殿に戻るように言ってください」
「分かったわ」
「……本当ですか?」
「もちろん、嘘はつかないわ」
「……怪しいですね」
そして。
ガウラルとそんな話をしたせいか、姉はそのたった二日後に再び離宮に現れた。
その人にしてはあまりに離宮へ顔を出す頻度が高い。違和感がある。不思議に思って尋ねれば、暇なんだよと言って笑った。
そんなはずはない。
聖女候補として聖女について仕事を覚えなければならないはず。
指摘すれば「お前は本当に良い子だ」と全く嚙み合っていないようなことを口にする。
どういう意味だろうと、前回と同じく対面の椅子に座る姉を見守っていると、視線に気づいたその人が笑みを深めた。
「神殿で祈りを捧げるのは性に合わない」
「けれど、お姉様は神様に選ばれたのですよ?」
「そうだな」
「素晴らしいことですわ。王家からまさか聖女が誕生するなんて」
皆もそう言っているはずだ。
「……そうだな」
その時、一陣の風が吹いて、姉の長い髪を攫っていった。
私の髪色と違うのは、母親が違うからだ。姉の母君もとうの昔に亡くなっている。
私たちがもしも男性であったなら、ここで茶会などという緊張感の欠片もない会合など開かなかったであろう。向かい合ってお茶を楽しむなど言語道断。偶然とはいえ、女性同士であったことは僥倖でしかない。
「それはともかく。今日も遊ぶぞ」
はりきった様子の姉はそう言って、侍従に地図とカードを用意させる。また陣取りゲームをするらしい。なぜ、このゲームに嵌っているのか分からない。
「市井で流行っているんだ」訊くよりも前に答えが返ってくる。
王宮と神殿しか知らないような人であるが、どうやら時々、街へ繰り出しているらしい。当然、誰の許可も得ていない。
「私も一緒に行きたいですわ」
特に何も考えずに零してしまった言葉に、我ながらはっと息を呑む。なかったことにしようと首を振れば、少しばかり驚いた様子の姉が私の言葉を丁寧に拾い上げ「行けるよ。いつか必ず」と、できもしないことを約束する。
真摯な眼差しは気休めなんかではないことを証明するようで。だけど、それが叶わないことを何よりも、誰よりも私自身が知っている。
「嘘じゃない。リアリス。お前はいつかここを出るんだよ」
断言する姉が「聖女候補の私が言うんだから間違いない」と自身の胸を叩く。
つまり、それは現実になる。そういうことなのだろう。
聖女候補の中には、未来を読んだり過去を言い当てるような人智を越えた力を持つ人がいるという。
「じゃぁゲームを始めようじゃないか」
「はい」
嬉しくて泣きそうだった。いつか本当にこの離宮から出られるなら。それ以上に望むものなど何もない。
配られたカードに視線を落とす。
今日は勝てそうな気がした。
「―――――で? 負けたんですか?」
ガウラルが呆れたように言った。姉は既に宮殿へ帰っている。今日も大神殿には行かなかったらしい。
残された地図とカードをティティが片付けているところにやってきたのが彼だった。いつもより早い時間だ。急を要する用件なのだろうか。
「離宮から姫様の罵詈雑言が聞こえると報告があったので、確認です」と眉間に皺を寄せる。
「いつかくると思ってました」と答えたのが私の侍女だった。
事情を説明すれば、酸っぱいものでも口に含んだかと思うほどの渋面で天を仰ぐ将軍。『知略の人』の二つ名を持つはずなのに台無しである。
「姉姫は一体、何をお考えなのか」
私にも分からない。
「姉姫様の奇行は今に始まったことではありません」
ティティが辛辣なことを言う。
けれども確かに、王女である姉が騎士に混じって剣を振っていること自体が不測の事態であるといえよう。それでも姉いわく「いつかの日の為に」という大義名分があるのだから、本人にとっては意味のあることでしかないらしい。
聖女候補なのに、騎士も兼任しようというのか。
「ともかく、姉姫が姫様にとって不利なことをするとは考えにくいですから。……今は止しましょう」
ガウラルはため息と共にそのまま言葉を呑み込んだ。そしてそのまま一緒に離宮の中へ入る。
ソファに腰かけた私をしばし見つめた後、何か思いついたのかガウラルは窓辺に寄り、じっと中庭を見つめる。その視線はなかなか鋭い。
「何をしているの?」
「不審者がいないか見ているんですよ」
護衛が周回しているはずなので、防犯に抜かりはないが、将軍恩自ら安全確認してくれるならこれほどに心強いことはない。
自身も何となしに彼の横に並んだ。
「姫様は最近、お変わりないですか?」
ガラス窓に映ったガウラルの視線がこちらを向く。
「何もないけれど」
「少しでも変わったことがああれば、私かアイリスに言うんですよ」
まるで父親でもあるかのような口ぶりだ。
その慈愛さえ浮かんでいそうな横顔を見つめる。
大切にされていると分かるのに、将軍という立場にあってすら私をここから出すことは叶わない。
罪を犯したわけでもないのに、まるで犯罪者のような扱いを受けている。
けれどそれはあくまでも私の体感で、表向きは生まれながらに恵まれた環境にあるおとぎ話のお姫様でしかない。そう、あり続けなければならない。
幸福で、華やかで、強く、勇ましく。
思い描く理想の王女。演じなければならない物語の主人公。
―――――それはまるで、姉のようだった。




