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蒼天の相聞  作者: 煌千
3/4

壊れた世界を見つけた日

行き過ぎた科学。

哀れなのは私か彼女か、過ぎていく時の前には誰もが無力。

無情の世と不意に漂う光に目を背ける話です。

全4話を予定しています。1話あたりは短めになります。

 夕暮れ。茜に燃える空を、遠い水平線が食べている。朝日が見える方向の浜では、いちはやく夜の匂いが漂いはじめていた。

 波の音が静かに騒がしく、私はエンジンを止めた車から出ないで、窓を開けて外を見ていた。

 ずっとはしゃいでいた彼女は、いつの間にか波打ち際でたそがれている。息を吐いて、恨めしいまでに早く経つ時間を呪った。

 海の音は静かで大きい。ざあ、ざあ、決まった間隔で響く鼓動は時計の秒針。

 私も暫くぼうっとする。相応しくもなく、贅沢に時間が零れていった。

 そうして夜が夕陽を食べてしまう頃、彼女がずっと動いていないことに気が付いた。疲れだろうか。私は静かに車を降り、くすぐったい砂浜の感触を靴越しで受けて、彼女の傍へ歩く。

「どうした」

「……」

 返事がない。華やかさこそないが小奇麗に整った横顔、その目が鼻が闇色に沈み始めていて、私は息を呑んだ。

「……どうした」

「ああ、ごめんなさい」

 我に返って、彼女が弾かれたようにこちらを向いた。

「管理者さまがいらっしゃっていたことにも気付かなかったなんて」

 夕焼けの色か、彼女の顔が赤くなる。

「いや、いいんだ。考え事か」

「いえ、そういう訳では」

 言いかけ、彼女の声が次第に小さくなっていく。私は何も言わず、ただ隣に並んでいた。

「――私には、何もありません」

 彼女の口が、静かに言葉を探る。風は緩く温い。

「私には、何もないですが、未練だけは溢れてしまって堪らないのです」

 押し寄せる波。「ライ」

「はい」

「見当違いかもしれないが」

 私は話すのが苦手だ。それでも口を心を開こうと思ったのは、私もまた、彼女に何度も助けられてきたからに他ならない。

「私はおまえを忘れることはない。ずっとだ、ライ」

「管理者さん……」

 彼女が顔を逸らした。いつしか手の先ほどまで這い寄っていた宵は、表情を隠すカーテン。

「……車に戻ります。行きましょう」

「わかった」

 歩く。浜に足跡を刻む二人の、その短く長い道は無言だった。



 何を起こすことだって出来るのに、何も起こさない。そんな私自身に呆れるやら納得するやらで、エンジン音すら静かだった。道とすら言い切れないぼこぼこのアスファルトをタイヤが強引に踏み越えて、その度に車内はしつこくがたがた揺れる。

 何が面白いのか、助手席の彼女はじっと窓の外を見つめていた。灰の地面に黒い夜空に、車内灯の点いていないここすら一切の色が抜け落ちてしまったかのようだ。視認できるもの、視認するべきものがあまりに少なく、ハンドルを握るべき手が所在なくて私自身の髭を意味もなく掻く。

