城を出て、みじめな世界 その二
釣り針爺さんの話によれば、彼は白琳沼沢に流されそうになっている秉核を見て、秉核の船を引き寄せたのだという。
……
白琳沼沢、帝国皇家牧場
御苑家の領地。この家系は子爵家で、帝国に軍用馬を供給している。帝都時代、秉核はこの家系と接触があった。
ガス車両の輸送力が、帝都時代にこの家系の利益と衝突したためである。
この家系の伝承職業は霊獣使い(中位職業)で、帝国に軍用鷹、軍用馬、伝書鳩を提供している。
厳密に言えば、この家系は聖ソーク家と多少のつながりがある。聖ソーク家の本来の職業伝承には、霊獣使いが含まれていた。
しかし、聖ソーク家が帝国の皇室となってからは、騎士や射手などの高級職業が徐々に聖ソーク家の主流を占めるようになった。数百年前、聖ソーク家の庶子の一人が御苑家を興したと言われている。もちろん、これは帝国の大貴族の間の噂にすぎない。聖ソーク家はこのことを一度も認めたことがない。
御苑家も、この親戚関係を名乗ることはできなかった。
帝国の皇権は、子爵家が名を借りて手が届くものではなかったのだ。
翌日には、聖ソーク家の嫡流は血縁関係などお構いなしに処理するだろう。これは二十一世紀の家庭紛争と同じで、どんな親戚であろうと、財産の相続権を奪おうとするなら、直接顔を突き合わせて争うことになる。
御苑家は暗黙のルールを自覚的に守っていた。その一線を越えない限り、歴代の聖ソーク帝国もこの家を厚遇してきた。
数百年にわたり、御苑家は皇室の従者としての立場を貫いてきた。
白琳湿地帯の全域は、帝国が御苑家に与えた牧場である。
御苑家が代わりに管理している。
白琳湿地周辺の平民は立ち入りを禁じられていた。
平民が入り込んで見つかれば捕らえられ、奴隷市場で安値で売り飛ばされる。
釣り針爺さんの三人の息子も、こうして連れ去られた。
そして、二度と帰ってこなかった。
秉核は、彼らが永遠に戻らないことをよく理解していた。月隠山脈の鉱山は、生きて帰れる望みなどある場所ではなかった。しかしこの話題に触れたとき、秉核はタイミングを見計らって釣り針爺さんを慰めた。
「おじいさん、あなたと息子さんはきっとまた会えますよ」
秉核はこの老人を見て、悟った。
この老爺は、ただその一点の望みだけを頼りに、この世を生き続けているのだ。
……
聖ソーク帝国は封建帝国である。
工業経済が及ぶのは、ほんのごく一部の人口にすぎなかった。
銃焰秉核が生まれた銃焰家一族や、彼が訪れた帝都は、初歩的な工業文明の様相を呈していた。
だが、広大な帝国領土の大部分は依然として遅れと惨めさに覆われていた。
いわば、上海灘は民国の一部であっても、民国全体が上海灘の風貌ではないという状況だった。
……
銃焰家の経済は標準的な工業経済である。工業経済は、工業社会の組織を維持する必要がある。だから、銃焰家の領民統治はむしろ最も文明的といえた。ストライキや機械の破壊といった事態は、領地経営の損失リスクになるからだ。経済的な観点から、銃焰家は工業人口の矛盾を可能な限り小さくし、リスクを減らす。
そうしてこそ、合理的に領地経営を続けられるのである。
一方、御苑家はプランテーション経済である。それを支える民衆には、第一に教養がなく、第二に生産力が極めて低い。
この時代、農奴はいくらでもいるし、暴動にも破壊力がない。
だから帝国が工業経済へ入った後も、御苑家は他の旧貴族と同様、鞭と銃剣、騎兵銃による恐怖統治でプランテーション経済を維持している。
特筆すべきは、現在のプランテーション貴族が、千年前の純粋な農業経済の帝国時代よりもはるかに残虐だということだ。
これは、古い貴族たちが民衆を鎮圧するリスクが減ったためである。
昔は、各家庭がまだ冷兵器と簡易な火器を使っていた時代である。
農奴の鎮圧は、非常に面倒なことだった。
帝国の各時代のオペラ作品からも、この時代の特徴が読み取れる。
かつては、領主が慈悲深くないために領民に打倒される、という民話もあった。
しかし今では、そんな話はない。領主たちは皆、高雅で卓越した統治の魅力を備えるようになった。
現在の帝国内には近代的な兵器産業があり、旧貴族たちは五十人ほどの私兵と数門の土砲で、数万人の農奴を抱える農園に血なまぐさい支配を敷くことができる。
過去と比べ、旧貴族たちはより残忍になれる。
彼らの支配の下限は、以前よりさらに低くなった。
……
老魚釣り(この老漁師は秉核に、白琳沼沢には決して近づくなと懇々と戒めた)との会話で、秉核は旧貴族たちの支配がどんなものかをすぐに理解した。
御苑家によるこの五十キロ四方の支配では、懲罰は残酷で、常人には想像もつかないものだ。
斬首して晒し首にするのは最も普通で、皮剥ぎ、犬刑、焼印などは、ここでは日常茶飯事である。
白琳沼沢の十字架には、処刑された死体が大量に吊るされていた。
このような晒しものによる威嚇は、もともと農民が田畑をスズメの被害から守るための手段だった。
今では御苑家によって、彼らが見下す賤民たちを脅すために使われている。
秉核の脳裏に大量の記憶が湧き上がった。十分間かけて頭を整理し、自分がいる帝国の社会環境に、なぜこれほど大きな差異があるのかを理解する。そして厳かに自分に言い聞かせた。「秉核、今日からお前は帝国の光の区域から、帝国の影の区域へ墜ちたのだ」
その晩、秉核は魚の骨で作った針を使い、川辺で拾った布で自分の服を縫い上げた。秉核の目には、この最初の手作り服は二十世紀末の乞食の服のスタイルにそっくりだった。
継ぎの上に継ぎ。
丈夫さには欠けるが、それ以外はなかなか良いと思った。




