蒸気暦近代史(ここ千年)、大陸の地政学的変化。 その二
しかし、最終的にオーカが東大陸の植民地を放棄することになったのは、実は南大洋での異変だった。
海人族は文明を持つ文明的な種族である。技術的に遅れていたために痛めつけられたが、学習能力は備えていた。
南大洋の海人族も、オーカ帝国の沈没船の残骸を調べることから始め、驚異的な速さで蒸気技術を発展させた。
そして蒸気戦艦も作り出した。
海面上で、海人族が展開していたのは通商破壊戦ではない。彼らの蒸気機関技術は、高速の重装甲戦艦を支えるにはまだ不十分だった。
そこで低速の戦艦を駆使して海上輸送路を確保し、南大洋の島々を一つ一つ要塞化して、オーカ帝国の補給線を断ち切った。
蒸気暦三百八十四年、オーカ帝国艦隊は海人族連合との間で、蒸気暦史上最大規模の艦隊決戦を余儀なくされた。戦いの末、オーカ帝国の海上艦隊と海人族の低速な鉄の塊は二日間にわたって砲撃戦を繰り広げ、ついに無念の撤退を強いられた。
逃亡の途中、海人族の高速雷撃駆逐艦の追撃を受けた。最終的に、戦艦の三割だけが西大陸本土へ帰還した。
海人族が勝利を収めたのち、オーカ人が開拓した東西の海上経済ルートはふたたび閉ざされた。
……
こうしてオーカの世界帝国時代は幕を閉じた。
しかしこの時代の終焉は、東大陸と西大陸に大きな影響を及ぼした。
まずは西大陸への影響について。
オーカ帝国と東大陸諸国は激しい消耗戦を繰り広げていた。
三十年にも及ぶ戦争のなかで、オーカは莫大な経済資源を費やし、百万に及ぶ軍事要員(軍隊のほか、兵站や後方支援を含む)を相次いで失った。
高位職業者は三十名以上が戦死するか捕虜となり、中位職業者は千人近く、下位職業者は控えめに見積もっても二万人以上が失われた。
戦後、多くの家系は継承すら危ぶまれる状況に陥った。
当時のオーカ帝国の強大さをもってしても、これほどの人的損害には耐えられなかった。
職業者の欠如は、オーカ帝国が深刻な衰弱期に入る直接の原因となった。
そしてそれは、西大陸の多くの競争相手に巻き返す好機を与えることになった。
オーカ帝国が東大陸から敗退したのち、西大陸では反オーカ連合が素早く形成された。
いわゆる『病に乗じて命を奪う』戦争が勃発した。
当時、西大陸のほぼすべての国がこの戦争に巻き込まれ、オーカ帝国はさらに弱体化した。
オーカはまるまる二百年にわたって低迷し、この一世紀近くなってようやく強国としての国力を取り戻し始めた。
オーカ帝国が衰退する過程で、多くの西大陸諸国が機会を捉えて空白を埋めていった。聖ソークは最大の受益者と言ってよく、地中海の半分を奪い取った。
……
次に、東大陸への影響について述べる。
東大陸諸国とオーカ帝国の戦争はほとんど共倒れで、東部の国々はすべて戦火によって弱体化した。
東大陸の伝統的な強国がオーカ人と消耗戦を繰り広げているあいだに、もともと西寄りに位置していた一国に発展の機会が与えられることになった。
太雲王国は三千五百年前に建国され、千六百年前まではまだ小国に過ぎなかった。
しかし四百年前から、その国力は次第に台頭してきた。
……
聖ソーク帝国の東部国境は、果てしなく続く月隕山脈である。だが聖ソーク帝国が接しているのは、この巨大な山脈のごく一部に過ぎない。
星の外から見れば、
月隕山脈は巨大な環状山脈である。中央の盆地平原は直径千キロメートル、その縁を取り囲むように切れ目のない山並みが続く。聖ソーク帝国がこの中央に到達するには、巨大な山体の中央区域を越えなければならない。
この窪地は数十万年前、上古の森エルフの領地であり、当時この巨大な盆地は月神の祝福の地と呼ばれていた。月隕の名が付けられたのは二万年前のことである。
当時の神賜時代の人類の推測によれば、六千万年前、この星球には二つの月があった。
現在は一つの月しかなく、もう一つは墜落して大陸の中央に衝突し、中央盆地が生まれたのだという。
文献によれば、上古のエルフ種文明は十四万年前に完全に衰退し、五万年前に再び大きな打撃を受けた。三万年前に一時的な復活を遂げたものの、人口は極めて少なく、神賜時代には完全に統治下に置かれて大量に同化された。
だが神賜時代の終焉後、この種族は旧人類の魔法家族とともに滅ぼされた。
……
数万年の変遷を経て、かつての広大な森林は、神授の時代には湖が点在する平原となった。人類はこの地で高度な繁栄を遂げた。
しかしこの神授の時代が終わると、神隕戦争が最も激しく繰り広げられたのも、ほかならぬこの地だった。
神隕戦争のあとの数百年で、この地には再び草木が生い茂るようになったが、
この地に入った動物は数世代のちに奇怪な畸形となり、人間が定住しても同じ異常をきたした。
神隕戦争から一万年のあいだ、この地は呪われた土地と呼ばれた。
だが、虎よりも苛政を恐れるのが人の常――月隕盆地にまつわる恐ろしい伝説がどれほど多くとも、人々は盆地を横断し、定住し続けた。
蒸気暦後の時代、東方の多くの探検家の調査によって、怪物だらけのジャングルの地も、もはや進入可能となったようだ。
この百年近く、大陸東西の学者(探検家職)が共同で調査したところによれば、月隕盆地では、死のガラス丘陵に近い村を建てたとしても、呪いの子(奇形児)が生まれる確率はわずか万分の一に過ぎないことが判明した。
もちろん、この万分の一という呪いの子の確率でさえ、人間の居住地に恐ろしいパニックを引き起こす。
六百年前まではここは村落ばかりで、大きな居住地は形成されていなかった。
……
過去千年にわたり、太雲帝国と聖ソーク帝国の二国は、巨大な地政学的障壁を隔てて平穏に過ごしてきた。
両者が接触する可能性はほとんどなかった。
しかし東大陸の戦乱、とりわけオーカの大規模な侵攻による大量の飢餓難民が太雲に流入したことで、状況は一変した。
太雲の王室は、月隕盆地へ目を向けざるを得なくなった。
そのため、過去七百年にわたり、太雲王国は絶え間なく探索を続け、ガラスの死の丘の内側にある危険区域をマークし、丘を流れる川を水利工事で遮断してきた。
太雲はガラスの死の丘の蛍光堆積物の周囲に環状のダムを築いて封鎖した。
死の丘の内側の危険物質が自然の水源を通じて外部へ漏れ出すのを防ぐためである。
呪いの子の確率は数百万分の一まで下がった。
月隕盆地にまとわりついた妖魔のベールは次第に剥がされ、今や太雲帝国が収穫の時を迎えようとしていた。
この百年間、太雲帝国は月隕盆地を大規模に開発してきた。
地政学的な近接性と、東西貿易の需要に後押しされてのことである。
未来の接触は意志の力では変えられない。太雲の上層部は、この問題を考慮していた。




