第07話「覚醒」
「イレギュラー・マリオネット -The Wild Guardian-」の後日談にあたる話です。
前作はこちら
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麦畑の土は固く、風のない夏は、空気すら重たかった。
ライガは裸足のまま黙々と草を抜いていた。手は泥にまみれ、指先は何度も裂けて、乾いた血が爪の周りに黒く固まっている。
けれど、誰も手袋なんて用意してくれなかった。
「おい! そこの草、ちゃんと根っこまで取れ。やり直しだ」
低い怒鳴り声とともに、後頭部を小突かれる。振り返ると、畑の持ち主の男が、棒きれを片手に苛立った顔をしていた。
「……はい」
ライガは小さく返事をして、また黙って草を引き抜く。文句や反論をすれば、次から仕事を回してもらえない。
以前に働いていた所でも、あまりの理不尽さについ正論で返したら、村中に悪評を触れ回られてしまったことがある。
ようやく午前の作業が終わり、汗でぐっしょりと濡れたシャツを絞りながら、ライガは報酬の受け渡し所に向かった。軒下の箱に銅貨が三枚、置かれているはずだった。
が――。
「今日はゼロだ。お前、種を踏んだだろ」
「……え?」
ライガは思わず顔を上げた。
「種の上に足跡があった。あの場所は蒔き直しだ。あれで銅貨三枚分? 笑わせるな」
「でも、ちゃんと注意して――」
「ああ、また言い訳か? お前、前に働いていた所でも愚痴ばかり言ってたらしいな」
それは噂に尾ひれがついたものだった。
男の目が吊り上がる。その場にいた他の農夫たちも、「やれやれ」という顔で視線を逸らす。誰も助けてはくれない。
「……いえ。すみません」
ライガは、かすれた声で頭を下げた。
そのまま背を向けた彼の肩に、誰かが呟く。
「恩知らずめ。働かせてもらってるだけでも有難く思え」
その言葉に、ライガの足が一瞬止まりかけたが――ただ、黙って歩き続けた。
夜、風の音が木の隙間から吹き込む。
村外れの、誰も使わなくなった小屋。その中で、ライガは小さな火を灯していた。
焚き火と言うには心許ない。拾った木の枝と、ぼろ布で作った簡素な灯だった。
小屋の隅には、割れた陶器の器が一つ。
その中には、昼間に拾い集めた野草や、浜辺で見つけた海藻が浮かんでいた。
彼の膝の上には、一冊の本。もう表紙は擦り切れ、紙も端がちぎれていた。けれど、何度も何度も読み返した形跡があった。
ライガはゆっくりとページをめくる。ほとんど反射のように、口が動いた。
「……この植物は……ラリーク、だな。実と葉は食べられるけど……根には毒がある」
ボソボソと呟きながら、手元の野草と照らし合わせていく。
しおれた葉をそっとちぎり、細かく裂いて火に落とす。出汁を吸った海藻が、ぷくりと泡を立てた。
その香りに、彼の表情がふと緩む。
――苦い。でも、ちょっとだけ、甘い。
それは、誰かが作ってくれたものとは違う。
自分の知識と手で、生きるために作った、“味”。
誰も迎えに来ないこの夜。
誰にも「おやすみ」と言われないこの夜。
けれどライガは、静かに器を両手で包み、火に照らされながらそれをすすった。
(明日は、もう少し味付けを変えてみよう。次はどんな味にしてみようかな)
ライガは、明日に思いをはせた。
知識は、武器になる。覚えたことが命を救う。
探求への興味が、希望を繋いでくれていた。
◆◇◆◇
「そっか、じゃあ兄ちゃん……いや、俺はその頃から料理してたんだな」
ライガはポンと手を叩く。
「ああ、植物の他にも海に潜って魚や貝を獲ったり、山に入って木の実を取ったり……色々やった。単純に知識を得るのが好きだったんだ」
「何かさ、思ったんだけど……。昔の俺って、エルトみたいな……」
「学者肌……か?」
「そう、それそれ! 本好きだし、調べたり勉強したりするのも好きだったんだな」
「ああ、そうだな……。もし、“あんなこと”がなければライガは学者になっていたのかもしれないな」
