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帰向  作者: 凛光穂
第三巻 緊迫の逃亡?刺激的な逃避行!いたずらな旅

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躊躇う太雲、旅立つ秉核 その一

 蒸気暦一〇二五年十月四日。


 東大陸


 月隕盆地の北東に、山脈の切れ目がある。この切れ目は、天然の要塞関所の建設地。過去五十年のあいだに、太雲(タイウン)帝国がここへ近代的なセメント防衛施設を少しずつ築いてきた。

 この地は剣閣関と名づけられている。


 軍事要塞の、高さ十メートルに及ぶセメント城壁の上。


 長袍をまとい、鎧を着た将軍が城楼に立つ。

 その下では、黒い蒸気機関車が白い蒸気を噴き出しながら、千トン近い物資を関所へ運び込んでいた。

 この鉄道路線こそ、工業国の力がここまで及んだ具体的な現れだった。


 太雲(タイウン)帝国が支配の触手を月隕盆地へ伸ばしたのは百二十年前。動機は食糧だった。四十年にわたる調査と実験を経て、太雲(タイウン)帝国の学者たちは、ガラスの死の丘の周辺の土地さえ避ければ、ほかの広大な土地で育つ作物に呪いはかからないと確認した。


 太雲(タイウン)帝国は、ここに統治の拠点を築き始めた。


  ……


 列車が要塞に入って三十分と経たぬうちに、一組の男女が要塞の上層に現れた。この二人こそ、帝都で秉核(ヘイカク)が見かけた炎日(エンジツ)と皎月(コウゲツ)だ。今は太雲(タイウン)帝国の祥雲飛鶴の礼服を身にまとっている。


「貫轟(カンゴウ)、貫霞(カンカ)、今度の西行、ご苦労だった」将軍は二人の若者を見て、穏やかに声をかけた。この将軍は実は二人の叔父だったが、太雲(タイウン)帝国の変法後は軍の階級が非常に厳しくなり、世族の勢力は抑え込まれていた。そういえば、月隕盆地にある二十七の死丘隔離工事は、貫家(カンけ)の手によるものだ。貫家(カンけ)は太雲(タイウン)国内で、朝明(チョウメイ)皇室に次ぐ頂点の名門だった。


