辺境の壁の外の世界 その一
帝都の下町は賑やかだった。
通りはかろうじて清潔に保たれていた。糞便もなく、果物の皮やゴミが散乱して汚水が流れるような光景もない。
下町に固定のゴミ箱はない。
だが二百メートルごとに薄暗い路地の入り口があり、ゴミはどうやらそこへ捨てられているらしかった。
都市の清潔さは、人々のモラルで説明できるものではない。
管理が行き届いている証拠だった。
人間は管理されないまま集まれば、その場所はひどく汚く乱れる。前世の中世ヨーロッパの都市に糞便があふれていたのも同じ理由だ。
都市の美観と清潔さの九割は、その土地の権力者が意識的に制度を設け、汚れや乱雑さを排除した結果である。
街に入ると、秉核の注意は街の様子に引きつけられ、その景観からすぐに、この地域の背後に潜む社会的な力を思い描いた。
……
もしこれが現代社会なら。
通りがきれいなのは、市役所が清掃員を雇い、清掃車を買い入れたからだ。
清掃員を雇えるということは、政府に警察を雇う力もあるということでもある。
どの通りにもゴミ箱が置かれ、都市管理が監督し、都市警備員が清掃する。
こうした社会的な作業が滞りなく行われることこそ、社会秩序の現れだ。
さらに、都市の治安を監視するカメラ網のような、莫大な費用のかかる秩序の仕組みが築かれれば、人々は夜道を歩くときも身の安全を案じずに済む。
社会に存在する公共秩序の量は、その社会の背後にある暴力体系を統制する組織の力の大きさを物語っている。
……
この都市を観察するうち、秉核は下町の社会秩序の土台を支えるギャングたちの、人的・財政的な資源を推し量った。
例えば左側にいる乞食たちは、組織されていなければ、金をせがもうと人々に押し寄せるだろう。
だが今は、隅にうずくまり、静かに座って手を差し出して物乞いをしている。
隅から出てくる者も、碗を差し出すだけで、自分から声を上げて物乞いしようとはしない。
そしてすぐに頭を下げ、足早に通りを過ぎていく。
通りを横切って歩いていく、腹をさらけ出し全身に刺青をした大男たちこそ、この乞食たちがおとなしい理由である。
乞食たちはネズミのように隅に縮こまり、へつらうように笑うことしかできない。
この無頼漢たちは横暴だが、店に立ち寄って酒や肉を買うときには、ふざけたり値切ったりせず、明らかに自制が働いている。
強引な売買はしない。
これはヤクザが支配する通りの秩序であり、ヤクザの家法が通りの商いの秩序を管理している。
……
この下町の基本的な生態を把握したあと、秉核の心には次第にある計画が浮かび上がってきた。
「規則の及ぶ場所では規則に気をつけろ。規則の届かない場所では規則を当てにするな」秉核は、普段の自分とは思えない大人びた口調でそう戒めた。
もっとも、その大人びた様子はほんの一瞬で、数秒後にはまた幼稚で間の抜けた子供の顔に戻っていた。
……
街を歩くうち、秉核はいくつもの小さな出来事に出くわした。
一、籠を提げた老婆が近づいてきた。
「坊や、麦芽糖を買っていきなさいな。とても甘いよ」
秉核は笑って手を振り、断って小走りにその場を離れた。
二、十四歳の街のチンピラが、逃げていく秉核を指さして罵った。
「おい、ガキ、その靴はダサすぎるだろ。いいか、何を履くべきか教えてやる。あ、逃げるなよ、俺の顔を潰す気か」
……
下町を歩きながら、秉核は頭の中で三つの注意点をまとめた。
第一に、食べ物や飲み物は一切買わない。
第二に、誰にも道案内をせず、誰の親切な助けも受けず、また誰にも助けを与えない。
第三に、人混みに近寄らず、人の少ない場所にも走り込まない。
面倒を避けたあと、秉核は計画どおり、目指す場所へと走り出した。
……
第四通りにたどり着いた。
馬車が行き交う通りの中央で、秉核はゴーグルを装着した。ゴーグルは俯瞰の視角に切り替わり、秉核の真上四百メートルの地点には飛行器が空中で静止していた。秉核の視点はその飛行器から得たものだったが、この飛行器に高精細な撮影機能はなく、映るのは都市の建築モジュールのおおまかな姿だけである。秉核に現代的な高精細光学機器が作れなかったからだ。
前世でスマホの地図を見るように、秉核は高空からの視点で方向を確かめ、下層区の幹線道路にある目印の建物へと足早に向かった。
……
傭兵協会――帝国の半官方的な組織。御獣暦の時代、傭兵協会は半ば独立していた。
しかし工業時代の帝国は、いかなる独立武装組織の出現も許さなかった。
国家の統制がもう少し強ければ、こんな傭兵協会は存在し得なかっただろう。
国家の武装はすべて高度に統一されるはずだった。
帝国の管理をもってしても、民間人が銃器を手に入れるのを完全に防ぐことはできず、民間の武装勢力を根絶することもできない。
そこで半官半民の管理方式を採り、統制下に置いた合法の傭兵団を支援し、統制できない民間武装を徹底的に取り締まるしかなかった。
現在、各傭兵団の名簿と出身地は帝国に登録されている。もっとも、反乱や外国との結託でもないかぎり、帝国が傭兵の内部事情に過度に口を挟むことはない。
帝国は武器装備を高値で売りつけ、危険だが報酬の高い任務を割り当てて傭兵たちにこなさせる。
ここ数年、帝国の海外介入作戦には、こうした傭兵集団の影がつきまとっている。
……
傭兵のホールは広く、喧噪はない。
制服姿で銃を携えた警備員がホールのテーブルの後ろに斜めに座り、混乱が起きればいつでも秩序を保てる構えだ。
秉核がガラスの扉をくぐると、入口の警備員が素早く秉核の行く手を遮った。
冷淡な口調で言った。
「子供はさっさと帰れ。ここらで遊ぶんじゃない」
秉核は照れくさそうに笑った。
「あの、ここで何か仕事を探せないかと思って」
どもるのは演技ではない。初めて傭兵協会に来たのだから、どうしても緊張してしまう。
「はは」もう一人の警備員が笑い、それからぞっとするような目で秉核を上から下まで見下ろして言った。
「ここに皿を洗う仕事はないが、お前がもし、フフ」
「ゴホン」と背後で咳払いが響いた。
警備員たちはそれを聞くとすぐに姿勢を正して背筋を伸ばした。
暗緑色のスーツに黒い革靴、腰にガンホルスターを下げた、三十代のたくましい女性が近づいてきた。
彼女は入口の警備員たちを睨みつけ、怒鳴りつけた。
「何をしている?クビになりたいのか」
女性の声は大きくなかったが、兵隊崩れの男たちを震え上がらせるには十分だった。数秒後、女性は冷たい視線を秉核に向けて尋ねた。
「あなたは誰?ここで何をしているの?」
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