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帰向  作者: 凛光穂
第二巻 機械師の心

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弱気な機械師、行き詰まる その一

 コンクリート橋の上を、一台の馬車が城外の工場地区から、機械学院のある上城区へと戻っていく。車内には秉核(ヘイカク)と四人の機械院の学生が乗っていた。


 秉核(ヘイカク)は手の油汚れを、ハンドソープで何度も洗い落としている。

 自動車整備店で機械部品に使われていた潤滑油は、海洋生物から精製されたものだった。


 機械部品に付いていた黒いすすが、秉核(ヘイカク)の分解作業で彼の手に移った。きれいだった一鉢の水は、濁った灰色の液体に変わる。秉核(ヘイカク)が手を洗い終えると、そばにいた白簾(ハクレン)は秉核(ヘイカク)を手伝い、銅の洗面器の汚れた水を馬車の排水口に捨てた。

 水は車底から道路へ流れ落ちていく。


 少女は洗面器を片付けると、


 秉核(ヘイカク)のそばに来て言った。六代続く工場主の家に生まれたこの少女は、白いハンカチを取り出し、自分から秉核(ヘイカク)の手を握って、残った水滴を拭いてくれた。

「首席、今日の午後は自分で手を汚す必要なんてなかったのに」


 少女の柔らかな手が、香りのよいハンカチで、秉核(ヘイカク)がいい加減に拭いた指の間まで丁寧に拭いてくれた。――秉核(ヘイカク)は思わず息を止めた。心が温かくなった。

「優しくて、癒される」と胸の内で呟いた。


 しかし数秒後、心の揺れた秉核(ヘイカク)は顔を赤らめて手を引っ込めた。――少女は秉核(ヘイカク)の指を拭き終えると、それを唇の近くへ寄せて、そっと息を吹きかけた。少女の口から出る温かな気流が、指の肌に触れる。秉核(ヘイカク)の心拍は思わず速くなった。白簾(ハクレン)のこうした真剣な世話ぶりは、「温柔郷」という言葉をそのまま体現していた。秉核(ヘイカク)はこの世で出会った他の女たちのことを思い出し、心の中で「これが女の子だよな」と嘆いた。


 手を引いた秉核(ヘイカク)は自分の鼓動を隠そうと、すぐさま今日の機械工場での作業の理由を説明し始めた。

 車内にはほかに三人のクラスメイトがいた。早く話題を切り出して、彼らの漂わせる噂話の気配を打ち消す必要があった。


 秉核(ヘイカク)は車内のクラスメイトを見渡し、厳しい表情で言った。

「今日工場を訪れた帝都の貴族たちについて、君たちはどう思う?」


 左側のクラスメイトが答えた。

「首席、彼らは工場のことを何も分かっていないのに、すべてを分かっているふりをしていると思います」


「パン」と秉核(ヘイカク)は手を打った。

「その通り。彼らは分かっていないからこそ、体面を保つために知ったかぶりをする。これが体面や身分を気にする者たちの、いつもの病だ。そして彼らが分かっていないからこそ、俺が技術を披露する価値があるんだ」


 秉核(ヘイカク)は指を折りながら言った。

「車軸の取り付け、サスペンションの点検、防護板の溶接、車体の測定。『今日私が忙しく動き回っていた』これらの工程は、あなたたち専門家ならよく分かっているだろうが、普通の若者が数ヶ月訓練すれば習得できる技能だ。とりわけ高度な機械技術というわけではない。これらの工程で人手が足りなければ、下町の見習いをすぐに訓練して補うことができる。


「しかし、身分にこだわる者たちはそれを知らない。自分の無知をさらけ出すことを恐れ、頭を下げて尋ねることもしない。君たちは彼らの立場になって考えてみるといい」


  ……


 上層部の検査にどう対応するか、能力以上のことを求める上司にどう対処するか――そうした話を始めると、普段は無邪気な秉核(ヘイカク)の目に、狐のような狡さと虎のような強さが浮かんだ。


 秉核(ヘイカク)は、まだ自分の意図を理解していないクラスメイトたちを見回し、がっかりしたような口調になった。


 秉核(ヘイカク)は言った。

「あなた方は専門家であり、工場にとって不可欠な技術の中核です。


「工場内の重要な部品の製造や生産ラインの調整は、工場全体の労働量の一パーセントにも満たず、場合によっては千分の一にも満たない技術的な部分を、あなた方が担っているのです。その部分がどれほど重大で、どれほどの技術的意義を持つか、専門家なら理解しているはずです。あなた方の重要性を改めて強調する必要はありません。しかし」秉核(ヘイカク)の口調が強くなる。


 秉核(ヘイカク)は続けた。

「彼らは(今日工場を訪れた貴族たち)、とても理解しているように装っていますが、工場のどの技術的部分が重要で、どの管理領域が要所なのか、まったく分かっていません。たとえ説明しようとしても、その傲慢さと自負心のせいで、細かな内容など聞き入れるはずがありません。


「そして、もし彼らが、九割以上の作業工程には技術の中核である機械技師の直接の関与は必要ないと考えたら、どうなるでしょう?」


 秉核(ヘイカク)は冷笑した。「その時、半端な知識人たちは自信満々に天下を論じ、無知と貪欲のままに工場の利益分配の仕組みを壊していくだろう」と言い、秉核(ヘイカク)の顔には一抹の無力感が浮かんだ。


 秉核(ヘイカク)は無力だった。

 帝都の封建貴族たちが利益の一部を奪うのを防げるなどと、一度も幻想を抱いたことはなかった。


  ……


 秉核(ヘイカク)は、帝都のガス車両の路線がもっと多く、もっと充実して拡張されることを望んでいた。

 そのためには、新しい運輸技術が生む利益を、旧来の交通手段で利を得ている貴族たちに分け与えねばならなかった。


 現在の交通変革は皇帝の許可を得ているが、皇帝の威嚇には限界がある。


 皇帝は現在の六路線を許可し、秉核(ヘイカク)を支援することはできる(秉核(ヘイカク)は、まだ皇帝が自分を支援していることを知らない)。しかし秉核(ヘイカク)が、すべての馬車輸送を置き換えようと拡大すれば、矛盾や衝突が生じ、それは利益集団全体への挑戦となる。皇帝の権威とて完全に庇護できるものではない。

 これらの勢力は共通の利益を侵されれば、団結して恐るべき力を発揮する。


 しかし、帝都の貴族たちに利益を与え、秉核(ヘイカク)の現在の貴族身分を活用すれば、外部からの激しい反撃を受けることはない。


  ……

 ―――――

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