「あんなこと……?」
「ある日、村の教会で炊き出しがあったんだ。といってもただの善意じゃなかった。実際は、保管期限を過ぎた備蓄米を処分したかっただけらしい。廃棄するにも金がかかるからな。だったら貧民に食わせて処分すれば一石二鳥……ってわけだ」
◆◇◆◇
その日、教会の中庭には白いテントが張られ、大鍋が何個も火にかけられていた。
列は長かった。
教会の神父は、終始同じ文句を繰り返す。
「皆さん、感謝の気持ちを忘れずに並んでください? これは天の御心により、我ら教会が皆さんに恵みを授けるのですから」
だが、その声にはどこか誇らしげで、施しというより上からの恩着せがましさがにじんでいた。
ライガは列の最後尾に並んでいた。
時間が経つにつれ、日差しは強くなり、スープの匂いが風に乗って流れてきた。
次第に順番が近づく。
誰かが不満げに舌打ちした。隣の青年がライガを睨みつける。
「おい、お前……どこから湧いて出た。見かけねぇ顔だな」
「ずっと村にいるけど」
「へぇ、そうかよ。じゃあ、今までどこに隠れてたんだ? コソコソしやがって……不気味な奴だぜ」
何も言い返さずに目を伏せると、男は鼻で笑い、前へ進んでいった。
ようやく順番が回ってきた。
痩せた神父の手元に、スープの皿が並ぶ。
「これを受け取るのは初めての子かな? 名前は?」
「……ライガ、です」
と、その時。
神父に業者が大きな水晶を抱えて声を掛けてきた。
「お~い、神父様。この水晶、どこに移動すりゃ良いんでさ?」
「ああ、ご苦労様。それはええっと……中に入って祭壇の聖具棚に……」
その瞬間だった。
水晶を抱えていた業者が、足元の段差につまずいた。
「あっ――!」
腕の中で滑った水晶が、大きな音を立てて宙に浮く。
周囲が息を呑んだ。
(落ちる!)
反射的に、ライガは体を滑り込ませて、両手で受け止めた。
重い衝撃が腕に響く。
「お、おぉ……! すまん、助かったぜ!」
業者が血相を変えて駆け寄ろうとした、その時――。
――水晶が、淡い蒼白の光を放ち始めた。
「なっ……!?」
神父の目が見開かれる。
光は、ゆっくりと脈打つように明滅を繰り返し、徐々に強く、そして純白に近い輝きへと変わっていく。
周囲がざわめいた。
「え……今、光った?」
「誰が触った……あの子?」
「なんで……? あの子、ただの浮浪児じゃ……」
ライガは、両手で水晶を抱えたまま、動けずにいた。
何が起きているのか、分からなかった。
「まさか……これは……?」
震える声で神父が呟く。
「水晶が反応したということは、何か適性があるということだ……。しかも、これほど強く光るなんて……!」
神父が慌てて懐から書物を取り出す。
「こ、この光り方、そして純白の神々しさ……! この子に刻まれた適性は――」
そして、神父の手が震えた。
「……間違いない! これは……“勇者”のジョブ適性!」
ざわっ、と空気が一気に変わった。
それまで列の後方にいて、誰からも見向きもされなかった少年に、今や誰もが視線を向けていた。
今まで何百回と見向きもされなかったのに。何をしても存在を無視されてきたのに。
――急に、世界が反転したようだった。
◆◇◆◇
「……それからだ。村人達の態度が、ガラリと変わったのは」
レオンの声には、皮肉が混じっていた。
「そこからは早かった。あれよあれよという間に、村中で祭り上げられ、称えられたよ」
「……それって、良いことだったんじゃないのか?」
ライガの当然の疑問に、レオンはふっと笑う。
「そう……だな。端から見れば、まるで宝くじが当たって一夜にして億万長者になるような幸運……に映るんだろう」
何も持っていなかった自分が、『勇者』という肩書ひとつで、突然“価値ある存在”になった。
けれど――……。
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