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蒼天の相聞  作者: 煌千
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インクが掠れた日

行き過ぎた科学。

哀れな被験者たちを管理する職に就いた私は、彼らに思うことがない訳でもないながら、今日も明日も変わり映えない日を過ごしていくことだろう。

暗い日常に光る非日常、その眩しさに目を細める話です。

全4話を予定しています。1話あたりは短めになります。

 エレベーターのドアが開くと、そこは陰鬱とした地下室だった。窓などは当然なく排気ダクトを掃除する手などもないので、空気の悪さに目を回してしまいそうだ。私の職場なのだが、この空気だけは一向に慣れない。

「さて、始めるか」

 端末で今日の予定を確認。

 ”実験”の二文字を流し読みして、私はワゴンを押して歩き出した。待っていたと言わんばかりに、背後でエレベーターが閉まる。

 からから、からから、やたら静かな狭い部屋に車輪の音が響く。電灯が点いているにも関わらず、汚れのせいだろうか、どことなく薄暗い。

 黄ばんだ壁についた無数の傷と血痕を眺めているうちに、一つ目の目的地へ辿り着いた。4875、ドアに設置されている札の番号を確認する。ここだ。私は台車から掌大ほどをした金属の箱一つを片手で持って、戸に近づく。ドアノブに触れると、指紋認証が作動して自動で開いた。

「やあ、被験者4875。元気かい」

 部屋は真っ暗だった。開けた入口から廊下の光が注いで、中の様子がくっきり分かる。

 空っぽの棚と机があり、部屋の隅で男が蹲っていた。暗がりに隠れるかのように、ぼろぼろの毛布を握りしめている。

「……何しに来やがった、じじい」

 彼が曇った声を上げる。

 彼もここに来たばかりの頃は大人しかったのに。私は少し残念な気分がした。

「じじいとは心外だな。ほら食事だ」

 心無い中傷自体は、気に留めている暇などない。私が金属の箱を置いて面を一つ叩いてやると、たちまち無機質な駆動音が響き始めた。箱が私を認証して、素早く開く。

 最低限の食事が顔を出した。

 湿気たビスケットのようなもの、細長いチューブに入ったゼリーのようなもの、そしていくつかの錠剤だけだった。これだけで生きるのに充分な栄養が摂れるというのだから、大したものだ。

 よく食えよ、私は言い残して部屋を出る。

 せっかちなドアが自動で閉まり、オートロックの音がぱちんと鳴り響いた。私は胸ポケットから携帯端末を取り出し、4875と記された欄に事項を記入していく。生きて部屋に居る、体調はよし、食事は摂っているようで、……従順。

 それが終われば、次の被験者の部屋へと向かう。

 がたがた、ワゴンの荷物が揺れて耳障りだ。

 4933と名札がついているドアの前に辿り着いて、私は銀の箱一つを手で弄びながら深呼吸した。

 被験者4933は従順とは呼べない。担当の管理者になってしまった以上は面倒を見なければならないが、私は出来れば彼の相手をしたくはなかった。

 意を決して、ドアに触れる。自動で開くや否や。

「来やがったな……」

 素早く手が伸びてきて、制服を掴まれて私は引っ張られる。乱れる息と狂気を孕んだ視線が暗い部屋を満たしていた。

 殴りかかられた。気分が悪い。従順でない彼は足枷を嵌められているが、拘束されていない手はそれで余計に暴れる。

 反抗の姿勢からか最低限すら食事を摂っていない彼など、至って健康な私の相手ではないのだが。

 難なく組み伏せ、その腹に食事の入った箱で一撃を食らわす。ごふ、咳込む音が哀れだった。容器ではあるが、同時に機械だ。それなりの硬さはあるようだった。

 力を失った彼に手元にそっと箱を置いてやって、私は素早く部屋を出る。知らず止めていた息を大きく吐くと、視界が一瞬だけちかちか明滅した。声にならない呻きを上げつつ、端末を取り出す。被験者4933は生きている、体調は芳しくなく食事を摂っておらず、従順でない。

 処罰の許可を申請するか旨を長々と書いて、決定。少し離れた部屋だが、辿り着いたのはすぐだった。続く部屋はこれまでと打って変わって小綺麗で、5016と刻まれたネームプレートもまだ新しく見える。私は台車から唯一金に塗装された箱を持って、ドアに触れた。

 かち、開く様子は変わり映えがない。

 見えた部屋には電灯が点いていて、私は少し嬉しくなる。

 本棚にはいくつかのノートが並び、机の上にも一冊が広げられていた。他の部屋と違って文化的で小奇麗な様子に、安堵を通り越して感嘆すらする。部屋の隅でうたた寝していた少女に、私はそっと声をかけた。