 上官の笑顔に応えて。


 貫轟(カンゴウ)と貫霞(カンカ)は両手で拳を組み、片膝を地につけた。


「牧守殿。西行の折には、多くのことを見聞きしました。聖ソーク(セイソーク)帝国の実情は、ヘイラ人の描写とは大きく異なります」

 貫轟(カンゴウ)(炎日(エンジツ))はそう言った。


 将軍は頷き、広間の椅子を指した。

「座って、ゆっくり話せ」


  ……


 三十分後、貫轟(カンゴウ)は聖ソーク(セイソーク)帝国の状況についての説明を終えた。


 彼は聖ソーク(セイソーク)の国土、工業規模、人口総数、貴族の状況を、一つ一つ解説していく。

 その説明は、収集した資料によって裏づけられていた。


 軍隊の戦力と国内の軍備に触れる際、貫轟(カンゴウ)は聖ソーク(セイソーク)帝都の鉄道駅が魔鉱獣に襲われたときの、軍の反応速度を事例に挙げた。


  ……


 このとき、貫轟(カンゴウ)の西行調査資料に目を通していた将軍こそ、貫川(カンセン)といった。


 六十歳の彼は、帝国でも指折りの慎重な人物だった。

 帝国が大規模な戦力を月隠山脈へ投入したときも、一貫して西部強国の情報を集めようとしていた。

 ヘイラ人から提供された情報を、盲信することはなかった。


 これ以前、ヘイラ人が太雲(タイウン)帝国に語ったところによれば、聖ソーク(セイソーク)帝国は腐敗し衰退した国家だという。


 ヘイラ人がそう言う動機は、説明するまでもない。

 矛盾を煽り、そのなかで利益を得ようという試みだ。


 そして今、貫轟(カンゴウ)(炎日(エンジツ))の調査結果は、貫川(カンセン)(牧守様)の懸念が道理にかなっていたことを証明していた。


 聖ソーク(セイソーク)帝国の東部辺境は、非常に緩いのかもしれない。緩みきって、一車の魔鉱獣が聖ソーク(セイソーク)の帝都までまっしぐらに進めるほどに。

 しかし聖ソーク(セイソーク)帝都の状況は、聖ソーク(セイソーク)がまだ精鋭の戦力を有していることを証明している。


 全面衝突が起これば、聖ソーク(セイソーク)と太雲(タイウン)にとっては共倒れの結末となるだろう。


  ……


 貫川(カンセン)(牧守様)は立ち上がり、巨大な地図の前へ歩み寄った。太雲(タイウン)、聖ソーク(セイソーク)、海拉の三国を見つめる。


「貫轟(カンゴウ)よ、国策は一歩一歩、慎重に進めねばならん。我が国は他国の火中の栗を拾うような真似をすべきではない」

 彼は感慨深げに言った。

 彼が「火中の栗を拾う」と言ったとき、その視線は明らかに北方のヘイラ人(ヘイラじん)を指していた。


 貫轟(カンゴウ)(炎日(エンジツ))は数日後に剣閣関を離れ、鎬都へ向かって陛下に調査結果を報告することになっていた。だから貫川(カンセン)は、今は訓戒の口調で話していた。


 貫轟(カンゴウ)は拱手して頭を垂れ、教えを請う姿勢で言った。

「牧守様、どうかご教示ください」


 貫川(カンセン)は言った。

「臥榻の側に他人の安眠を許さず――やむを得ぬ場合を除いては、だが。聖ソーク(セイソーク)は月隕盆地への大規模な関所通路を持たない。だが月隕盆地は、彼らとはわずか数百キロの山脈を隔てただけの距離にある。我々がここで盛んに動けば、彼らも必ず何か考えるだろう」


 そのため、些細な衝突が起こるのは当然のことだ。太雲(タイウン)は聖ソーク(セイソーク)に、これらの小さな考えを捨てさせねばならない。「だが、しかし!」貫川(カンセン)(牧守様)の口調は強まった。


 貫川(カンセン)は帝国の地図を指さして言った。「我々は西側に絶対的な死敵を作り出すことはできない。もし太雲(タイウン)が月隕山脈へ大量の物的・人的資源を投入すれば、帝国の崤山以東の諸国は寝ていても笑いが止まらないだろう。たとえ我々が聖ソーク(セイソーク)に勝利し、彼らを脅威にならないまでに弱体化させたとしても。


 そして最大の利益を得るのは、北のヘイラ人だろう。彼らと聖ソーク(セイソーク)のあいだには、一本の運河と北方要塞地帯が阻んでいるだけ。だが我々と聖ソーク(セイソーク)のあいだには、四百キロの山脈が横たわっている。ヘイラ人の力が強まれば、帝国の北西部は安定しなくなる」


 牧守様は、目の前の若者の分別ある態度に、笑みを浮かべて頷いた。


 貫轟(カンゴウ)は頷いた。

 これらの考えは、彼自身のものでもあった。

 資料を提出したのちに彼が伝えようとしたのは、まさにこのことだった。

 今は礼儀正しく、後輩の姿勢で教えを受ける様子を見せていた。


  ……


 しかし実際には、貫轟(カンゴウ)(炎日(エンジツ))は貫川(カンセン)(牧守様)に教えを請うていたのではない。支持を求めていたのだ。


 たとえば今、貫轟(カンゴウ)が牧守様を訪ねたのち、鎬都に戻って復命するとき、叔父である貫川(カンセン)が彼を助けるだろう。


 貫川(カンセン)(牧守様)は鎬都へ手紙を送り返す。

 牧守様の友人たちも、必ず言葉を整えて支援の準備をしているに違いない。


 貫轟(カンゴウ)(炎日(エンジツ))が鎬都に戻り、陛下に同じ見解を述べるときには、雄弁に語って周囲の称賛を浴びるだろう。


 ―――――

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