第三話
地下書庫は、屋敷の中でもっとも古い場所にあった。
何十年も開けられていない扉。
分厚い鉄の錠。
その奥には、王家から預かった古文書や、公爵家の歴代当主が残した記録が所狭しと並んでいる。
公爵は手にした銀色の鍵を、古びた錠に差し込んだ。
カチリ。
静かな音が響く。
扉が開いた。
冷たい空気が流れ出す。
「……ここに、何があるというんだ」
公爵は小さく呟いた。
アリアナが残した言葉。
『地下書庫の一番奥にある古い箱を開けてください』
娘がここに来たことなど、一度も聞いたことがない。
ましてや、こんな場所に何があるというのか。
ランプを手に、奥へ進む。
棚をいくつも通り過ぎる。
そして――
一番奥。
そこに、一つだけ不自然な箱が置かれていた。
黒ずんだ木箱。
表面には、公爵家の紋章。
しかし、その中央に刻まれていたのは――
王家の紋章だった。
「……王家?」
公爵は眉を寄せる。
なぜ公爵家の書庫に、王家の紋章が刻まれた箱があるのか。
鍵を差し込む。
カチッ。
蓋が開いた。
中には三つのものが入っていた。
古い手帳。
一枚の肖像画。
そして――
封蝋のされた手紙。
公爵はまず肖像画を手に取った。
描かれていたのは、一人の若い女性。
長い銀髪。
青い瞳。
公爵には見覚えのない女性だった。
けれど。
胸元に描かれた紋章を見た瞬間、息を呑む。
「……王妃?」
肖像画の裏には、名前が記されていた。
『エレノア・ルーディア』
今から百年以上前に亡くなった、王妃の名。
しかし、公爵が驚いたのはそれだけではなかった。
肖像画の隅。
王妃の隣に、小さな少女が描かれている。
その少女の顔が――
「……アリアナ?」
公爵の声が震えた。
ありえない。
髪型も違う。
服装も違う。
時代そのものが違う。
それでも。
目元が。
口元が。
娘と瓜二つだった。
「そんなはずが……」
肖像画を裏返す。
そこには、古い文字で一文だけ書かれていた。
『彼女は二度目の人生を生きている』
公爵の背筋が凍った。
「……二度目?」
そのとき。
背後から声がした。
「旦那様」
振り返る。
そこにはマリアが立っていた。
「……どうしてここに?」
「申し訳ありません」
マリアは頭を下げた。
「どうしても気になって……」
公爵は肖像画を見せた。
「これを見ろ」
マリアは近づく。
そして――
息を呑んだ。
「……お嬢様」
「そう思うか?」
「はい」
迷いなく答えた。
「目が……同じです」
公爵は黙り込んだ。
箱の中に残された古い手帳を開く。
最初のページには、日付が記されていた。
百年以上前。
そして、その次のページ。
『王太子は、十八歳の冬に死ぬ』
公爵の手が止まる。
ページをめくる。
『彼を救うには、彼が愛する者が王宮から去らなければならない』
さらに次。
『けれど、彼女は自分から離れることができない』
さらに次。
『だから彼女は、悪役にならなければならない』
「……」
公爵は息をすることさえ忘れていた。
そこに書かれていることは。
まるで――
今回のアリアナの人生そのものだった。
「まさか……」
公爵は手帳をめくる。
最後のページ。
そこには、たった一行。
『この未来を変える者は、必ず同じ結末を迎える』
そして、その下に。
新しい筆跡で書かれた文字があった。
アリアナの字だった。
『私は、変えてみせる』
公爵の手から手帳が落ちた。
「……アリアナ」
マリアも呆然としている。
「お嬢様は……何を知っていたんでしょう」
誰も答えられなかった。
*
同じ頃。
王宮。
レオニードは執務室で、一枚の書類を見つめていた。
アリアナが亡くなった前日。
彼女が王宮の古文書庫を訪れていた記録。
「……何を探していたんだ」
レオニードは立ち上がる。
「殿下?」
侍従が驚く。
「古文書庫へ行く」
「ですが、もう夜です」
「構わない」
レオニードは歩き出した。
古文書庫。
誰もいない。
大量の本棚。
その一番奥に、一冊だけ不自然に抜かれている本があった。
レオニードは手を伸ばす。
本を引き抜く。
背表紙には――
『王家に伝わる禁忌について』
そう書かれていた。
ページを開く。
そして。
レオニードの顔から、血の気が引いた。
そこには、こう書かれていた。
『王太子が真に愛した者は、十八歳の冬に死ぬ』
「……嘘だ」
さらに下。
『ただし、その者が王太子から愛されなくなれば、運命は変わる』
レオニードの手が震える。
そして最後の一文。
『そのために、愛する者は悪役となる』
「……」
レオニードは、その場に立ち尽くした。
頭の中に、婚約破棄の日のアリアナが蘇る。
『私がやりました』
『婚約破棄、承知いたしました』
『どうか、お幸せに』
あまりにも簡単に。
あまりにも静かに。
自分から離れていった。
あのとき。
アリアナは泣いていなかった。
――そう思っていた。
けれど。
もし。
もし彼女が――
自分を嫌わせるために、わざと悪役を演じていたのだとしたら。
「……アリアナ」
レオニードは本を握りしめた。
「君は……何を知っていた?」
その瞬間。
古文書庫の窓の外で、鐘が鳴った。
午前零時。
レオニードは、ふと気づく。
今日は――
アリアナの葬儀から、ちょうど七日目だった。
そして机の上。
いつの間に置かれたのか。
一通の封筒があった。
表には。
見慣れた文字。
『レオニード殿下へ』
彼は震える手で、それを手に取った。