 ヘッドランプの筋二つが、果てない闇に消えてゆく。

「……本当によかったのかい」

「何がですか」

 声を掛けても、彼女はこちらを向き直りはしない。何とはなしにそれを確認してから、私はアクセルを踏み直す。

「その……何だ、明日だというのに」

 口下手が祟る。隣の彼女がこの世を去るのが翌日に控えたという今日。どう伝えたものか、思案は空回り。

「はい、後悔はないです」

 返答は明るい。どこまでも眩しくて、こんな夜にはどうもそぐわなかった。「とっても楽しかったですよ」

 彼女は管理された人間であり、人の手でその命運が決められてしまう余りに哀れな存在だ。

 車が何かを踏んづけた。ごとん、車内が疲れた音を立てて揺れる。

「ライ、お前は本当にいい子だよ」

 独り言ともなく零す。

 彼女は同じ境遇の死を待つだけな人々に混ざってなお、いい子だった。その素行を認められ、担当の管理者である私の監視下のもと、最後の一日を自由に過ごさせているのだ。

「……私には失うものがもうないからですってば」

 失うものがない。そう答えた彼女はどんな空を見ているのだろう。

「一日使って外の世界を見てきて、どうだった」

「思ったより何もありませんでした」

 率直な答え。操縦する片手が自然と力む。

「私が最後に外を見たときは、まだ店も地下鉄もありましたからね」

「店はあっただろう。その手に持ってる物はなんだ」

「あんなの店とは呼びません」

 言いつつ彼女が小さなポーチをぎゅっと握りしめるのが見えて、私は自然と笑ってしまう。

「……なんですか。管理者さんみたいな、偉い人しか使えない店なんて」

「ああわかったわかった、そうだな」

 ランプに照らされた道には何もない。ごつごつしている灰色の道路がただ幽暗の夜に浮かびあがっていた。

 エンジンの無機質な音が、暫し二人を遮った。

 と。

「あっ」

「ん、どうした」

 彼女の声に、右足がすっとブレーキの上へ移動する。

「何かありました、そこ」

「止めようか」

 何も見えないフロントガラスに目を凝らしつつ、ブレーキを踏んでやった。

 減速。かちゃり、車が止まりきる前にシートベルトを外してしまうのは私の悪い癖だ。彼女が指差した場所は少し通り過ぎてしまったようで、そこに何があったのかは分からない。私は車を降り、過ぎた道を眺めた。

「……あっ」

 見つけた。こんな真っ黒な世界にふわり漂う色彩ひとつ。

 彼女が横に立った。

「すごい」

「ああ、凄いな」

 いま二人の前には、アスファルトの割れ目から力強く、どこまでも力強く天を向く草があった。テールランプに照らされて、翠に、碧に、きらきら煌めいている。

「まだ、植物なんてあったんですね」

「オオバコ」

「えっ?」

 私は草のすぐ近くにしゃがみ、指差した。

「こいつの本当の名前さ。今じゃ誰も覚えてないが、昔はありふれた草だったんだよ」

「草が……ありふれる?」

「遠い昔の話。摘んでやろうか」

 私は茎の、根のあたりを持ってみせた。その柔らかさに手が躊躇う。

「いや、やめてあげてください」

「……そう言うと思ったよ」

 私はひとつ頷き、立ち上がって車のほうを向き直る。何も言わず、足跡も残さずに歩き出した彼女の、道端の雑草に手を振る姿がやけに印象的だった。

 二人が乗りドアを閉めれば、忽ち静かで真っ暗な車内に戻ってくる。私は意味もなくキーを回した。

 月光が仄かに僅かに彼女の輪郭を縁取っている。

「……あの」

「なんだ」

 サイドブレーキに手を掛けながら、彼女の影が目に入る。

 アイドリング状態のエンジンが静かに煩い。

 応じて揺れる車内も、信号を受信できず明滅するカーナビも、ざわざわと忙しなかった。

「あの、このまま、どこかへ連れて行ってくださいませんか」

 彼女の声は、水を打ったように静かだ。広がる波紋の震えに、ふいに我に返る。

 闇に溶けた彼女は、泣いていた。

 淡く淡く注ぐ月光が涙に乱反射して、残酷なまでに綺麗に輝く。頬をなぞる線はさながら星座のよう。

「……」

 息を呑んだ。これまで口癖のように絶望を言っていた彼女の希望。僅かな本音を拾い集めてきて、ようやく見えた彼女の姿。

 私は何も言えなかった。

「……なんて」

 彼女の声音は、しかし、一瞬で元に戻ってしまう。ああ、やめてくれ、彼女との距離が近かった瞬間で願わくば時間よ止まってくれ。

 さきほどの横顔はもう宵闇の彼方。笑顔が刻まれた鉄の仮面は、知らず傷だらけ。

 あんまりだ。私は彼女の姿を見続けることに耐えられず、空を仰いだ。

「なんて、困っちゃいますよね。そろそろ収容所に戻りましょう、怒られてしまいますね」

 首を振って、俯く。涙の破片すら振り払って、彼女はいい子に戻ってしまった。

 それきり、彼女は何も言わなかった。ただぎりぎりと新品のポーチを握りしめる彼女の腕が、私の胸を締め付けて離さないのだった。一瞬だけリバース・ギアを入れ掛けて、やめる。私は栄養のない道路の隙間に育てるほど、強くはない。

 唸るエンジンは静寂。永遠にも思えた残滓を振り切って、私はアクセルを踏んだ。

読んでいただき、ありがとうございました。

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