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蒼天の相聞  作者: 煌千
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呪いに罹った日

行き過ぎた科学。

哀れな被験者たちの中から見つけた光と闇、私はそのどちらからも目を逸らすことは許されない。

暗い日常に光る非日常、その眩しさに目を細める話です。

全4話を予定しています。1話あたりは短めになります。

「被験者5016、おはよう」

「あっ……おはようございます」

「行こうか」

 私は彼女の手を取って、独房の扉が並ぶ細い廊下を通り抜ける。老いてがさがさになった私の手には、彼女のまだ柔らかい手はどうにもくすぐったい。努めて顰め面をして、やがてエレベーターへと辿り着いた。

 被験者の収容所から出るにはここを通らねばならず、このエレベーターを動かすには管理者のICカードが必要だ。私は自分の名が刻まれた札を操作盤に翳した。この職で食い繋いできたので当然だが、もう慣れたものだ。死を待つ地下空間を職場をするのは気分がいいものではないが。

 無機質な機械音とともに、目の前の鉄の扉が開く。昇降機が到着した。やや急ぐように乗り、彼女を乗せ、すぐにドアを閉める。こうでもしないと、外に脱出したがる被験者たちが群がって危ないのだ。

「いつもお手数お掛けしてごめんなさい」

 上昇する感覚。彼女はいつものように俯いていた。

「またそれか」

 掛ける言葉もまた、いつも見つからない。己の不器用には辟易する。

「あっ、ごめんなさい……」

「なんだ、こっちだって好きでやってることなんだ。気にするな」

 扉に向かい、彼女には背を向けたまま。目と目を合わせると、情けない話だが、どうにも言葉に詰まってしまう。

 ちん、目的のフロアに着いたというベルが鳴る。出口が開くと、先ほどとは打って変わって、清潔感と開放感のある施設内だ。

 手を握り合っている彼女の力が少し弱まる。彼女の歩みが早くなり、二人で並んだ形になった。

 余り急ぐなよ、と目線で牽制しつつ、私自身もつい歩調を速めてしまう。

 手元のカードで幾つもの認証を済ませると、やがて外に出る。私たち管理者ならともかく、被験者を外に出すのは異例だ。だが彼女は自ら立候補して被験者となり素行もいいため、特別な待遇が認められている。彼女の外出許可を申請したのが私だというのは、言ってしまっては野暮というものだろう。

「わあい」

 施設から一歩出ると、途端に彼女が駆け足で先行しだした。おい待てよ、言いつつ私はその手をがっちり握って離さない。

 小春日和だ。空は青く陽は高く、高級感溢れる管理者制服ではやや暑い。コンクリートの平坦な地面を走る強い海風が心地いいほどだった。

 彼女はというと、寒そうなまでにみすぼらしいコートを翻して、前へ前へと跳ねるように私を催促してくる。最低限の栄養食しか配給されていない筈なのに、随分と元気なものだ。

「足許には気をつけろよ」

 無邪気の文字をそのまま具現化したような彼女の動きに、思わず笑みが零れる。


「やっぱり海は好きです」

 敷地は狭く、すぐに外出許可の限界まで辿り着く。海辺のごつごつと無機質な堤防の上が彼女のお気に入りだった。

「そうか」

 こんなにも潮風は吹いているのに、海面は穏やかなものだ。消波ブロックが揺れるさざ波を食べてしまっているようだった。

「強くて広くて大きくて、あたしがどうでもいい存在だってことを思い出させてくれます」

「……」

 どうでもいい存在。湿気を孕んだ空気が重たい。

 被験者は、人並みの扱いをされない。家畜同様、或いはもっと酷い扱いで、殺されるために生かされる。事実私は足枷に縛られた被験者を何度も見てきたし、自殺を試みれば手枷が嵌められるとも聞いた。

 被験者は罪を犯した者が主だったが、研究が活発になっていくにつれ、無実の人間をも抽選で巻き込んでいくようになった。我々管理者には公にされてこそ居ないが、施設に入れられたばかりの彼らが吐いた暴言が、全てを綺麗すぎるまでに物語っている。

