第06話「秘密の授業」
「イレギュラー・マリオネット -The Wild Guardian-」の後日談にあたる話です。
前作はこちら
https://ncode.syosetu.com/n9755kt/
「そうねぇ……。17ページのこの問題、答えは12。合ってるかしら?」
教室の少しだけ空いた窓際の席から先生の声がする。
ここの解き方は分かってる。答えは21だ。
何も反応を返さないでいると、先生は続けて発言する。
「じゃあ……答えは21かしら?」
すかさず反応し、壁をコツンと叩いた。
「ふふっ、正解。ここは間違えやすい問題なのに、偉いわね」
――やった!
ライガは思わず拳を握る。壁の向こうからは、先生の嬉しそうな笑い声が聞こえてきた。
「妖精さんは、本当に頑張り屋さんね」
教室の壁の外。
小さな身体を縮こまらせながら、ライガはノートを握りしめていた。
膝の上には、何度も書き直された字で埋まった紙片。
端はボロボロで、文字も薄れているけれど、自分にとっては宝物だった。
目を閉じて、そっと耳を澄ます。
先生が黒板を擦る音。
クラスメートの笑い声。
誰かが椅子を引きずる音。
それら全てが、まるで遠い世界の話のようで――けれど、自分にもほんの少しだけ、体験できていた。
「今日はね、模擬テストを作ってみたの。良かったら挑戦してみて?」
その声とともに、窓際からそっと折り畳まれた紙が外に飛んで来た。
ライガは紙を拾うと、書かれた問題にくまなく目を通していく。
少し難しい問題が並んでいるが、今までの授業を振り返れば解ける問題ばかりだ。
胸が高鳴る。
問題に挑戦し、考え、解けるたびにワクワクが止まらない。
しばらくすると、全ての問題を書き終わった。
しかし、どうしても自分の名前は書けない。
本当は、先生に名前を呼んでほしいけれど、ギュッと唇を噛んで耐えた。
「まぁ、すごい! 全問正解じゃない」
差し出した答案用紙を受け取り、採点が終わると先生は声を上げた。
「ふふっ、貴方の頭を撫でてあげられないのが残念だわ。本当、よく頑張ったわね」
単純に嬉しかった。自分の努力が実ることが、そしてそれを認めて貰えることが。
「ねぇ、妖精さん。少し……私の話を聞いてくれるかしら? 愚痴のようなものだけれど」
先生の声のトーンが下がった。何か思い悩んでいる様子だ。
ライガは返事の代わりにまた壁をコツンと叩いた。
「……ありがとう、妖精さん」
そしてゆっくりと、穏やかな声はそのままに先生はポツリと話し始めた。
「この地上世界は、魔物に溢れているから適性が重宝されているの。そのせいか皆、授業には消極的というか……興味が無い子が大半でね」
先生はため息交じりに続ける。
「さらに、成績が悪いことは全て『冥王の呪い』のせいにされてしまう。子供たちだけでなく、保護者たちでさえね」
ライガはじっと耳をすまして聞いていた。
(冥王の、呪い……)
適性や『冥王』の存在は、授業の中でも何回か出てきたので知っている。しかし、それを理由に勉学を放棄するなんて信じられなかった。
「勉強が出来なくても、魔物を狩れば収入になる。だから学なんて要らない……。そんな考えの子達が多くてね」
先生の声は、どこか寂しさを含んでいた。
「もちろん、魔物退治も立派なお仕事よ? でもね、大きな力を持っていれば全てが解決する訳ではないの。貰い物の力じゃなく、こうして一つ一つ積み上げていくことが大切なのよ」
ライガはそっと、持っていたペンを握りしめる。
「私ね……。何でも冥王の責任にする世間の風潮には疑問があるの。ずっと教えられてきたから、当たり前の常識になっているけれど、それってただ責任から逃げる口実になってしまっているんじゃないかしら」
先生の言葉が、胸にじんわりと染み込んでくる。
「でも、分かってくれる子は少なくて……。だから、あなたの存在が……毎日ノートに夢中で書かれている字が、私にとってどれだけ救いになっていたか……」
先生の声は変わらず穏やかだったが、どこか寂しそうだった。
「妖精さん、貴方がこれからどんな人生を歩んでいくにしても……これだけは覚えておいて?」
まるで訴えかけるような声色に、ライガはじっと耳を傾ける。
「私たちは、きっと自分が思っている以上に狭い見識の中でしか生きていないの。だから疑問に思ったことは、ちゃんと自分の目で見て、調べてみてね。他人の意見や噂に惑わされず、何の情報が正しいのか、資料を集め、精査することを忘れないで」
ライガはコクリと頷く。もちろん、先生には見えていないだろうけれど、その言葉を深く心に刻んだ。
「きっと、私の考えは今のテラアースでは笑いものになるでしょう。だからせめて……いつか私のように、この歪な常識に疑念を抱いてくれる人が出てきてくれることを願って、記録を残しておこうと思っているの」
すると、廊下からコツコツと誰かの靴音が聞こえてきた。恐らく警備員だろう。
「……残念だけれど、今日はここまでね。聞いてくれてありがとう、妖精さん」
先生も警備員の気配を察したのか、そっと窓に手をかけて鍵を閉める。
コツン、と最後にライガは壁を軽く叩く。
それは「ありがとう」の代わりの合図だった。
◇◆◇◆
「先生には声も掛けられず、姿も見せらなかったけれど。そこには、確かな繋がりがあった気がするんだ。おこがましい考えかもしれないがな」
レオンの瞳が揺れる。
「けれど、結局しばらくして俺は警備員に見つかった。顔が腫れ上がるほど殴られて、大切に使っていた教科書も、ノートも、ペンも……全て取り上げられて燃やされた」
「そんな……っ!」
「俺は、先生に迷惑が掛からないよう二度と学校には立ち寄らなくなった」
ふぅ……っと、レオンは深いため息を吐く。
「本当は……先生に会いたくて、もっと学びたかった。名前を呼んでほしかった。けれど、それはもう叶わない」
レオンは静かに頷くと、目の前の墓標を見つめる。
「……確かに先生との思い出は、幼少期のライガにとってかけがえのないものだった。でも、結局生きるために立ち上がるしかなかった」
そこで終わっていれば、きっと、もっと違う未来があったかもしれない。
けれど──現実は、いつだって甘くない。
「あれは……俺が16になったばかりの頃だったな」
それは、これからの人生を大きく変える出来事。
だが、それがどんな結末を迎えるのか、当時のライガにはまだわかっていなかった──。
Copyright(C)2026-流右京




