錯綜する利益派閥 その一
この時、オーカー帝国の首都。
帝国上院
帝国陸軍省では、西大陸の地図が議会ホールの壁に掛けられ、地中海北部のすべての国々が地図上に示されていた。辺境のオーカー、ヒーマン、ローラン、ヘイラ、そして地中海最西端の聖ソークと北西端。
騎士たちは軍事測量用の木製の物差しを手に取り、地図上に何かを記し続けていた。
将軍は陸軍省の今年の大陸配備について説明していた。
この時、赤い木の机が円形に並ぶ上院の議場では、まだ穏やかな議論が交わされていた。
しかし海軍派閥の面々は、わざと葉巻をくわえ、だらしなくふざけた態度だった。
会議の後半に起こり得る嵐を、皆に予感させていた。
現在のオーカ帝国では、多くの国家政策に精神分裂の兆候が見られる。
大陸各国は、オーカ帝国が精神分裂に陥った原因は議会制にあると考えている。
そのため大陸の封建帝国たちは議会制を深く警戒し、戒めとしている。
……
七百年前。
当時のオーカ帝国皇室は、国内の矛盾を調整するために国内議会を設立した。
当時、オーカ帝国の産業革命は多くの新旧貴族の利益衝突を誘発した。うん、当時の状況は今日の聖ソークの新旧貴族の利益衝突とそっくりで、しかも矛盾は百倍も激しかった。
そして今日の|聖ソーク皇帝《聖ソークコウテイ》は権威を利用し、国内の各勢力の間でバランスを取る術を駆使して、矛盾を強引に抑え込んでいる。
一方、当時のオーカ皇室は議会の最高位に立つ立場を利用し、議会討論の過程で国内の各利益派閥の力関係を明確に見極めた。
そして勝利する側について、新興貴族たちの指導者となることに成功する。
これによりオーカ皇室は、変革の中でも主導的権威を保ち続けることができた。
(大封建帝王がブルジョア階級の勝利の果実を掴み取ったのである。)
議会制度を採用したオーカ帝国では、少なくとも六百年前までは、オーカ帝国皇室の権威は大陸の他の封建王室と同様だった。
議会は政治の舞台で確固たる力を築いてはいたが、あくまでオーカ皇室を補佐して国家を統治する立場にあった。
しかし三百年前の戦争で、オーカ皇室は極東の将軍四名を戦死させ、六名を捕虜・行方不明とした。
海上では、戦艦艦長たる要塞職のオーカ帝国皇室七要塞が海上決戦で海人族に殲滅された。
オーカ皇室は衰退の一途を辿った。
権威も力も、オーカ帝国皇室は指導を続けるには足りなかった。
もともと補佐的な立場だった上院が台頭し、この国の実権を握る存在となった。
……
しかし、このような上院は、結局のところ皇室が衰退した後に君主から受け継いだ国家である。
ブルジョア革命や血と火の洗礼を経て再建された国家ではない。
したがって、政権を継承する際に問題も引き継いでいた。
君主とは、つまり権力のバランス術であり、常にどこかに権力抑制の操作余地を残し、君主にバランスを取る発言権を持たせるものだ。
こうした、当時は君主の裁決作用を示すために設けられた場所は、君主が権力の座を退いた後、深刻な歴史問題となった。
海軍と陸軍の間の各地域における戦略、どちらを主としどちらを従とするかは、当時からきわめて曖昧に定められていた。
疑いなく、オーカ帝国は海陸併進の強権であり、海軍と陸軍の間には当初から多くの未決定事項があり、君主の前で自ら利害を述べなければならない点が多かった。
現在の君主が支配権を失ってからは、海軍と陸軍に合理的な議論の余地はない。
現在の議会制度の下には、問題を解決するための合理的な討議の仕組みもない。
そのため、しばしば口論に発展する。
……
この時、オーカ帝国上院が議論している国際問題もまた、きわめて長い歴史を持つ問題であった。
現在、ヒーマン人は選帝を行おうとしている。
四千年前。当時聖ヒーマン家がまだ存続していた頃、西大陸中部は統一帝国だった。
聖ヒーマン家は当時、要塞、権力、将軍という三大伝統を備えていた。
しかし数百年にわたる初期の繁栄を経て、聖ヒルマン家の内部に深刻な対立が生じ、分裂が始まった。
その後、帝国中央の集権は地方諸侯に妥協し、緩やかな連合へと変貌した。
そして帝国は選帝侯制度を施行し、帝国を代表する諸侯を選出するようになった。
選帝侯制度も当初は、単に一族の実力を見て盟主を定めるものだった。
しかし二千年前、それは多くの規則を伴う儀式へと変わった。
たとえば現在、各国が推挙する選王は二十歳を超えない若者でなければならない。
表向きの理由は、若者なら長期にわたって連合を指導できるというものである。
実際には、いくつかの大公国はある状況を望まず、それを防ぎたいと考えていた。
その状況とは、手腕に長けた権力者や将軍が盟主の座に就き、積極的に藩を削減することである。
そのため、誰もが暗黙の了解で王選の資格を二十歳以下に制限した。
……
前回の選帝侯はオークリー大公で、それは例外だった。
盟主に選ばれた後、二十五歳で権柄に昇格した。
この大公が権柄となった後も、時流が英雄を生む時代であった。
当時、オーカ帝国は東大陸での敗戦で衰退していた。
この大公は大陸中央部で縦横無尽に活躍した。
当時、西大陸は反オーカー帝国連合を結成しており、この大公こそがその鍵となる人物だった。
オーカー人たちが歯軋りするほど憎んだ存在である。
もっとも、後に反オーカー連合は利益争いで自滅して瓦解し、オーカ帝国はかろうじて息をつくことができた。
オーカ帝国はオークリー大公への長い弾圧を開始した。オークリー大公が余生にできたのは、同盟間の争いを減らすよう呼びかけることだけとなる。
彼は調停役のような存在になった。
しかし、このオークリー大公が強力な人物であったことは否定できない。彼が存命の間は各家の戦争も抑制されており、どの家も衆怒を買うことを恐れていた。最終的に各家はこの徳高き指導者を盟主として同盟を結成し、共同戦争を開始した。オークリー大公は、余生を一種の潜在的抑止力として過ごした。
そして数ヶ月前、三百歳近くまで生き延びたオークリー大公が死去した。
法的には、ヒーマン人が再び選帝を始めるべき時となった。
十分な実力と名分は重荷となる。
選帝侯はすでに名ばかりの存在だが、その名称は残っている。
一部の強大な勢力も容易には手放さないだろう。
選帝侯の座が空位となると、大陸の上流階級たちが動き始めた。
オークリー、フューワース、ウェスト、ビックス。
これらはすべてヒーマン人の公国で、現在は互いに深刻な対立を抱え、外部勢力の介入も受けている。
オーカ帝国の野望家たちが、この機会に何かを画策しているのも当然のことだった。
……
―――――