 自暴自棄になれる場所が彼女にはあるだけ、彼女はまし……などとは思ってはいけないだろう。それは大人しく収容されていてくれる彼女に対して余りにも失礼というものだ。

 そうか、と当たり障りのない相槌を打つ。人知れず海風に攫われていく時間が寂しい。

 風の音はごうごうと静かで、私の喉にやたらと絡みついてくるのだった。息苦しさ、胸の痛さ、明るすぎる外の世界に目を瞑る。

「被験者5016、ちょっといいか」

「……」

 切り出す。私から声を掛けることが珍しいからか、或いは話の意図を悟ったからか、珍しく彼女の返事がない。

「いいかい」

「……はい」

 振り向かない。ぼうぼうと煩い風は、しかし、幾分か和らいだように感じる。

「お前の実験日が決まったよ」

 実験日。実質、死刑の宣告だ。今までも幾度となく下してきた言葉だが、これほどまでに言いたくなかった相手はなかった。

「……そうですか」

 それを分かっていながらも、なお、彼女は良い子である。あろうとする。

 何故だ、と聞くのは越権だろうか。

 海を見たままの彼女の、その顔は伺い知れない。いつしか斜陽、水平線から広がる空は青とも赤ともつかない色に染められていた。

 彼女が消えてしまう。私たちが殺してしまう。

 そんな当然だが気にも留めなかった感覚が、今更なぜ胸に痛い。

 凪の時間帯だろうか、あれだけ荒れていた風も今は静かだ。

「……あたしは、家族がもう居ないんです」

 彼女が呟きだした声は、音を失った海辺ではよく聞こえる。

「父は戦死、母は爆弾で死にました。飼っていた犬は処分されました」

 彼女の声が、私の知る限りで初めて震えた。

「家も母と一緒に空襲で焼けていて、あたしは失うものすら失ったんです」

 何もかもを失う。初めて触れる彼女の闇は、海よりもずっと深く冷たい。

「だから、自分からここに来ました。悲しみに刺されてしまう前に消えたくて」

 身寄りのない子を引き取る施設も、こんな時代では殆どなくなってしまった。聞いている限り、彼女もここがどういう場所なのか知った上での行動なのだろう。

 だが、それでも、彼女の絶望は余りにも深かった。その投げやりな行動も、分からないでもない。

「ここに来てから、悲しむ人をいっぱい見ました。地下で実験が決まって泣く人も、殺されるならいっそと自殺する人も」

 少女にはあんまりな光景だ。彼女の肩は、思っていたよりずっと細い。

「でも、あたしは永劫そんな気持ちは分からないだろうと思っていました。これまでずっと」

 これまでずっと。言葉の外の強い響きにぞくりとする。

「なのに、あたしは今とっても悲しいです。あなたのせいだ」

 私のせいだ。泣かれるより喚かれるより、静かな一刺しが胸を突く。

「……すまんな、実験日を決めるのは上なんだ」

 努めて平常。

 つまらない言い訳だ。真っ直ぐな言葉に耐えきれる自信がなくて、つい罪を逸らしてしまう。

「そうじゃないです。あたしが悲しいのは、あなたがあまりに優しいから」

 あなたが優しいから。意味を理解するのに、暫く。

 虚を突かれて、言葉を失った。

「あたしなんかはただの被験者なのに、こんなに優しくしてくれて、話を聞いてくれて。そんなあなたに会えなくなってしまうと思うと、堪らなく悲しいのです」

 想定していなかった責められ方に、私は胸がずきんと痛む。こっちこそ悲しいさ、と年甲斐もなく泣いてしまいたいほどだった。

「……私のせいか、ごめんな。呪うなら呪ってくれ」

 立場があり、仕事があり、鎖に雁字搦めなのは何も被験者だけではないのだな、などとは今更過ぎる。

「あなたのせいです。では、お言葉に甘えて、呪わせていただきます」

 気付けば空は暗い。沈みかけた太陽が、最後の輝きで茜色に燃えていた。

「……ライ」

「え?」

「ライ。家族が、友達が呼んでくれた、あたしの名前です。あたしは被験者5016じゃない」

 名前。どんな能書きよりも、少女なりに生きてきた道のりの重みが掛かっていた。

「あたしは居なくなります。きっとあたしのことを覚えてくれてた人もみんな死んでしまったし、ここに来る前の日記も写真ももうどこにもないでしょう。死んだら、本当に消えちゃうんです。だから」

 彼女がこちらを向く。目が合い、その瞳に釘付けになった。

「だから、だからせめてあなただけは、あたしのことを覚えていてください。これが私の呪いです」

「ライ……」

「そうしてさえくだされば、あたしは死んでも消えずに済むんです」

 吸い込まれるように、一瞬で彼女と過ごした時間を思い出す。被験者ではなく人間の彼女には、地下房は、海は、私たち管理者はどう見えていたのだろうか。

「わかった、忘れない。ライ」

「ありがとうございます……そろそろ戻りましょうか、怒られてしまいます」

 ライは笑った。

 その強さに、眩しさに、私は堪らず顔を伏せる。

 夕陽が海に落ちた。真っ暗な、真っ暗な夜が迫っていた。

読んでいただき、ありがとうございました。

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