「被験者5016、おはよう」

「おはようございます」

 声音は元気だ。本来は正常なはずの返事が余りに珍しくて、知らず笑みが零れる。

「……なに笑ってるんですか」

「いや、すまない。なんでもないんだ」

 私はそっと改まって、箱を手渡しした。

「食事だ。よく食べるといい」

「ありがとうございます。いただきます」

 ただそれだけが嬉しくなって私が部屋を出ようとすると、再びその声がかかった。「あの、僭越ながら、お願いしたいことが」

 珍しい。私は振り返った。

「なんだ。言ってみろ」

「ペンが欲しいのです。日記をつけていたら、備え付けの物を使い果たしてしまいそうで」

 言いつつ彼女は私に開いていたノートのページを見せてきた。なるほど、今日の日付や文章があちこち掠れている。

「そんなものなら、これをやる」

 私は管理者制服の内ポケットからボールペンを取り出して、彼女に手渡した。代わりに、切れかけというペンを受け取ってポケットに突っ込む。

「いいのですか、こんな」

「全てデジタルで事足りるからな、使わんのだ」

「そう、ですか。ありがとうございます」

 大袈裟なまでに彼女が頭を下げる。私は手で返事をして、部屋を出た。

 被験者5016は生きていて体調はすこぶる良好、食事は充分摂っていて素行がとても良い。

 他に。最後の部屋に向かいつつ、私は思い出した。

 掠れた文章、変わり映えのない内容にただ同じ願望が書き連ねてあったことを。

 外に出たい。

 その場で端末を少し操作してから、私は自分自身に笑ってしまった。

「……我ながら、やりすぎだろうか」

 さて、最後の部屋の前へと辿り着いた。台車にはもう食事の入った箱はない。

 端末と部屋の名札を何度も照らし合わせる。4806番、ここだ。

 部屋に入る。

 明るかった。真っ先に視界に飛び込んできたのは、部屋の中央で横たわった被験者4806番だった。手錠と足枷が嵌められていて、自由が利かなかった結果だろうか。私は脈を確認する。すっかり慣れたものだ。

 彼女が生きていることに安堵して、その頭を何度か叩いてやる。

 少し時間を要して、被験者4806が目を覚ました。虚ろな表情でこちらを見ている。

「……おはよう。今日が何の日だか分かるね」

 返事はない。泣きはらしたに違いない充血した瞳が、返事の代わりと言えるだろう。

 手錠についた鎖を引っ張って、無理やり立たせる。

「今日はお前の実験の日だ。光栄に思うといい」

 既に抵抗する体力も悪態をつく気力すら残っていないようで、背中を叩けば案外素直に歩き出した。台車に積まれていた物騒な器具を使わずに済んだことを安心しながら、私は彼女を連れてエレベーターへと向かう。

 この地下収容所には大量の独房があり、部屋一つにつき一人が収容されている。彼らは被験者と呼ばれ、管理されつつ非道な人体実験による死を待つのみの生活を送っているのだった。

 哀れだ、とも少しは思う。だが彼らへの同情などを思う繊細な心は、私は既に失っていた。


 さて、被験者を連れて乗り込んだエレベーターは、さらに下の階へ行った。すぐに、目の前に実験が行われるフロアが広がる。壁、床、天井までもが如何にも清潔そうな真っ白で、眩しすぎるぐらいだ。私は彼女を引っ張ったまま、ある設備の前まで歩いた。

「着いたぞ」

 ここでようやく鎖を手放す。

 物音一つ立てていなかった研究者達が、途端に湧いて現れた。被験者に声を掛けたり背中を支えてやったり、無知が見れば暖かい光景なのだろうか。

 少し距離をおいて、そのみすぼらしい背中を見つめる。抵抗もせずに実験の装置へと誘い込まれていく姿を無感動に見届けて、私は息を吐いた。

 私の今日の仕事は終わった。内ポケットから端末を取り出して、事務的に報告。その感触でインク切れのボールペンを交換していたことを思い出し、私はそれを地面に投げ捨てた。からんからん、思いのほか大きな音が経ったが、生贄を用いた実験に沸き立つフロアでは、気付く者は誰一人と居なかった。


 休暇、というよりは、業務停止に近いだろう。被験者を実験に送り出した日は、その後には仕事をしてはならないという決まりがある。私は手持ち無沙汰で、施設の外に出ていた。

 庭と呼べる、空が見える敷地がそれなりに広くある。北側に背の高い施設があるが、他の三方は空が大きく見えて、なかなか気持ちいい。なだらかに丘になっている芝生を歩き、私は海の見える場所へと行った。

 コンクリートで固められた堤防があり、私はそこに座った。まだ空は昼の色で、水平線が遠く見える。のどかなものだ。

 消波ブロックに潮騒が響く。

 無感動なりに、思わないことがない訳ではなかった。

 最初に施設に来た時のことは未だに思い出せるし、それからの日々も忘れてなどいない。被験者はみな半年も経たずに実験に送り出されるのだから、忘れることのほうが難しいのかもしれないが。

 被験者は人間として扱われない。

 それでも、私は口の中でつぶやく。言い訳でしかないが。

 ……それでも、彼らには私なりに敬意を表してきたつもりだ。

 話しかける、食事の時間は規則正しくする、声を掛けられれば応じる。そして、殺した者の顔と名前は――正確には被験者番号だが――必ず覚えて忘れないようにしていた。それが管理者という立場である私なりの精いっぱいだ。どうか許して欲しい、などと言うのは少し改まりすぎだろうか。

 人間扱いをするな、というのはそもそも上からのお達しなので、今の私は言ってしまえば中途半端なのだろう。それでも、私なりに考えたことは貫きたかったし、実際にそうしている。

 だからこそ、努めて無感情になろうとしていても、こんなにも肌寒いのかもしれない。晴れた蒼天がどうも恨めしかった。時が流れるのは遅く、ふわふわ浮かぶ雲はその場で漂っている。

 目を瞑り、冥福を祈る。これぐらいは許してくれ、誰にともなく詫びながら。

 さざ波の音が見守っていた。

読んでいただき、ありがとうございました。

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